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六話

      6


 君を傷つける盾ならば、僕は喜んで自らを壊そう

 君を怖がらす道化ならば、僕は喜んで舞うのをやめよう

 君が苦しむだけならば、どうやら僕は不必要

 君が笑ってくれるなら、僕は喜んで姿を消そう―――――


 下手糞なピアノ曲をメインに、頭の中で不協和音で交響楽をきんきんにかき

鳴らされているような音が響いていた。不愉快な目覚めである。上官に付き合

いで酒をがぶ飲みした日の翌日に似ている。最近は忙しすぎてそんなのもご無

沙汰していたが。イアラはがんがんと内側から叩かれているように痛む頭を片

手で抑えて体を起こす。睡眠薬を飲まされてからの記憶は無く、自分がどれほ

ど寝ていたかもわからない。

 見回した自室は相変らず静かで、暗かった。彼女は一先ずベッドから足を下

ろし、真っ暗な部屋を見回した。

「誰か……痛」

 立ち上がった拍子にいっそう酷くなった頭痛に頭を抱え、そのままふらふら

と扉に向かう。

 外開きの扉の取っ手を回そうとした右手は外から引っ張られ、前のめりに倒

れそうになったイアラの肩を、向こうから扉を開けたリックの手が支えた。そ

れから膝をついて彼女の顔を覗き込む。

「大丈夫か?」

「ああ。……わたしどのくらい寝てた?」

「丸一日。今、深夜十二時ジャスト」

 そう言って彼は人好きのする笑みで彼女を見下ろす。

「寝込みを襲ってやろうと思ったんだけどな」

「はっ。返り討ちにしてやるよ」

「うわ、怖っえー」

 暫く二人笑いあい、リックはふと真顔になるとイアラの視線にあわせて屈ん

でいた体を起こし、後ろに立っているガラフを見上げた。ゼロが肩の上でそわ

そわしているのが見える。リックは怪訝そうな顔をし、咎めるような目でガラ

フを見た。

「オレは無意味だと思う」

 リックの言葉に肯いて返し、イアラを見下ろす。実際は彼が、話してしまっ

てその肩の重荷を下ろしてしまいたいのだろう。その結果がどうなろうと。そ

の目はある種の諦念と言うか、悲しみのようなものを湛えて、少女をひどく狼

狽させた。

 イアラは不意に背中に冷たいものを感じて後じさった。――いけないと思っ

たのだ。それを。

 聞いては……いけない。

「イアラ」

「言うな……」

 心底脅えた目で。しかしながらそれを見下ろすガラフにはやめる意思は無い

ようだった。

「駄目だ……聞いたら、わたしは、」

 不協和音の交響楽。

 聞くな! 聞くな! 聞くな!

