四話
4
鬱蒼とした森の中に身を隠し、兵士達はその村を見ていた。
その村は森から北のほうに広がる盆地に造られている。村の奥には切り立っ
た崖がそびえ、村の四方――東西南北を囲むようにして4つの塔がある。何の
ために造られたものかは知らないが、かなり目立っていた。その対角線上にも
ひときわ高い塔が建っており、恐らくはそれらの塔と森の中で戦うことになる
のだろうと予想された。
「なんか……すぐに終わりそうだな」
「どうだか」
イアラは心底嫌そうな顔をしてそう言うと、肩を竦めて見せる。不審そうに
見下ろしてきたショウに、此処は術士たちの村だぞと言い返して憮然とする。
「この情報が、向こうに渡ってないはずない」
功を急いだのか血の気の多そうな兵士が一人飛び出していったのを、イアラ
が無言で指し示す。
村人らしき女に掴みかかった彼の四肢が四散したのを見て、呆れ顔でほらな、
と呟いた。つまり、彼らはあらかじめ知っていて、それでもなおこうしてのん
びりとしていられるような策を持っているのだと言ったのだ。イアラは。
そこに居た全員に緊張が走る。耳に痛い沈黙の後、やがて一人、また一人と
弾かれたように立ち上がっては突撃をはじめる。やがてどこからか現れた人間
――恐らくは村人だろう――と戦闘になったのを見てショウまでもがそわそわ
し始める中、ただ一人彼女だけは冷静にそれを見ていた。
見たところこの隊には古参の兵士が一人も居ない。自分で戦況を見極めなく
てはならないという事実に恐れをなして震える両手を力強く握り締める。
それでも拭えぬ重圧は笑ってごまかした。
「……わたしたちは、捨て駒かもしれない」
「イアラはガラフの相棒だろ?」
ショウの言葉に嘲笑で返し、イアラは前を向く。
「こんな小娘があいつの足元にも及ぶものか。上層部の奴らはそう考えてるん
だろうさ。どうせ女なら、色気があって可愛げがあるほうがジジイどもの好み
なんだよ」
そこまで言うと、もう周りにはほとんど誰も居ないというのに、彼女はもっ
と声のトーンを落とした。
「……リリアのことだって、泣きついて、頼ってくるのを待ってんだよ、あの
下衆どもは」
ショウははっと顔を上げ、なんともいえない表情で口をつぐむ。
イアラの精悍な横顔が、一瞬彼を見上げる。
「行くぞ」
走り出したイアラは後からショウの足音を聞いて、安堵している自分に気づ
いた。同時に今までの不安が全て、ガラフが居ないことに起因するのだと言う
ことに気づき、ばつが悪そうに頭をふる。
横から突き出された剣を払い、その胴体を横薙ぎに切り裂く。逆方向からの
攻撃に舌打ちしながら大剣で受け止め、叩き潰した。大して血を流しもせずに
内臓をぶちまけ、倒れていく相手に違和感を感じた。
振り返ると、ショウは応戦に必死で聞いてくれそうには。無かった。なによ
り、自分も言いたいわけではないので、黙っておく。
殴りかかってきたものを殴り返し、倒れた胸に飛び乗ると、その喉に短剣を
突きたてた。硬い手応えと共に、骨を砕く、音。
相手の青白い顔と無表情が癇に障った。
耳元で風を切る音、それに気づいて上体をひねって避ける。さっきまでイア
ラがいた位置、喉を砕かれた男の肩に槍が突き立てられる。振り返りざまにそ
の喉から短剣を引き抜き、槍を持った少女の額めがけて投擲。前のめりに倒れ
てきた彼女の背中を盾に、矢をうけた。
そこで初めて、イアラは自分たちが囲まれて背中合わせで居るのに気づくの
だった。
「他の兵士はどこ行っちまったんだ!」
背後のショウに怒鳴ると、静かな声が返ってくる。
「多分、同じような戦法で追い詰められてるんだ。……ところで、イアラは気
づいたか」
なんだよ、気づいてやがったのか。
イアラは舌打ちすると、ああ、とぶっきらぼうに返す。
「あいつら、死人を操って戦ってやがるんだ。だから、生きた人間の犠牲は最
小限に留められる。畜生、分が悪すぎんだよ!」
「お前、なんでそんなの知ってるんだ?」
「リリアが言ってた。術士の戦い方は汚いんだよってさ」
「…………そっか」
イアラは構えている死体人形の群れを見渡す。これは――相当なプレッシャ
ー。
ぎりぎりと弓の引き絞られる音を聞きながら、ショウの服を引いた。
「振り返らずに行け。いいか。
――右だ!」
同時に宙を裂く音。間一髪で逃れると、右に行くのに邪魔な者だけを打ち倒
して、その先の民家へ転がり込んだ。乱闘の跡はあったが、良い砦である。そ
の戸口、右と左に分かれてイアラとショウが外を窺う。
どうやら、相手方もこちらの出方を窺っているらしかった。
「ショウならどうする」
「潔く死ぬ」
「バカ、お前。最高」
イアラは苦笑しつつ再び外を見る。それから鋭い目で、見つけた、と呟いた。
「……術士か?」
「見えるか?あの、でっかいオヤジの隣。あんなに血色が良いんだぜ」
ショウの表情が、引き締まる。
「援護頼む」
「ったく、ここまで巻き込んどいて頼むってどうよ」
「しっかりしねえと、てめえも道連れだぜ」
イアラがにやりと笑うと、ショウは舌打ちしてわかったよと肩を落とした。
彼女はそれを確認すると、大剣を構えなおして戸口から飛び出した。大群が
襲ってくるのもほぼ同時。イアラが斬り、叩き潰すより余計に死体人形が倒れ
ていく。ショウはしっかり援護してくれているらしい。
後ろから斬りかかってきた少年を貫き、地面に刃を突き立てると、再び引き
抜いて―――抜けないッ?
