承章:一話
イアラは大きな欠伸をして体を起こした。カーテンを開けると空はうっすらと靄がかかって、太陽は
まだ低い位置にある。早いとも遅いともいえない時間帯である。彼女はベッドから飛び降りるとばさば
さの金髪を手早く纏め、未だに寝ているリックの頭をグーで殴って起こす。
……否、それだけでは起きない。
「起きろ!」
「良いんだよぉ、休みなんだから」
良くない、と怒鳴って襟を掴みあげ、リックを洗面所に放りこむと、いつもと変わらず部屋の隅で大
鎌を抱えてうずくまるようにして寝ているガラフに向き直る。彼が薄く目を開けたのを見て起こす手間
が省けたと安心したイアラだったが、小さく、彼の呟きが聞こえて足をとめた。
彼女は彼に向きなおって、聞き返す。
「……なんだって?」
「……………あと………五分」
「―――っなに寝ぼけたこと言ってやがんだ、起きろ!」
一喝。それと破壊音。
相変わらず女を捨てているとかは置いておき、これで大体は他の部屋の連中も起きることを余儀なく
されるのである。
リックとガラフは戦場での働きもさることながら、休日の休みっぷりもまた凄まじいものであった。
とにかく良く寝る。
そして起きない。
三人で生活するようになってからと言うもの、休日のたびにこれだからやっていられない。仕事のと
きは何も言わなくても起きてくるくせに、である。その上食事も禄に作れない――というと語弊がある
か。リックは作れなくもないが、作らせると栄養が偏るので、結果見かねたイアラが作るようになった。
ガラフに至ってはハンバーグを作ろうとして何故か鍋を爆弾に変えた前科がある。
まったく、これをあの二人相手にきゃあきゃあ言っている女性陣に見せてやりたいものだ。頭の軽い
奴はこれを見ても「可愛い」とか言って騒ぐのだろうが。
朝食を終えてぐったりと机に突っ伏している少女の肩にリックが手を乗せて笑う。
「おい、大丈夫かー?朝からそんなじゃいかんよ、若いのに」
「誰の所為だよ、誰のっ……」
呆れ顔でそう反論し、リックを見上げると目を逸らされた。一応自覚はあるらしい。
「んー、まあ……ガラフは寝起き悪いし、駄々こねるしなあ」
「……駄々……捏ねてたんだ、あれ」
唐突に大声を出してどたばたと走り去ろうとする彼にどこか行くのかと声をかける。
「ダリアとデート!」
「……刺されるなよ」
手を振りながら、苦笑する。それから視界の端に寝なおしているガラフを捉えて、本日何度目かの破
壊音を響かせたのだった。
彼らと暮らし始めて、一ヶ月が経とうとしていた。
「リューク?また此処にいたのか」
イアラの声に、図書館へ続く階段に座って項垂れていた少年が顔を上げた。彼はイアラより四つほど
年下だが、彼女が小柄な所為か彼が大きい所為か、背は同じくらいなので、あえて同い年ということに
している。イアラ自身は、かなり釈然としないところもあるのだろうが。
彼――リュークは、スラム育ちの少年である。外見は普通の少年だったが、力仕事や闘技場のイベン
ト参加で日銭を稼いでいるので、喧嘩はなかなかに強い。いかんせん、学校に通う金が無いので、頭は
良くないようだったが。
そんな彼が、なぜか最近ここによく来るのだ。イアラは会う度に不思議に思う。
「また追い出されたのか?」
「うん」
「また本を持って帰ろうとしたとか」
「ちがうぞ!今日は読みにきたんだ!」
「読めないだろ、字」
イアラが笑うと、少年は顔を赤らめて読めるよと反駁し、再び石段に腰を下ろす。前科もちは苦労す
るなというと、イアラも隣に座った。広い敷地は更に広くひろがって見えた。
こんなときは、少しだけ背が低くて得した気分になる。損の方が多いのに変わりはないが。
「それでどうしてこんなとこにいるんだ?」
「友達が来ないんだ」
意外な言葉であった。闘技場で初めて会ったときは、皆敵だとすれたことを言っていたのを覚えてい
るが、やはり彼も歳相応に少年だということだろうか?
