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三話

      3


「しっかし、あの程度のところにお前らが出てくなんて、うちの上官って莫迦なんじゃね?」

 リックが明るく笑う。あれから帰ってきて二週間程になるが、ガラフもリックもそれについて、イアラの前で話したのはこれが始めてかも知れない。

 彼女に気を遣ってのことなのだろうが。

「早々に引き上げたかったんだろ」

 イアラは律儀に返事を返すが、ガラフは半分無視している感がある。

 イアラにしてみれば、この二人が親友であるゆえんも根拠も、全くの謎である。

 周りからしてみれば、そもそもこの三人が仲良く歩いている時点で大いなる謎――異様、もしくは怪奇――なわけだが。

 寡黙で常に無表情な大男ガラフ=Gは、その実軍の最新兵器だという噂がまことしやかに囁かれていたり、無駄に眉目秀麗という言葉が似合う辺り、信憑性を増していたりする。本人の預かり知らぬ

ところで囁かれているデマには違いないが、失礼にもほどがあると言うものだ。

 もっとも、彼が今一番困っているのは道を歩けばどこからか寄ってくる女たちのあしらい方らしいが。

 その親友(自称?)であるリック=デュオは女好きで陽気な、ガラフとは正反対の性格をしている――割に自他ともに認める天才でもあるらしいが、イアラはその天才ぶりを未だに見たことは無い。

 そもそもそちらのほうがデマなのかもしれない。ただ、時折ガラフとまじめな話をする彼からは、

あるいは、と思わせる雰囲気を感じることがある。

 そしてイアラ=ノエルに至っては一年前入隊するまで彼らとは何の接点も無かった。どこかから連

れて来られた小汚い娘が、今はガラフ=Gの片腕である。

 確かに、その歳に似合わず幼い――五、六歳位か?実年齢は十四歳だか――外見や、とんでもない怪力――あの大剣が良い証拠――で、”異質”という点では通じるところが有るのかも知れない。

