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五話

      5


「下の隊は陽動か」

 崖の下を見下ろし、ガラフがぽつりとそう言った。リックはその後ろで椅子

に腰掛け、どこから持ち出したのか酒瓶を開けながら肯く。

「で、敵さんが十分疲弊したころにオレらの隊が叩くんだとよ」

「……あいつは」

 ガラフが消え入りそうな声で呟くと、リックは顔を上げて意地の悪い笑みを

浮かべた。ガラフも気づかないわけではなかったが、あえて何も言わず。

 親友の口は相も変わらず皮肉のような、下品なジョークを飛ばすのだろう。

「やけにご執心だな。寝心地が良いのかい?」

 身も蓋もない話である。……第一、それはいろんな意味で犯罪なのではと、

思っても言わない。面倒だから否定しない、というか反応しないのがこの大男

なのだった。

 ガラフが特に動じていないのがわかると、リックはかわいくねえなと肩を竦

めた。しかし黙り込んだところでなにかすることがあるわけでもなく。

 仕方なく開けたばかりの瓶の中身をグラス二つになみなみと注いでガラフの

ところへ持っていく。そこで、彼が話すのを聞く。

「貴様も知っているだろう。あいつはまだうなされる」

「まだ……ねえ。俺らだって軽く一年はそうだったろ?」

「……知らん」

 ガラフは何気なくその手からグラスをひったくると、一気に飲み干してそれ

を崖下へ投げ捨てる。それは一番下に届くことなく空中で砕け、結界が切れて

いないことを二人に知らせた。

 月明かりに反射する破片がまるで星屑のように落ちていく。

「お前さ、あいつをどうしたいわけ?」

 リックの問いに振り返り、黙り込む。

 ――自分はあいつをどうしたいのか。

 こうして、戦地に連れて行くのが正しいことなのか。そう考えることは確か

にあった。

 半年以上かかって取り戻した感情を再び磨耗させるようなことを、それがた

とえ本人の望んだとこだとしても?