イアラが左からの拳を受け流して投げ飛ばし、見ると剣は氷でしっかりと地
面に縫いとめられていた。
「くそっ」
大剣を盾に上手く応戦しながら、大分減ってきた死体人形の隙間に、術士ら
しい男の姿を見つけると、はっと自分の足元を見下ろし、絶句する。いつの間
にやら足まで剣と同じに凍り付いていた。
襲い掛かってきた死体人形の短剣を奪い取って斬り捨てると、直後ま迫って
いた術士の刃が風を切った。なんとか避けたイアラの頬を掠めて短剣は空を切
る。
再び頭を狙った刃は一度銃声と共に軌道をそらされ、イアラの肩当ての上を
滑って首を目指す。
イアラはそれを噛んで止め、その手に持っていた短剣で相手の胸を突いた。
顔に掛かる血が生温かくて、吐き気がした。
後ろから走って来たショウと、崩れ落ちた死体人形を見つめて、ため息を吐
いた。
「大丈夫か、イアラ?」
「口の中ちょっと切った。あ、ありがとうな、援護」
「あ?ああ――」
ショウは少しだけ恥ずかしそうに頭を掻いた。間に合わなかったらどうしよ
うっておもったよ、と、年に相応の笑みでイアラの頭を撫でる。
イアラもむっと照れたように顔をしかめたが、それを甘んじて受けると改め
て周りを見回した。
「あとは全森か塔の中――か」
「気が滅入るな」
「まったくだ」
イアラも同意すると顔を拭おうとしたが、レザーグローブがぬらりと光って
いるのを見ると、やめた。
「ショウ!」
イアラの声に振り返り、ショウは後ろから斬りかかってきた男の頭を銃で殴
り、撃つ。
もう既に彼の息は荒く、正常な思考判断力もどこかへ飛びかけていた。
すぐに終わるはずは、無い。
術士たちは持っている術や知恵のすべてを使って反撃するからである。イア
ラは襲ってくる死体人形をすべて斬り終えると、小さく息をついた。
「大丈夫か?」
「あ、ああ。オレ、もう何人殺した……」
「二人だよ。大半は死体だからな。……ちっ、胸クソ悪りぃ」
嫌悪感を顕わにした顔で、足元に転がっている首を見下ろす。文字通り血も
涙も無い死体人形。ひどく、気味が悪いと思った。
背後でぎしっ、と音がしたのに気づいたショウがまたかよ、と振り返ると、
大木がその枝を振りかぶっていた。慌てて間一髪でそれをよける。間髪入れず
襲い掛かった第二撃をイアラの大剣がうけた。刃のように研ぎ澄まされた枝と、
切り結んだ。
だが、手応えは軽い。
「近くに居る」
ショウが頷いたのを確認すると、イアラは枝を払うべく大剣を振るう。きん
っ、と澄んだ音を立てて枝と刃が離れた。少女は逃げようとした大木の幹を大
剣で叩き折ると、一歩、下がる。
上下に切断された大木の上部が宙に舞うのにまぎれて放たれた矢を斬りおと
す。
術士は焦っているのだろう、今の攻撃で何処にいるかイアラに把握されてし
まう。
「ショウ!東――うわっ!?」
叫ぼうとしたイアラの左足をその足元にあった血だまりが斬り、裂いた。シ
ョウは倒れた彼女を焦りに満ちた目でちらりと見ると、東に向かって引き金を
引いた。悲鳴とともに空間が波打って砕け、その向こうで女術士がわき腹を押
さえて倒れるのが見えた。
止めを刺そうとした彼の手を、怯える女術士の目が停めた。哀れっぽい目に
ショウが戸惑っていると、女術士は倒れて起き上がれずに居るイアラをちらり
と見て、口元を吊り上げた。
身の危険を感じたイアラは転がって木の根の一撃をよけ、立ち上がろうと奮
起する。
「!イアラ―――」
「……っ、畜生、撃て!」
我に却って銃を構えたショウの手はしかし、どうしても引き金を引けずに居
た。
「ショウ!頼むから――これじゃホントにただの捨て駒になっちまう!」
捨て駒。
ぞっとした。
「――……ぅ、ぁぁああああっ!」
銃声。
「……大丈夫……じゃないよな」
イアラはすまなそうにそう言って、項垂れた。ショウは苦笑すると、いいよ
と首を振った。足元にある女術士の凄惨な屍を見下ろして、初陣の時のイアラ
の気持ちがわかったような気がしたのだった。
「で、悪いんだけどさ。ショウ、ちょっと、これから別行動取ろうぜ。足を休
めたいんだ」
ショウは何か言いたげに口を開いたが、結局何も言えずに、わかった、と呟
いただけだった。……そんなに足手まといになるのが嫌かと。
