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三話

 なのに、何度だって聞くんだ。あのひとは。


「シンは、どうしてあんな雪の中を歩いていたの? 家族はいないの?」

「にげてた。かぞく……って、なに」

 何度目かの質問に、シンはため息混じりに答えてから聞き返す。家族、という響きの言葉は少なくと

も今まで聞いたことがなかった。

「シンを生んでくれた人とか、育ててくれたひととか」

「知らない………いつのまにか一人だったから」

 生活に必要なだけのことは知っていて、大して不自由なことは無かった。動物を狩るだけの運動能力もあったし、人を狩って金を稼ぐだけの戦闘能力も十分だった。

 ……この、忌々しい黒髪と緑の目さえ隠せれば。

 ラキスは失言だったかと口を噤み、ごめんなさいと呟いて俯いた。

「そんなの、気にしない」

「えーと、えーと……もう、可愛げの無い子ね!」

 ラキスが顔を赤くしていつもの調子に戻ったのがわかると、シンは少しだけ表情を和らげた。人の気配に気づいて、玄関を指差す。ラキスは暫く何のことか量りかねているようだったが、チャイムの音に

振り返って走っていく。ちらりと彼を振り返ったその目に、少なくとも負の感情は浮かんでいなかったように思う。

 シンは窓の外をしきりに確認していた。

 しんしんと降っている雪はしかし、景色を隠すほどではない。外の風景には、誰もいないようであった。

 あの商人はなかなか野心家のように見えたが、期待が外れたか。ならば今日は諦めるべきか。

 考え込んでいると、ぱたぱたと軽い足音と共にラキスが戻ってくるのが見えた。大きな黒い袋をどさりと台の上に下ろすと、少年に向かって嬉しそうに笑う。

「大物のお肉が取れたんだって。今日は久々にここが食堂として機能するわ」

 シンは暫く困惑した表情で、鼻歌を歌いながら大きな肉を皮袋から引きずり出す彼女を見上げていた。ラキスはシンが状況を飲み込めていないことを理解すると、ここは公共食堂なのだと付け足した。

 彼は、最初にこの台所を見たときから引っかかっていたことの真相がわかると、再び辺りを見回し

た。

 この食堂がやけに広いのも。玄関が二つあるのも。食器が多いのも。全部、ここが共有のものだったからなのだ。そう思うと、昨日までの変な不信感が、いかに馬鹿らしかったかがわかる。きっと、まだ

他人への不信感が抜けないだけなのだ。怖がりすぎているだけなのだ。きっと。

 今度は、今度こそは信じることも重荷にはならない。



 夕食には、商人も招かれていた。

 夕方になると村人たちが夕食の準備を手伝ってくれたが、女たちから厨房を追い出されると、苦笑いする男たちと話をし、撫でられ、小突かれたりしながら食卓を整えた。

 フードを取りたくないと言うと無理に外さず、何の詮索もせずに笑う。そうしているうちに、どうもシンは人に見せられない大怪我を負っていることになったらしく、みんながきっと良い女が見つかるさ

とか、負けないで生きていけとか良くわからない慰めの言葉を言った。

 シンはそれが、嫌だとは思わなかった。

「ああもう! なんで男ってのはこんなにがさつで大雑把なんだろうね!」

 調理を終えたらしい、恰幅の良い女が声を荒げる。本気で怒っていなさそうな声に、笑いが起こった。どうも、テーブルクロスにしわが寄っているのが気に入らないらしかった。

「…………なんだろう」

「うん?」

 いつのまにか隣に立っていたラキスが、シンの呟きを耳聡く拾うと、首をかしげる。

「なんか、なんだか。変な感じがする。嫌じゃなくって、もっと。もっと」

 抑揚の無い声が、壊れた機械のように繰り返すそれは、どうも負の感情でないことを悟ると、嬉しそうに笑う。一方でシンは上手く言葉に出来ないのがたまらなく悔しかった。

「嫌じゃないのね?」

「うん」

「じゃあ、それで良いじゃない」

 シンは頷くと、おずおずと歩を進め、椅子に座る。向かいの席では、商人が質問攻めに戸惑いながらも嬉しそうに、国の北部の様子やそこで起こった出来事を面白おかしく話していた。

「そりゃあもう、でっかい木が綺麗に真っ二つに割れてて……お。昨日のお嬢さんじゃないか?」

 商人は彼に気づくと、親しげに笑いかけてきた。無表情でシンが頷き返すと、共に準備していた男た

ちがぎょっとしてシンのほうに振り返った。

「お、女の子?」

「え……男の子なんですか? 綺麗な顔してるからてっきり」

「ええ? うそ、そうなの? 見せてよ」

 女性陣も嬉しそうに立ち上がり、同時にその伴侶らしい男性陣が渋い顔でシンを見下ろした。

「いや! 頼む、夫婦円満のために見せないでくれ」

 突然自分が話題の中心になったのを悟ると、シンはフードを両手でずりさげて下を向き、押し黙る。こういう風景にはとことん無縁で、どう対処していいものかわからずにいる彼の周りで、可愛い、と嬌