 その上、ガラフは言ったのだ。暗にだが、『護ってやろう』と。それは、彼

の感情にはなはだしく矛盾しているように思えた。イアラほど、ガラフが疎ま

しく思う人間は居ないのだから。

「……期待、か。奴が諦めるのを待っている―――」

「軍人として生きるのを?――無理だね!」

 リックはきっぱりと言い切るとガラフを見上げ、そのシャツを掴んで自分の

ほうへ引き寄せた。

 こんなときも彼が表情を変えないのが、無性に悔しかった。

 リックは、それに対しここぞとばかりに皮肉な笑みを浮かべてみせる。不快

感の現れであることは確かなようだった。

「ガラフはあいつをどん底から、もうちょっと上のどん底に引っ張り上げただ

けだ。道ずれならオレ一人で充分だった」

「……」

 ガラフは無言でその手を払い、再びあいつは、と呟いた。

「答えを聞いていない」

「陣営に戻ってないそうだ。リリア=クレイもな」

 リックはそう言うと、自分もグラスと瓶を崖下に投げ捨てる。同じようにそ

れらが粉々に砕けるのを見ながら、リリア=クレイはどうなんだろうな、と、

ひとりごちた。

 ガラフも崖の下に視線を戻し、さあな、と答える。

「オレたちには故郷など無いからな」

「案外リリアがイアラを――」

 彼が言い終えないうちにガラフは踵を返して歩き出す。椅子にかけてあった

マントを羽織りなおすと、テントの前で足を止め。

「……だったらなんだと言うんだ」




「リリアは、敵なのか?」

 イアラが、ぼそりとそう言った。リリアはぴたりと足を止め、イアラを見下

ろす。その空色の瞳に、恐慌が影を落とした。

「どうして、そう思うの?」

「中央の塔に向かってる……から。リリアは、わたしが、戦えない場所に……

つれて行きたいん、だと思う」

 言葉がとぎれとぎれになるのは、熱が上がっているからか。リリアはほんの

少しの焦りを感じて、足を止めた。

 思っても居ないとっぴな言葉が、口をついて出てくる。

「逃がしてあげようか」

 イアラはそれを困り顔で見上げた。リリアにとってそれは有益ではないし、

何より、自らを敵だと、裏切り者だと認めたその言葉が、胸を抉るようで痛か

った。

「わたしはリリアの家族を殺すよ」

「あたしはイアラの仲間を殺すわ」

 リリアの言葉に苦笑する。

「どっちにしろ楽、には……死ねないな」

「イアラ、あたしは」

「わたしは、ずるい奴だ。リリアの、仲間に、なれないくせに、リリアの、敵、

にも、なりたく……ないんだ」

 リリアは悲しげな表情でイアラを見下ろす。

 湿った土に、水溜り。どこにいるとも知れない敵。まだ治りきっていない怪

我。そして動けないイアラ。回復したら、きっと軍の強い戦力としてこの村を

殲滅するであろう、重剣士。

 それでもこんな悪環境の中、このまま置いて行けばいずれかの要素が必ず彼

女を殺すだろう。しかしリリアには、イアラを置いていく勇気など無く。

「イアラは”これ”がどんな行為か知らないんだよ。あたしは……こんなこと

になると知ってれば、イアラと友達になりはしなかった。こんなものを、あん

たに見せるつもりじゃ、なかったのに」

「リリア?お前ら、一緒にいたのか」

 イアラが、ぎくりと体を強張らせる。背後からの声はショウのものであった。

安堵を覚えてもおかしくないその状況に、しかし彼女は奇妙な胸騒ぎを感じた。

 そんなイアラの不安をよそに、リリアは振り向いて笑う。

「うん。聞いてよ、イアラってば熱出して倒れてたのよ。今から陣営に連れて

行こうと思ってたの」


 ……嘘だ。


 顔を上げたイアラを、リリアの冷え切った目が見下ろす。ぎりっと歯軋りす

る音と同時に、喉に強烈な違和感を覚えた。

 そのことにも不安を掻き立てられ、彼女の服を強く握る。ショウはそれを、

疲労のせいで弱気になったのだと解釈したようだった。小さく笑って、少女の

頭を少し乱暴に撫でる。

「様無いな、イアラ。一緒に行こうぜ」

「ちゃんと守ってよね」

 リリアは事も無げに笑って返すが、陣営と中央の塔は真逆の方角である。つ

まり今まで進んでいた方角に塔があるならば、ショウは来た道を引き返す必要

がある。

 無邪気に笑って二人に背を向けたショウの後姿に、リリアの右腕が伸ばされ

る。

「……ッ!」

 イアラがショウに声をかけようとして開いた口から、言葉は出なかった。喉

につかえて、言葉として形作られる前に消える。両手で喉を押さえたイアラに、

小さくリリアの謝罪が聞こえて、やっと自分が何をされたのかを悟った。

 言葉を、封じられたのだ。その感覚は、暫く言葉を失っていた頃に似ていた。

 声が出せないもどかしさに顔を歪めてリリアの腕を弱々しく掴んだ両手は非

情に振りほどかれてしまう。

「―――っだ、め……っ」

 やっとの思いで搾り出した声も空いた片手で塞がれ、再び歯軋りの音。

 一瞬躊躇したらしかったが、リリアが右手を握り締めるのと同時に、ショウ

の頭もぐしゃりと嫌な音を立てて潰された。四方八方に紅く放物線を描いて散

っていく血液の軌跡は彼岸花にも似て、イアラは彼の体が崩れ落ちるのを呆然

と見つめ――自分の頭を抱えるようにして大粒の涙を零した。

 ――声は、出なかった。

 リリアは弱々しく足掻くイアラを押さえつけ、踵を返して走り出した。中央

の塔へと向かっている間中、親友の嗚咽を聞くのが怖くて、術を解くことが出

来なかった。

 ―――これは、偽善だ。

 そんなのは、わかっているのだ。


 リリアは走りながら歯軋りした。術ではなく、行き場の無い感情を少しでも

発散できるように。




 白い室内に、明り取りの為に石の壁をくりぬいただけの窓。

 目がさめて最初に目に飛び込んできたのはそれだけの景色で、此処がどこだ

か思い出すのにも少しの時間を要した。イアラはここが中央の塔だということ

を思い出すと、ベッドに寝ていた体を起こす。熱は、あらかた引いているよう

である。

 窓の外は曇ってはいるが朝、ということは彼女は一日眠っていたわけか。ち

ゃっかりそれだけの睡眠を採れている辺り、実は自分はとんでもない剛の者に

違いない。

 ショウのことを思い出して、両手で顔を覆う。

「……リリア」

「かなしいの?」

「ああ」

 聞こえた声に反射的に答えてはっと後ろを振り返ると、森で会った隠者が窓

に座り、足をぶらぶらさせているのが見えた。どことなく哀しい目をして。

 彼女は暫く俯き気味にそうしていたが、不意に顔を上げてイアラを見下ろす。

「……もり、しんじゃった」

「わたしの友達も死んだよ」

 そう言うとベッドに座っていた体を後ろ向きに倒し、両腕で目元を覆う。

「…………失せろ」

「あのね、ぁの、」

「いい加減にしろよ、消されてえかよ!」

「ぁ……」

 隠者は怯えたように縮こまったが、イアラはそれを見ると消え入るような声

でごめん、と呟いた。体を起こし、隠者に向き直る。

「手伝え。ここから出たい」

「いぃの?」

「リリアはわたしを、もう仲間とは思ってないから」

「しんじてる?」

「まさか」

 笑って返す。

 いつものように明るい笑顔が出来なかったのは、きっとまだ気分が沈んでい

るからだろうと、自己解釈。

 自己解決。

 ……欺瞞。


 ショウの死を無駄にしないとか、言えない。わたしは何も出来なかったから。

 リリアを今でも信じてるなんて、言えない。わたしは敵でしかないのだから。


 扉は未だ、重く閉じたままである。




「結界が消えた」

 リックの声を聞くと、大鎌を抱えて眠っていたガラフはすぐに目を覚まし、

立ち上がる。

 下の隊はほぼ全滅。

 そんな報告から丸一日が経っていた。

「出る」

「そう急くなよ」

 振り返ると、リックが銃に弾を詰めているのが見えた。司令官が現場に赴く

のもどうかと思うが、あえて口にはせず。

「お前はイアラをさがすんだろ?他のところの指揮も必要だろうが」






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