シーン6
「あ……」
花瓶の水を取り替えようとしたら、流し台に花瓶を落としてしまった。
咄嗟に手を伸ばして、破片で指を切ってしまう。微量の血が、流し台に流れていく。
「西城……悪い」
血で汚れていく花瓶を見て、僕は変な罪悪感を感じて謝った。
聞こえてないのだろうけど。
屋上で告白して断られて、最後に彼女が西城美紀だってことを知ってその彼女が消えた日以来、彼女の姿を僕は見ていない。
彼女は僕が忘れていることが未練だと言っていた。
つまり、僕が西城美紀を忘れられなくなってしまった今、未練は晴れてしまったわけだ。
「呪いか何かかよ……」
何かの本で「恋は呪いに似ている」なんてこと書いてあったけど、これはそのまんま呪いだった。
また指を切らないように花瓶を片付けると、僕は教室に戻る。
もう花瓶もなくなってしまったし、置くのをやめてしまおうか。
クラスメイトの視線ももうすっかり慣れてしまったし、西城もいなくなって誰にも見られないこの習慣に意味があるとは思えなかった。
席に着くと、いつもより多めの視線が僕のほうに向く。
「おい、花瓶はどうしたんだよ」
どうしたことか。隣の席の男子生徒に話しかけられた。
「割った」
僕は喋る気分にはならずに、その一言と切れた指を見せた。
「血が止まってないじゃないか」
男子生徒は少し驚いたように言う。
「洗ったのか? いや、保健室で消毒して来い」
心配されてる?
驚いて、顔をあげる。
「私、保健委員だから付添おうか?」
見知らぬ女子生徒……と言ってもクラスメイトだが。その女子生徒が手を上げて立ち上がった。
「そうだな。それがいい」
男子生徒が言う。
何を言っているんだろう。こいつらは。
「ドッキリか何かか?」
とりあえず、思い至ったのはそんな可能性。
しかし、彼らは首を振る。
「そんなことじゃない」
その様子にこれまた別の女子生徒が「もしかして……」と口を挟んだ。
「みんなも西城さんの夢を見た?」
僕は驚いて立ち上がる。
「それって坂井くんに告白したのと、事故に遭ったのは全く関係ないって説明と、本当は結構ノリのいい子だから、仲良くしてやってってやつ……?」
また別の男子生徒。
「西城が、夢に出てきたのか……?」
僕は恐る恐る皆にたずねた。
クラスメイト達は首を縦に振る。
見たところ、僕を除くクラスメイト全員がその夢を見たようだった。
「今まで冷たく当たってごめんな」
「八つ当たりみたいなことして、ごめんなさい」
そして口々に謝ってくるクラスメイト達。
そんな今の状況がとても遠い世界の出来事のように感じられて、気づいたら僕は保健室で先ほどの保健委員だと言っていた女子生徒に消毒と絆創膏を貼ってもらっていた。
「ごめん……痛かった?」
そんな女子生徒が僕の顔を見て戸惑った声をあげる。
「いや、痛くはないけど」
慌てて、西城にしていたように彼女を気遣う言葉を僕も返す。
「じゃあ、嬉しかったのかな?」
そう言って、ポケットから鏡を出す彼女。
覗き込んでみると、涙が目からこぼれていた。
「これは……」
何か反論しようとした。
でも、涙を流す理由なんて一つも見つからなくて、僕はそれ以上何も言えなくなってしまう。
「私、これから授業だから。落ち着いたら教室に戻ってきてね」
時計を確認した彼女が保健室を出ようとする。
僕は一つだけどうしても聞きたいことがあって、彼女を呼び止めていた。
「夢に出ていた西城さん、どんな感じだった?」
「どんな感じって?」
保健委員の彼女は怪訝そうに首をかしげる。
「えっと、元気だったかってこと」
死んでいるのに元気というのは少しおかしい気がしたが、それ以外に言い方が思いつかなかった。
「うーん、ちょっと落ち込んでいたかも」
「そうだったか……」
「でも、たぶんそれ坂井くんのせいだよ」
「は?」
納得がいかないと同時にちょっとショックだった。
自分はまだ西城を苦しめていたのか。
「ううん。そう落ち込む必要はないよ」
「そうは言っても……」
「だから、西城さんのことを気にして、クラスに溶け込めない坂井くんのことで落ち込んでたんだから。もうそんなことにはならないでしょ?」
その言葉に、なんとも言えない不思議な気持ちが胸からあふれ出してきて、僕は顔を伏せた。
たぶん、涙も流れている。
「じゃあ、今度こそ私は行くから」
そう言って、僕が泣いているところを見ないふりをしてくれた保健委員の彼女に、何か言いたくて、僕は一言だけ「ありがとう」と言った。
自分でも驚くくらい掠れて小さい声だったから、聞こえていたかわからないけど、言えてよかった。そう思えるのが不思議だった。