 ゼロはイアラを見下ろし、ガラフのシャツの襟を、強く握った。やはり間違

っている。

 こんな方法でガラフを憎むように仕向けるのは間違っている。

 きっと頭では次の言葉がわかっているのだろう。ガラフの目が、それは彼女

の一番聞きたくなかったことだと語っているが故。イアラは縋るような目でガ

ラフを見上げていた。彼は全く躊躇せず、次の言葉を吐こうとする。

「村を襲った二人は、オレの」

「いやあああぁぁああああぁああぁぁっ!」

 ガラフが言い終わらないうちに、イアラの絶叫がそれを遮る。

「やだっ……嘘だ、うそだぁっ!」

 こめかみを抑えて座り込むのを、彼は黙って見ていた。やがて顔を上げ、そ

の手を伸ばしてズボンの裾を掴んだ手はがたがたと震え、動揺し絶望の度合い

を改めて確認せしめるようであった。ガラフを見上げるイアラの瞳はあまりに

弱く、彼が受け止めるには重すぎた。大砲よりも破壊力が強いと感じてしまう

のは、いつもの気丈な姿を知っている故でもあるのだろう。

 ――反面、放り出せて安堵した自分がどうしようもなく嫌になった。

 憎む相手がいれば少しは楽になるなんて、とんだ大儀名分である。ただ、ガ

ラフは、過去のことを全てこの少女になすりつけてしまいたかっただけなのだ

から。

「どうして! どうしてわたしを―――わかってたならなんで放っておかなか

ったんだ!」

 半ば悲鳴のような声は、後半で濁って震え、嗚咽に変わる。

「放って、置けなかった」

 これは、本音。廃墟の真中で、憎む相手も愛する対象も全て失って投げ出さ

れた子供を確かに、放って置けなかったのだ。

 その後ろにゾーグだかズークだかの死体を見付けさえしなければ。

「ひどいっ……かえして……。わたしの家ぇっ! 返して……――」

 ガラフがすまない、と呟いても、彼女の涙は止まらなかった。止められるは

ずもなかった。彼の一言で何もかもが台無しにされてしまった気さえした。し

きりに床を叩きながら憎いと、彼を好きだと言ったその口が言うのを、ガラフ

に止める術など無かった。

 お前が憎いと。

 その黄金の瞳はどす黒い感情に充ち満ちてガラフを見上げる。涙などもう拭

おうとさえせず慕情を呪いで塗りつぶし、もう彼女が笑顔で自分を見上げる日

など二度と来ないのだと、思った。それこそ最初に望んだ状況だったのに、共

に過ごしたたった二年の間に何が変わったというのか。

 ガラフ自身にもその心境の変化は理解しかねたが、今とりあえずわかるのは、

彼女の憎々しげな視線が痛いということだけ。

「お前の――お前のせいでわたしはいくつ失ったんだ」

 違うんだ。そんな言葉を言いたいんじゃなくて。

 視界の端で、リックが悲痛な表情で顔を背けた。どちらを庇って良いものか

わからなかったのだった。

「……嫌いなはずだ、嫌われてたはずだ。だって、おまえはわたしの記憶を恐

がってたんだから。だったら殺せばよかったんだ。殺せば。――てめえをわた

しが信じてられるうちにわたしを殺せばよかったのに!」

「………!」

 風を切る音を聞いて首を傾けたガラフの左頬を、小振りの短剣が掠めて赤く

線を引いた。振り返った先で、イアラが悪鬼の目でガラフを見上げた。奇しく

もサイドボードの上から取ったのだろうその短剣は小さな頃からイアラが持っ

ていた、あの短剣であった。

 イアラは。

 悔しかったのだ。何も知らずにいたことが。たった今聞かされたことが。ど

うしようもなく。だいっきらい、死んじゃえば良いんだ。死んじゃえば。

 ――ちがう、わたしが殺す。

「ガラフ!」

 リックの静止も聞かず、ガラフは第二撃をとっさに掴んだ大鎌で薙ぐ。

 短い、小気味の良い音とともに刃が交え、離れた。尚も斬りかかるイアラの

動きは本気だからか隙が無く、相手にして戦うには非常に厄介な相手であった。

再び大鎌で上手く受け流し、舌打ちして窓を開けると外に駆け出す。

 外に出るなり、バケツをひっくり返したような雨が視界を曇らせた。

 追ってきたイアラの短剣を柄で受け止める。そのまま勢いを増して体ごと弾

き飛ばすと、彼女は着地したその足ですぐに地面を蹴って跳躍、上からガラフ

