二話
2
「……なんだ、それは」
後から到着したガラフは、酷く不愉快そうな響きを篭めてそう言ってリュークを見下ろした。対する
イアラはおどけて肩を落とす。
「ついて来るんだとよ」
彼はそれを見下ろし、複雑そうな目でそうか、と頷いた。特に異議は――否、まずリューク自身に対
して興味がないようであった。少年はうすうすそのことを感づいているのか、彼の、まるで表情を変え
ない彫刻のような顔をいまいましげに見上げているのだった。リックが手早く事情を話し、背を向けた
ガラフのマントを後ろ手に引き寄せる。
ガラフにも話したい意思が伝わったのか、仕方ないと背中を寄せた。小声で辛うじて聞こえる距離で
ある。
リックはイアラの背中を見つつ、小声で話す。
「あいつな――、たぶんまだ引きずってると思うんだよ。リュークが無茶しないようにそれとなく気を
つけてくれ」
彼はそんなことだろうと思ったと肩を落として、俯いた。
「迷惑だ」
「駄目か?」
ガラフは暫く沈黙を守っていた。リックの頼みには昔から碌なものがないが、今更何か言ったところ
で変わりもしないし、―――何だかんだといって結局引き受ける自分が居るのだ。情けないことに。
「……ふん。あいつやお前とさして変わらん」
「ひでえな、おい」
苦笑して、近づけていた背中を離す。
――何年ぶりか。こうして背中越しに何かを話したのは。リックが司令官になりたての頃は面と向か
って話をするのにお互い違和感を覚えたものである。
短い会話の後、リックは他の二人も呼んで小型の通信機を配った。最近作った物らしい。まだ試験段
階だが、彼の技術には定評があるので、素直に受け取っておく。
それを確認すると使い方を簡単に説明し、全員に銃を渡す。リュークはその重さに困惑してイアラを
見上げたが、彼女は無視して――そう、怖いのなら来るなとばかりに!――リックに指示の先を促すの
だった。彼はその行動に相変わらず違和感を隠せないながらも先を続け。
「オレはモニタールームに向かい、そこで指示を出す。他三人は別々に行動したほうが目立たなくてい
いだろう。なるべく立てこもり犯も人質も殺すな」
「わかった。リック……ガラフ、リューク」
3人が顔を上げると、銃をホルスターにさしたイアラが彼らを見上げた。まっすぐに、刺すような眼
光。獣のような。
「信じてる」
一言、それだけ言って歩き出したイアラの背中と、かけるだけ掛けられたプレッシャーに止めを刺さ
れて泣きそうな顔のリュークとを見比べて、リックはため息をついた。相変わらず表情には出さないが、
その感情はガラフも同じらしかった。
しいて言えば、イアラのそれは癖なのである。リリアを失った時から、団体行動のとき彼女は無意識
の一言で仲間達にある種のプレッシャーをかけてそれに臨む。ガラフ達とて例外ではないのだろうが、
どうも未だに釈然としない。なにより、それは。
「……卑怯だぜ」
彼女には聞こえない程度の小さな声で。リックが小さく肩を落とした。
『チッ、酷いな。リック、見えるか?』
「おう、ばっちり。良いの使ってんな、ここ」
画面の中でイアラが顔をしかめる。暗いので実を言うとリックのほうからはそこまでよく見えるわけ
ではない。ただ、内部の血なまぐさい雰囲気はそれだけで見て取れた。
本が散乱し、ところどころに人が倒れている館内を薄暗がりが映し出している。本棚の側面に地が飛
んでいたりするのは、抵抗した者を射殺した痕だろう。イアラでなくとも反吐が出る光景である。
このモニターというのは、ここの館長の田舎で採れた魔導石で出来ていると聞いた。魔法を使ってい
た先人たちの遺産なのだろう。そもそも魔法なんて彼は信じては居ないが。
それでも高度な文明の遺産をこんなことに使うのは、まったく不本意だった。
「まあ、お前らなら心配要らないんだろうけどな」
『バカ言ってんなよ。周りが良く見えねえってのに』
「アタマ使うって大変よ?」
『お前ムカツク!』
『……じゃれるな。行くぞ』
静かな声が割って入る。後に残るのは静寂。ブツブツ文句を言いつつも銃を構えるイアラを見る目つ
きが、自然と険しくなる。強さなど何の役にも立たないと、あの時泣いていたではないか。ショウを守
れなかったと。なのにまた、リュークを連れて行こうと言ったのは何故なのか。
或いはイアラに対するそれは、ねたみであり憧れであり、悲しみなのだろう。リックは立ち直れなか
った。ガラフについて行く勇気がなかった。再び大切な者を、或いはガラフを失うのが怖くてたまらな
かったのだ。そんな弱さを持たない、あるいはそんな弱さも抱えて尚ガラフの後ろを歩く彼女が。