声が上がる。

「怯えてるわよ、やめましょうよ」

「本当にどっちなのかしら」

「いや、男だ」

「でも商人さんは顔を見てるんでしょう?」

「ぐ……」

「坊や、何にもしないから顔を見せて?」

「あはは、竦んでるって」

 笑い声の中、内心右往左往するシンの目の前に、静かに細い手が置かれた。

「どっちでもいいじゃない。家の子を怖がらせるのはやめてくださる?」

 しん、と場が静まり返る。

 ラキスだった。



      



「お疲れ様だったね」

 食器を洗いながらラキスが笑う。シンは机に突っ伏していた身体を起こし、肯いた。

「慣れてないんだ。話すの」

「そのうち慣れるよ。いい人ばかりだからね」

 シンはその言葉を聞くと、影の差した瞳を下に向ける。

「最初は、誰だってそうだよ」

 信用してもことごとく裏切られてきたシンにとって、それだけが真実で、それこそが紛れも無い人間の本質なのだろう。否、実際には、彼の見方のほうが正しいのかもしれない。

 しかし、少なくともラキスはそう思ってはいなかった。

 王も人も分け隔てなく接することが出来たなら。そう、思っていた。

「でも、そんな考えは悲しい。私はシンの味方になれない?」

 ならないで。

 その一言を、シンは飲み込んだ。

 ならないで。信じることは、それでもまだおれにとって重荷だから。

 言おうとした言葉が喉につっかえて、答えに窮すると、仕方なく踵を返して台所を後にする。後ろ手に扉を閉めると、その家の中では長めの廊下を見下ろしてため息をつく。

 自分の部屋に戻る途中の窓の外、今夜もしんしんと降り、積もるであろう雪の中を歩く商人の姿を見つけると、誰にともなく頷いて早足になる。先ほどまでのように足音は立てないようにして、部屋に戻

るとベッドの横に置いてあった自分の荷物の中を漁る。硬質の、冷たい手触りにたどり着くとそれを取り出す。

 ”それ”と、この鞄だけは、自分を”おれ”として認識したときから既に持っていたものである。誰かから奪ったものかもしれないし、買ったものかも知れないが、覚えは無い。

 短剣の、控えめな装飾の鞘だけを肩掛け鞄の中にしまい、上着とマントを羽織って窓を開け、外に出た。

 短剣を抱え、足が沈む感覚を踏みしめながら、フードを深くかぶる。


 時計塔の一番上までたどり着くと、息を潜めて蛇を待つ―――撒き餌の、動向を見張りながら。



「……ははは! 本当に出やがった!」

 何時ごろだろうか。突然そんな声を聞いて、時計塔の上で眠り込んでいたシンははっと顔を上げる。

身を乗り出すと、商人は誰かに向かって剣を突き出し、楽しそうに話しているのだった。相手の姿は良

くわからない。ただ、その相手というのが恐らく”蛇”に違いないと言うこと、そして商人がそれを捕

まえようとしていることが見て取れた。

 同時に、このままでは商人の命のほうが危ないと言うことも。

「お前が蛇か? オレが合理的に換金してやるから、観念しろ!」

 昼間の彼とは全くイメージが正反対である。こちらが素なのだろう。

 蛇は何を考えてか、すぐに踵を返して走り出す。シンも慌てて隣の家の屋根に飛び移り、二人を追いかける。

 一見蛇が逃げているようだが、実際に上から見ていると、商人がどんどん込み入った道に誘導されていっているのがわかる。

「………駄目だ……!」

 思わず、小さく声を上げた。

 高い茂みの角を左へ、蛇が曲がる。一拍遅れて商人が曲がると、そこには誰も居ない。間抜けな商人

があせって辺りを見回している間に蛇は背後から現れ、未だ狼狽している様子の彼の首にマフラーを巻きつけ。

 ―――締める気か!

「くそっ」

 間に合うかと飛び降りようとしたシンの背後から、隠しもせずに、銃声。

 思わず振り返った彼の、治りかけの左肩から血が噴き出した。その場でバランスを崩して倒れ、屋根から転げ落ちる。とっさの受身も失敗して中途半端に背中を強打、息を詰まらせた。――誰の狙撃だ?