 見た目十歳にも満たないような少女が自分の身長の軽く三倍はありそうな大剣を片手で振り回す様も、死に神のようなガラフに負けず劣らず、見ごたえはある。

 彼女のそんな考えを打ち切るように、リックの声が覆い被さる。

「早く戦争終わらせるには何が一番早いか知ってるか、イアラ」

「さあ」

「どっちかがさっさと降伏すること。そもそもいざこざを起こさないことだ」

「……リックてさ、やっぱ莫迦だと思う」

「なっ! なんつーこと言い出すのかね君ってやつは!」

「……イアラ」

 珍しく咎めるようなガラフの声に彼を見上げ、立ち止まる。彼は目線をリックの方へ彷徨わせると、

 仮にも親友である彼を指差し、小さく呟いた。

「これは阿呆というんだ」




 イアラの住んでいるのは六六〇一兵舎B棟の八一一室である。だいたい兵士や戦士は一つの部屋に

何人かのルームメイトと暮らすようになっていて、彼女もまた広めの部屋に四人のルームメイトとと

もに住んでいる。

 そのうちの一人がショウ=ネフィス、彼女とは比較的仲の良い少年兵である。


「イアラは怖くないのか?」

「ん? 何が?」

 仕事帰りのだるい体を閉めた扉にもたせかけて彼がそう言ったのは、つい最近のことである。

 イアラの気の抜けるような返事に、ショウは一拍置いてガラフ=Gのことだよと答えた。イアラはそれに不思議そうな顔で返す。

「なんで? 怖いのか?」

 ソファに寝転がって本を読んでいたイアラが顔を上げ、ショウの方へ視線を泳がせる。廊下ですれ

違いでもしたのだろうか。

「怖いってか、近くに居るとすごい威圧感があるんだ。格が違う、っていうか」

「図体ばっかり無駄にでっかいもんな」

「や、そう言うんでなく!」

 ショウは顔をしかめたが、彼女はそれにも特に気付いていないようである。

 どうやら、冗談でなく本気でそう思っているらしい。

「死なない程度には守ってくれるし、特に暴力的とかでもないぞ。そんなに怖いかな?」

 ショウはあんまりな答えに黙り込み、二の句も告げずにその場に立ち尽くす。

 ダメだ。論点が激しくずれている。

 彼はひそかにため息を吐くと、無邪気な笑顔を覗き込んだ。

 そして、実は一番訊いてみたかったことを口に上らせる。

「じゃ、戦は?」


「怖いよ」


 即答だった。

 予想外の返事。あまりにも普通にイアラが答えたのを聞き、ショウは暫く唖然とせずに居られなか

った。怖くない筈はないだろうが、強がりの彼女が普通にそれを認めるとは思っても見なかったので

ある。

 たびたび悪夢を見て魘されているのも知ってはいたが、それとこれとは別なんだとでも言い張っていそうな、否むしろそちらのほうが彼女らしい気がした。

 ――それに、実際はショウ自身が、そう返答されることを望んでいなかった。

 そんな彼の考えを察してか、気の強い金の瞳が不愉快そうに細められる。

「……なんだよ、命のやり取りって怖いだろ?」

「そっか……? そうだよな、うん」

 言葉とは裏腹に、ショウの顔は少しばかり不満の色をたたえ。

 イアラはそれを少しだけ見つめ、再び本に視線を戻した。床に座り込み、ソファに背を持たせかけてショウは大きくため息を吐いた。仕事から帰ってきたばかりの疲れきった顔で、天井を仰ぐ。

 下っ端の雑務。

 事務処理。

 武器の手入れ。

 堪ったものじゃない。いっそ戦場を駆る方がどれだけ楽だろうか、そう思ってもいざとなれば震える手。怖気づく足。そんなわけで彼は、戦地ではろくすっぽ役に立たないのだった。

「あーあ。オレもでっかい戦果の一つも揚げてみてえよ」


「やめとけよ。良いこと無いから」


 いつもより低いイアラの声。

 ショウが反射的に彼女のほうを向くと、体を起こして彼のほうを見ていたイアラと、目が合った。目が合ったのに、その目が自分を見ているわけではないのを知って、ぞっとした。

 まるで、悪夢からまだ抜け出せていないときのような、昏い、底の見えない瞳。

 いつもの彼女からは想像もつかないような暗い表情に、何も言えなくなった。




「イアラ、おい。起きろ、バカ!」

「うん……何」

 翌日のことである。ショウに乱暴に体を揺さぶられ、イアラは寝ぼけている目を開いて、彼を見上

げる。ショウが、いつに無く必死な表情であるのがわかる。

「なにじゃねえ、オレたちの隊が村一つ殲滅することになってるらしいんだ」

「そんなん、珍しくないだろ」

 そう言って寝直そうとした彼女の両肩を掴み。


「リリアの故郷だぞ!」


「……は?」

 イアラは驚愕に目を見開くと、ショウの顔をまじまじと見上げた。

 リリアって、あのリリア?

 答えを求めて視線を彷徨わせるが、生憎といっていいのかショウ以外のルームメイトはおのおの仕事の為に出払っているのだった。よって、帰ってくるのは無音。質素な家具と程よく散らかった床ぐらいしか見つかる物も無く。

 ショウの顔を見上げても、冗談を言っているような顔ではなかった。むしろ、彼はそんな残酷なジョークを言ったりもしない。

 いても立っても居られなくなって扉に向かったイアラをショウが慌てて呼び止める。

「ちょっと、何処行くんだ?」

「リックのとこ。もっと詳しい状況を知りたい」

「そりゃいいけど、着替えろよ?」

「……え、ダメか?」

 ショウは盛大にため息を吐き、タンクトップだけのイアラの上からシャツを被せ、がくっと頭を垂れた。ため息とともに言葉をひねり出す。

「この……無精者! どんだけ女に餓えた奴が居ると思ってるんだ」

「大丈夫だって。私を女として見る奴が稀有だからな」

「……男色とか、ロリコンって言葉を知ってたほうが良いぜ」

 呆れ顔で呟いた彼に振り返らずに手を振って、イアラは部屋から出て行った。

 ――とはいえ実際のところは、

 ショウは顔を上げると頭を振り、机の上に放り出してあった新聞に手を伸ばした。真実が書いてあるのかも怪しいような超捏造新聞だったりするが、読む分にはなかなか楽しいのである。