に斬りつけようとする。彼はそれを容易くかわすと地面に刃を突き立てたイア

ラを蹴ろうとるすが、足は前転して避けられてしまう。

 下から一直線に顎めがけて斬りつけたイアラの刃を間一髪大鎌の刃で受け止

め、そのまま地面と平行に薙ぐ。歪曲した刃と擦れる耐えがたい音の後、彼女

の体は勢い余って地面に叩きつけられた。

 下になった右肩関節の外れる音と、小さく呻き声。

 地面を掻き毟り、なお短剣を手放さない妄執に。彼は思わず本気で斬りかか

ろうとして、寸前でそれを止めた。

「……イアラ」

「畜生………畜生、畜生……っ!」

 投げ出されて外れた肩に手を掛け、抑えた悲鳴を上げて元に戻してなお右半

身を抱きしめるようにして起き上がったイアラを見て、ガラフの表情が、歪ん

だ。十、何年か振りに。

 悲しみにか、苦しみにか。何故自分がそんな感情を抱いているのか、結局判

らないまま。

「……何故」

 否。知っていた。むしろ慕われることに安らぎすら感じ始めていた。その笑

みが濁らねば良いと。たった今自分で壊しておきながら。

 再び刃が交え。力は互角。ともすれば速さに於いてはイアラのほうが勝って

いたが、彼女がガラフに傷を負わせることが出来ないのは心の片隅に彼を慕う

理性がわずかながら残っているからか。悔しいと、もう一度歯軋り。

 イアラは雨に流される背景すら逃さぬよう彼を睨みつけ、痛みの癒えた肩か

ら手を離す。短剣の柄を握る手が水で滑ったが、それも強く握りなおし。

 これが信じた代償か。家族のように慕った、これが結論か。いっそ自分が死

ねばいいのに。

 ―――再び、火花。





「止めに行かないの?」

 リックは机に載せた両拳をぐっと握り締めるだけで、何も言わなかった。

「……ねえ」

「できねえよ」

 ぽつりと、独り言のように漏れたそれに、ゼロは振り返った。下を向く表情

は穏やかではなく、それ以上彼女に何かを言わせ得るものではなかった。

「オレには何もっ」

 彼女はすぐに目を背け、その視線を開きっぱなしの窓の外に向けた。

 リックが、妹のようにイアラを可愛がっていたのを知っている。また、ガラ

フを何よりも大切に想っていたこと。愛慕と取り違えてしまいそうな純粋な思

慕。ゼロがイアラに抱く感情と似通った思いを。

 ――では、そんな自分たちはどちらを哀れめば?

 大雨のカーテンに隠され、二人の姿は見えない。



 ――違う。

 心の片隅にそんな声を聞いた。違う、こんなことをしたいわけじゃないんだ。

それでもイアラの体は彼に斬りかかることを辞められずに。

 金属のぶつかり合う音、投げ出された体を丸めて転がるように着地して、イ

アラはガラフを見上げる。こんなときさえ表情を変えない鉄仮面が、余計に彼

女の苛立ちを誘った。

 濡れた服が重い。黒い影は肩で息をする少女の横を走りぬける。薙ぎ払う大

鎌の一撃を避けて再び斬りかかろうとしたイアラの細腕をガラフが掴んだ。そ

のまま抱きしめるようにその体を引き寄せ、うろたえた彼女の手から取り上げ

た短剣をその背中、右肩側に突き立てた。

 イアラは突然の痛みに全身を引き攣らせ、彼のマントを掻き抱いて悲鳴を上

げる。

 呼吸も浅く、朦朧とする彼女の背中に、ガラフがまるで抱擁のようにまわし

た腕に少しだけ力をこめた。

「………オレはお前を苦しめるのか」

 耳元で聴こえる声に何を予感してか、イアラの手に力がこもる。

「なら、傍から離れよう」

「あ……ッ!」

 静止の声すら聞かぬまま、彼は無言で短剣をねじ込んで傷口を広げ、少女の

手から力が抜けると彼女を突き飛ばした。結局のところ。ガラフは、自分に縋

るこの小さな体温を、苦しめずに殺す自信がなかった。

 自分の目の前で、その腕の中で、彼女が冷えていくのに、耐えられないに違

いないから。

 イアラは小さく悲鳴を上げ、左手をついて立とうとするが、そんな力はもう

何処にも残されていないのだった。

 黒い影はもうその場に無く、倒れたイアラの手は虚しく土を掻いた。









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