そもそも何で銃なんか。

 ――ああ、そうか。商人が、売ったんだ。

 左肩の痛みに耐え切れず短い悲鳴を上げて地面を転がり、うつぶせの状態で顔を上げるが、もうすで

に二人の姿は無い。

「………ッ」

 シンは半ば以上雪に埋もれた身体を起こすことも出来ず、そのまま意識を手放した。


 空が白んできた頃。やっと起き上がると、シンは重い足を広場のほうに向けた。そのほうがラキスの家に近いのだ。彼女が起きないうちに帰らなければ。雪に埋もれていたおかげで幸か不幸か感覚の無い

左肩を抑えて、よろよろと歩く。寒さの所為でか、頭もがんがんと痛んだ。

 歩くたびに、さくりと音がした。

 まるでラキスと会ったときのようである。

 否。

 心境はそれよりも苦しい。

 ――なにをしてるんだ、おれは?

 これまでも町や村に害為す者達をことごとく殺してみたが、金になるだけで彼の立場自体は何ら変わらないのだ。むしろ、その骸に自分の末路を見たような気がして、怖気が走る。


 それとも、自分はこんなだろうか。


 商人であったものが雪に埋もれているのを見て、はたと足を止める。すぐに考えを改めて歩き出し、また、立ち止まった。

「…………傷……どうしよ、かな」

 左肩を抑える右手に力が篭る。再び、歩き出した足取りは重く。

 凍えるような南の地の空気は放射冷却も加わって尚冷たく、少年の細い身体を八方から刺すような痛

みが襲う。

 ……見殺すつもりでいた。

 歩く速度が、速くなる。

 ……殺す、つもりで。

 もう一度、そんなことを考える。

 あの時商人の背後から現れた”蛇”。

 曲がった先ですぐに茂みの中に飛び込んだのだ。だから、商人には”見えなかった”。そしてその中で息を潜めて彼が通り過ぎるのを待ち、商人が通り過ぎた瞬間を狙ってそこを飛び出して、背後へ。そして、例のごとく絞殺する。

 一連の行動にもし計画性があるのだとすれば、至極当然のことである。もう終わってしまったことをうだうだと考えていると、道にラキスが倒れているのが見えた。なんともいえない嫌な予感が頭を過ぎり、彼女に駆け寄ると傍らに座り込んだ。

「ラキス……ラキス!」

 体を揺さぶると、、彼女はうっすらと目を開ける。どうやらシンの考えていたようなことは無かったらしい。彼女の頬には赤味が差していた。それを確認するのと同時に肩の痛みまで思い出して、涙をした。

「……なに、してるんだ……」



「私はシンの笑った顔を見たことがないね」

 ラキスは俯いて座り、黙り込んでいるシンの肩に丁寧に包帯を巻きながら苦笑した。

「わらう?」

「こーんな顔っ」

 シンは満面の笑みを浮かべた彼女をちらりと見上げて、それからふいと目を逸らす。ラキスは残念そ

うにため息をつき、席を立った。そのまま歩き去ろうとする彼女の服を掴んで引き止め、シンは真っ直

ぐにその青い目を見据えた。

「ラキスはどうしてあんなところに」

 真剣な顔に驚いたようだったが、ラキスはそれを聞くと薄く笑んだ。

「シンが出て行くのが見えたから、心配で」

「いつ」

 聞き返したシンの声は、震えていた。恐怖――何に対して?

 困ったような顔をしているラキスの腕を掴むシンの手も、わずかながら震え。

 あのときおれはラキスが食堂にいる間に、反対方向の窓から出たのに?

「いつ……どこからおれが出て行くのを―――?」

 ラキスが近くにあった棒――それも結構長さのあるもの――で殴りかかろうとするが、シンはとっさ

に身をかわし、ラキスが再び棒を振り上げるのを見て、少年は歯軋りした。

 ああ、そうか。認めたくなかったんだ。

 そんなことを考えながら立ち上がると、扉を開け、廊下に出て食堂のほうに走る。

 ラキスが”蛇”と共謀してるかもなんて、思いたく、無かったんだ。

 どんなに頑張ってもやはり大人のほうが足が早いのか、すぐに彼女の足音が聞こえ始める。

 風を切る音。左肩から全身に凄まじい痛みが走る。倒れて悲鳴を上げるシンを棒は容赦なく殴りつけ、その先端が左肩の傷口を押さえつけた。

「忘れて」

 静かな声と、同時に棒の先端が肩に食い込んで、声にならない悲鳴を上げる。

「――忘れて!」

「ラキ………っ!」

 たまらずに棒に添えた手も虚しく払われ、完全に気を失う直前、あの時もという思考が頭をよぎっ

た。

 砂嵐の向こう側。

 やはりあの時も後ろから誰かに殴られ、倒れたのだと言うことを思い出していた。倒れて、気が付くとラキスに付き添われてここに居た。きっと今もそうなのだろう。

 そして恐らく、そうして自分を核心に近づけないようにしている。

 自分の知っている範囲で思い出そうとしているうちに、目がさめた。

「………やっぱり」

 ぽつりと呟いた部屋の中には、誰も居ない。

 窓の外は暗く、既に夜のようである。後何回繰り返せばこの、同じことを繰り返す日々が終わるのか、考えていた。






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