 そして、中断していた思考をなんとなく思い返す。

 ――実際のところ自分だって、イアラを”おんなのこ”だなんて思っていないに違いない(薄着しててもときめかないし)。




「お前は関係ない。多分何のお咎めも無いだろう」

 リックはそう言うと、目の前の少女を見下ろした。少女――リリアは終始下を向いて自分の故郷の顛末を聞いていた。握り締めた両拳がわなわなと震え、先ほどの説明が彼女に与えた衝撃を物語って

いた。

 そんなのは嘘だと喚きたくなる衝動をぐっと飲み込むと、少しでも気を落ち着けるために自分から切り出した。

「あたし……どうすれば」

「さあな。オレも頑張ってはみたけど、上官のジジイ共が五月蝿くてな。お前も殲滅隊に入れられる可能性が高い」

 そこで初めてリリアが顔を上げる。瞳には絶望。

 彼女は小さく息を吐くと、何の前触れも無くリックの頬を叩いた。自分の暴挙を理解してすぐにその手を引っ込め、少し迷って再び振り上げた右手を後ろからガラフにつかまれ、苦々しい表情でそれを見上げた。

 やがてその視線はガラフからリックの方へ戻る。

「……ごめんなさい」

 項垂れて、謝罪とともに踵を返して歩き出したリリアの手を、ガラフは無言で放す。走り去ろうと

した背中に一言、すまない、と聞こえた。

 そんなの聞こえない振りして、扉を閉めた彼女を見送り、ガラフはリックに視線を戻す。

「……だから、貴様は阿呆だというんだ」

 友人の言葉に、リックは苦笑した。


「……あ」

 ばったりと廊下でリリアと出くわしてしまったイアラは、彼女を見上げ、立ち尽くした。

 ――どうしよう、かける言葉が。

 見つからなかった。

 イアラの心情を察したのか、リリアは少女の頭に手を乗せる。

「大丈夫よ。イアラがそんな顔、しないで」

 それだけ言って哀しげな笑みを残して走り去った後姿が、やけに寂しかった。

 追いかけたい足は意に反して床に縫い付けられ、彼女が動くのを許さない。イアラは、胸の奥が暗

く湿っていくのを感じた。

 ――こうしてまた、わたしは独りになるのか。

 こうして離れていくのだと、不安が、胸を過ぎった。




 不景気そうな町並みが、流れていく。灰色の町並み、中央街外れ(セントラル・ラヂ)のスラム。

貧困層の群れは無謀にもこのトラックを襲う算段を立てているようである。

 早くも無く遅くも無く、荷台が規則正しく揺れる音が、かなり耳に障る。その揺れ方と言うのも、わざとやっているのかと怒鳴ってやりたくなるほど緩慢で、乗っているだけで気分が悪くなった。

 後方にも五台ばかり同じようなトラックが走っていて、町の人間がまたかと心配そうな視線を送っている。

 イアラ達の乗っているトラックの荷台の運転席側半分には大量に火薬や銃の類が積んであり、それが時折跳ねて箱から零れ落ち、甲高い音を立てる。

 後ろ側半分には同年代くらいの若い兵士が大勢。やや間を空けて座り、面々に話したり武器の手入れをしたりしており、隅の方ではリリアが俯き気味に座っている。

 イアラはあえてそれから目を逸らし、隣で青くなって震えているショウに大丈夫か、と声をかけた。

「……大丈夫。イアラは?」

「多分な。わたしは強いから」

 今回、ガラフは別働隊なので一緒には居ない。少しの不安を押し殺すようにして笑うと、ショウは気分を害したのか、舌打ちして顔を逸らす。

「……あいつ、今どんな気分なんだろうな」

 彼の視線の先には、俯いて座っているリリア。イアラは解からないな、と哀しげに目を伏せる。

「自分の家族を殺したことなんて、ないからさ」






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