ガラフ以外の人間を頼りにはしてくれないのかと、言いたかった。
――最っ低。
少女は一人、塔の中に立ち尽くしていた。 腰まである金の髪はその瞳と同
様に光をなくし、握り締めた両の拳は下ろされている。彼女が手を開くのと同
時に同僚だったものの残骸はさらさらと風化していく。
リリアの瞳には決意。従えるのは大勢の死体人形。
その先頭に立つそれは、まさしく村長であった父の。
状況だけ見れば、もうこの殲滅戦は終わっているといってよかった。
状況だけ見れば、の話ではあるが。
イアラはショウと別れた後、適当な木に背中を預け、ずるずるとその場に座
り込んだ。これしきの傷と放っておいたのが原因か、足の傷はだいぶ悪化し痛
みを増し、熱まで持ちはじめているようなのだ。
何より、動かしたときの痛みといったら、本当に泣きたくなった。
「どーしたのぉ?」
明るい笑い声に視線を落とすと、一人の隠者がくすくす笑いながらイアラを
見上げていた。
隠者は森に住み、悪戯好きで、薬学などに長けた種族である。妖精と良く似
た体躯と、蜻蛉に似た羽根が特徴的で、身の丈はおよそ三十センチ程度だろう
か。
森の賢人達とも呼ばれ、人を惑わし、気に入ったものには先に待つ危険など
を忠告する者なのだといわれている。
「けがいたい?なおしたげよぉか?」
「うるさい。失せろ」
「だめぇだよ、こどもがこんなところにいちゃあ。あたしのおぅち、こわさな
いでよ」
「……るせぇ、ってんだよ。わたしは今機嫌がわるいんだ」
耐えかねたイアラが大剣に手を伸ばすと、隠者は急いで姿を消した。
次いで人の、足音。
「イアラ?なにしてるの、こんなところで」
聞きなれた声に顔を上げると、リリアがイアラの顔を覗き込んだ。イアラは
少しだけそれが敵でなかったことに感謝しつつ、曖昧に笑った。
リリアははっと顔をしかめると、傍らに膝を折ってイアラの顔を覗き込む。
「顔真っ赤よ。熱があるみたい」
叱りつけるようなその目を困り顔で見上げると、イアラはすぐに大丈夫だか
ら、と立ち上がった。やはりリリアに心配されるのはどうも慣れないらしい。
そんなイアラの気持ちなど知ったことかとばかりに、リリアは眉を寄せて彼女
の肩を押す。当然イアラは左からバランスを崩し、倒れた。
思いっきり泥の中に倒れこむと、体を起こしてリリアを見上げる。
「なにすんだよ!」
「血の匂いがするの。怪我を隠してるでしょう」
「ねえよ!此処は戦場だぞ、血の匂いなんざいくらでもするし、さっきこけた
のだってびっくりしただけで――」
「周りには死体も怪我人もないわよ」
「ぐっ……」
口ごもったイアラは暫く彼女と睨み合うと、降参、と両手を挙げた。
軍靴を脱ぎ、七分丈のズボンをまくったイアラの左足を見たリリアは小さく
悲鳴を上げた。
「酷いよ、イアラ!壊死寸前よ、どうしてこんなに放っとくの!?」
「ご……ごめん(えしって何だ?)。――リリアにはいつもほんと悪いって思
ってるよ。いつも、あの……”アレ”んときもさ、ほんとありがとう」
「上官のリンチ?あれ、どうなったの?」
「声がでるようになってからめっきり。お陰で礼参りの機会がなくてさあ」
イアラがもっともらしくため息をつくと、リリアは明るく笑った。
「休めるとこ、探さなきゃね」
難なくイアラを抱え上げ、歩き出す。明るく振舞っていても所詮は怪我人で
病人。抱えた体はぐったりしていて、元気が無かった。それがやけに、リリア
には悲しく感じられた。
――あたしは、これから、
「リリア」
「えっ?………あ、なに?」
途中で思考を打ち切られたリリアはあたふたとイアラに視線をもどす。
「ほんと、ごめんな。心配かけて。……感謝してる」
「気にしないでよ。イアラは軽いし、小っちゃいしー」
意地の悪い笑みを浮かべたリリアを見上げ、イアラはむっと顔をしかめた。
どうやら幼く歳に合わない外見は少なからずコンプレックスのようである。
それに対して素で笑ってしまいながら、リリアは思考をもとに戻した。
――こんなところで、イアラになんか会わなければ良かった。
「………イアラなんて、大ッ嫌いよ」
イアラには聞こえないような声で、そう、独りごちた。他ならぬ自分に言い
聞かせるように。