……やめよう。
リックはイアラから目を逸らし、リュークを見る。
「大丈夫か、リューク?」
やめるなら今のうちだというニュアンスをこめてそう言うが、リュークは小さく頭を振る。
『大丈夫に決まってんだろっ!』
その声は震えていて、とてもじゃないが大丈夫とは言いがたい。不安定で弱々しい、どこか初陣の時
のイアラと重なった。彼女はもう少し強がり方が上手かったような気もするが。
何を脅えるのか、無意味に銃を持ち直したりする姿が。
「近くに人は居ないか?居たら無用心に近づくなよ」
『いねえ』
子ども扱いするなと不満そうな声にリックはわかったと相槌を打つと、見取り図に目を落とす。
図書館は広い。二階が無く、代わりに地下一階があり、そこにもずらりと本棚が並んでいる。地上の
方は一般向けの図書が多いのに対し、こちらは比較的マニアックな――もとい専門的な学術書や研究用
の文献が並んでいて、普段はリックのような半マッドサイエンティストが入り浸っていることが多い。
館長たちの家は建物を違えて地上のスペース約三分の一ほどを占めていて、それもまた莫迦のように
広い。
本館である図書館の大まかな内容は前述の通りであるが、地上一階については一般向けに、さらに三
つのブースに分けられていた。
大きく分けて右から文庫本、児童書、(広く知られている)専門書。三人はこれらを一つずつ担当し
ていることになる。特に児童書のコーナーは子供連れが多いためか、中央にぽっかりと広く開いた、子
供が親と座って遊びながら本を読めるスペースがある。そこには二十人ばかりの人間――生死は確認で
きない――が集められているのだった。
他のブースは狭い通路しか映しておらず、見取り図では盗難防止の為か本棚の配置が机の周りを除い
てすべて迷路のようであることがわかる。今更こんなものを見ずとも、大体の配置は彼の頭の中にある
が。
さて、視認出来る分には人質は三十人弱だが、これだけ広い建物である。――よもや、これだけしか
人が居ないわけではあるまい?
リックは状況を再確認すると、厄介ごと押し付けやがって、と誰にとも無く舌打ちした。
イアラは銃を構えたまま、本棚の影から向こうをのぞいていた。彼女が居るのは文庫コーナーで、あ
まり広い場所は見えない。開けた場所で大勢対大勢の戦と違い、迷路のような場所で多勢対無勢。いつ、
何処から相手がくるか、不安に心臓が早鐘のように鳴った。
今に後ろから人が来るかもしれないのである。此処でなくても同じことだが、こんな思いは司令官殿
にはわかりはしないのだろうと、意地の悪い考えが頭を過ぎった。
願わくば、もうこんなハードボイルドの真似事は勘弁して欲しいところである。
「リック、そっちなにか見えるか」
『脳みそぶちまけて笑ってるイカレ頭が見えますが』
「……。もういい」
むすっとして返した耳元に、後ろ、と声がした。
瞬間、振り返って後ろから伸びていた手を掴み、前に引き倒す。倒れた男の腹部に上から体重をかけ
て膝蹴りを食らわせ、その頭に銃を突きつけて、哄う。
「手を上げろ。……とか言えばいいのかな、こういうときは」
仲間を呼ぼうとした男の頭を銃で殴って気絶させ、手早く縛り上げて立つ。全く、油断もすきも無い。
はたと、不安げに顔を上げる。
「殺ったほうが良いのか?リック」
『いらない心配するな。その調子でいい』
「了解」
イアラは再び歩を進め、向かい合った本棚の間を歩いていく。細い通路は本当に良く出来た迷路のよ
うで、こんなことでは読書にかまけていると迷ってしまうのではないかと、思った。もっとも、自分は
あまり本を読むほうではないが。
歩き出して三本目の通路の前で、その足が止まる。不愉快なものを通路の奥に見つけると甚だ気分が
悪くなったが、顔をしかめて”それ”に向かって歩き出した。
壁にもたれるような格好で死んでいる少女はまだ幼く、裂けた衣服から何をされたのか大体想像がつ
いて気分が悪くなった。イアラは足音を立てないようにしてもう少し近くにより、開いたままの目を閉
じた。
「……ごめん、な」
同時に、耳元で小さくリックの声がする。
『イアラ!』
「お前もそうなるんだよっ!」
「なっ……!――ぁあ!」
振り返ろうとしたイアラの両腕が掴まれ、壁に叩きつけられる。睨み付けたのはまだ若い男の顔。足
が床につかないもどかしさに顔を上げ、そいつを見上げる。
そういえば、戦地でも何度かあった。
死者の近くに伏兵を置いて、情に絆された馬鹿な兵士を嬲り殺す手法。
信じられない。こんなのにひっかかるなんて。
「くそっ……」
イアラの焦りをよそに、男は野卑な笑みをうかべた。