度々彼女が闘技場へ遊び兼小遣い稼ぎに行っている事は、ガラフ達には絶対内緒である。
「ともだち?」
リュークは頼りない顔を上げて、小さく、小さく。
もう一度だけ、来ないんだ、と呟いた。
リュークの友人、ドナという少女は、ずっと家に閉じ込められているのだという。
家というのは今まさに目の前に建っているこの大きな図書館で、場所は首都セレアの郊外に位置して
いる。自然が良く整備されている為か町のほうより空気が綺麗で、イアラは好んで此処に来る。ドナは
その館長の一人娘らしかった。
一方リュークの住んでいるのは中央のスラム街、貧民と犯罪者の溜まり場で治安も悪く、ときどき軍
の治安部隊との銃撃戦をしていたりする。しかも彼は前述の通り、乱暴な性格であることも考慮に入れ
て。
住む環境が間逆なのである。
「いつから友達なんだ?接点無えぞ」
「二年前、夜に迷い込んできたのを助けてやってから、なんだけど」
「夜ぅ!?良いとこのお嬢さんが?」
彼は小さく頷いて、話を続ける。この少年も、その理由については知らないらしかった。
「で、それ以来必死に文字を勉強して、手紙を書いて、返事がきて、……」
「要するに文通してたと」
「そう!此処で会う予定なのにあいつ、来ないんだ」
「そりゃあ、ダブルで一大事だな」
背後でそう言ったのはリックである。顔に引っかき傷やビンタの跡があるところを見ると、どうやら
ふられた後らしい。周りが騒がしくなってきたが、気にしないのが良いだろう。
人々がばたばたと走り回る中で、彼らは暫く向かい合って黙り込んでいた。
「……いつから」
イアラがしらけたような顔で聞くと、最初から、と笑う。
「なにせたった今、そこの木陰でふられてきたんだからな!」
「ふうん」
「だからなんだよ」
一様に冷たい視線を向けられたリックは、それを取り繕うように笑った。
「今、連絡員の隠者が来たんだよ」
「連絡員ー?なんで?」
「え、ほら今の騒ぎだよ。若いのが十二、三人図書館に立てこもってんだと」
「はぁ――、それを私らでなんとかしろと?」
「一個小隊出すのも面倒がってんだろうよ、向こうとしては」
「は。……いい迷惑だぜ」
イアラは呆れ顔でため息を吐くと、リュークの方をみた。帰れよ、と声をかけたが、動こうとしない。
「危ないぞ」
「イアラだって」
「わたしは良いんだ。強いからな」
リュークはきっぱりと言い切ってはばからない少女を睨みつけた。どう見たって同い年に、もしくは
それ以下にしか見えないこの少女の、何に自分が劣るのか。まして自分は少年で、少女である彼女は力
では彼に勝てないに決まっているのだ。そんな思いが、当然、生まれた。
睨みあっていた彼に、イアラはさらに厳しい視線をぶつける。リュークが一歩退いたのを確認すると、
つまらなさそうに目を逸らす。
「お前は来るな」
リックは少しだけ驚いたような顔をしてそれを見ていた。彼女の者でないような、いつもよりも低い
声。どうあっても連れて行きたくないのだろう、彼女は。
「リュークはきっと死ぬから」
「しっ―――死ぬもんか!」
リュークはなおもイアラを睨んだが、彼女はもう興味を無くしたように、それを振り返ろうともしな
かった。自分程度に圧倒されて引き下がるのなら、大勢にあの目を向けられたら彼は踵を返して逃げ出
すに違いないと思ったのだ。
イアラは背を向けたままこの程度か、と残念そうに頭を振り、リックに向き直った。
「詳しい状況は」
「いいのか?」
「言ったって聞きゃしねえよ」
「寝かしつけりゃいいじゃねえか」
少女の視線が、リックのそれと重なる。彼なりにイアラを心配しているのがわかったが、敢えて目を
逸らすと図書館を見上げた。
それから思いついたようにリュークを振り返り、皮肉に笑うと再びリックを見上げ。
「どうせびびって逃げるだろ?それまでならせいぜい”守ってやる”さ」
苦々しい言葉が、暗に帰れと促す。リックには、ショウを喪ったときの彼女の姿が思い出された。そ
れとも、これは感傷だろうか?
視界の端で悔しげに拳を握り締めている少年を、少しだけ哀れに思うのだった。




