四話
4
ひときわ、大きな、音がした。
銃声ではなく、もっと大きな――そしてリックの、半ば悲鳴のような声。
「ガラフ!」
心臓をわしづかみにされたようだった。突如振って沸いたような息苦しさに
イアラが振り返ると、塀に隔てられた向こう側の道でガラフが倒れるのが見え
た。
それを合図のように始まる銃撃戦。他の兵士が応戦している間にリックと他
数人がガラフを物陰に引きずっていく。それだけで怪我の痛みなど、忘れてし
まった。
「うそ、だ。何で」
「小型の大砲みたいね」
「そんなものを人に向けるのか!」
「落ち着きなさい!」
ゼロに掴みかかりそうだったイアラの手が、それに気圧されて小さく震えた。
ゼロはなおも強い調子で彼女の目を見据える。
「今すべきことをするの」
「……ガラフは……装甲車とかなんかだと思われてるのか………」
失意と怒りに震える声を制し、ゼロは彼女の服の袖を引いた。
ガラフに向かってなにか怒鳴っているリックと。走り回る兵士達と。微かに
見えるガラフの、不思議な色調の銀髪。角度によって青味がかるそれがなにか、
とても重要な何かを彷彿とさせて黒い炎が燃え上がるのを感じても、それから
逃げるように踵を返した。
――まず、優先すべきことを。
優先すべきことって何だ?
イアラは胸を掻き毟りたくなる様なもどかしさを押さえ込み、飛んでいくゼ
ロの後ろを走った。
しばらく走っていただろうか。道のりはまったく覚えていないが、しっかり
と閉ざされた木製の扉が見えた。
―――ああ、あれを開けてはいけないんだな、と、思った。漠然と。
思いと裏腹に、その足は軽々と扉を蹴破る。勢いに任せて大砲を一刀両断し
た少女を敵だと、その場に居た全員が認識するのに、少しの時間を要した。イ
アラはわきに走りこんできた男の腕をねじり、骨の砕ける音、そして悲鳴。次
いで後ろで銃を構えたものにそれを投げつけた。切りかかってきた少年の顔面
を掴んで壁に叩きつける。頭蓋の割れる鈍い音、力を入れると簡単に砕けて悲
鳴を上げる間もなく絶命。視界の端にゼロの驚嘆の表情が映って、自分のして
いることを理解する。
やめようと一応の努力はしてみるものの、それよりもわけのわからない激情
が先に立った。
……駄目だ。
「イアラ? どうして……」
ゼロの声を聞きながら、両側から切りかかってきた青年の一方は目を潰し、
他方は片手に持ち直した剣で叩き潰した。床を流れた血に足をとられ、逃げ送
れた少女の頭に躊躇い無く剣を突き立てる。
……こんなの、違う。
「イアラ!」
……そうだ、やめなきゃ。
大剣を振るう。その場に居る者達にはもう、戦うだけの覇気は無かった。
ゼロは何とか止めなくてはとその腕に取りすがってふと見上げたその表情に、
愕然とした。
「……―――何で、笑ってるのイアラ……」
言い終わらないうちに投げ出され、反応するのが遅すぎたのか壁に叩きつけ
られた。息を詰らせ、落ちて体を丸めた彼女をリックが拾いあげる。
悲鳴を聞きつけて駆けつけたのだろう、肩で息をする彼を見上げる目は恐怖
と恐慌に潤んでいた。
「リック――助けて」
「何だよあいつ……」
「わからないの! わからない……もう」
駄目なのかも。もう、私のせいで。
そう言おうとしたゼロをそこに降ろし、リックは後ろからイアラを羽交い絞
めにして怒鳴った。
「イアラ……おい! 目ェ覚ませよ、このクソガキ!」
「離せ!」
イアラも怒鳴り返すと、信じられない力でリックを弾き飛ばす。足元に広が
る惨状を見渡し、彼は目を見開いた。
「これ全部、あいつが」
唖然として立ち上がることすらままならないリックの眼前を、信じられない
スピードで走り、通り過ぎた影があった。
彼はイアラの腕を掴んで強引に自分の方に引き、彼女を睨み付けた。鋭利な
眼光に貫かれたようにイアラの体がぎくりとその動きを止める。ガラフは自分
をを見上げた黄金色の目に安堵と後悔を映し、涙ぐんだ少女のみぞおちを多少
加減して、しかしやや乱暴に殴って気絶させると、崩れ落ちそうになった彼女
を支え、自分もその場に屈みこんだ。
「――…くっ」
「ガラフ、大丈夫か?」
「寄るな」
その声に絶対的な響きを感じ、リックは進みかけた足をとめる。
ガラフは苦しげに息をつくと、傷口を押さえつけた。ぞろぞろと何かが中を
這い回る、吐き気を催すような感覚と、傷を侵食し、埋めていく生々しい音が
聞こえる。こんなものは久し振りすぎて、忘れていたのに。
「なあっ」
気絶したイアラを見やり、次いで焦れたような表情を浮べるリックに視線を
移した。
ふつふつと湧き上がるのは、怒り。
「………何があった。――この惨状はなんだ!」
ゼロに傷を治してもらい、説明を聞いたガラフは、腕の中のイアラを見下ろ
した。全身に痛々しい傷を負った彼女は、あまり穏やかではない寝息を立てて
いる。
リックはそれを見下ろすと、遠慮がちな視線をゼロに向けた。
「ゼロ、イアラは治せないのか?」
「ガラフの傷を完治させてしまったから、暫くは無理よ」
ゼロは大きくため息をつくと、地面に降りた。もう、飛んでいる体力も無い
と言う事だろう。リックはしかめっ面でガラフにどうする、と声をかけたが、
ガラフはゆっくり頭を振るだけであった。
ゼロが、思い出したようにガラフに振り返る。
「あなた……あんな傷で、動けるはず無かった」
「知らなくて良い」
ぴしゃりと言ってのけたのはリックである。ゼロを睨むように見下ろし、た
だそれだけ言ってガラフを見上げる。当人は諦めろと言って、すぐに目を逸ら
した。
もう、どんなに頑張っても”これ”は治らないのだからと。
廃墟はしんと静まり返り、ところどころで軽傷の兵士達が瓦礫をどかし、士
気の下がった町民達を引っ立てていくのが見える。廃墟の灰色が際立つ景色の
中に、ちらほらと赤や肌色が動く。さっき出てきたばかりの廃墟の中には、未
だに原型を留めていない人間の死体が放置してあって、それらと一緒に呆けて
座り込んだり叫んだりしている人間達が正気を取り戻すことは二度とないのだ
ろうと思うと、どうにもやりきれない。
重く濁った曇天は、この場にあまりの相応しさ。ガラフはそれらから視線を
ずらし、再びイアラに目を向けた。
――こんなもののために、お前はいくつ失ったのか。
救いたくて伸ばしたはずの左手は、救い方を知らなかった。そもそも憎まれ
るべきその身で救いを差し伸べようとするなどおこがましく、あまつさえ握り
潰そうとすらしているその手は、もう持ち主の意向など構わないのだ。
こうなることはわかっていたはずなのに、それでも彼は、その左手で彼女の
頭を撫でていた。
白い天井。
包帯でぐるぐる巻きの腕。
目が醒めた時考えることが出来たのはそれくらいで、他は視界に靄が掛かっ
ているような感覚で、何も考えることが出来なかった。判然としない意識で、
首だけ動かしてそこがどこか確認しようとする。
――なにかこわいことがあった?
……わからない。
――かなしいことがあった?
……わからない。
単調な自問自答が終わると重たい体を起こし、伸びをする。その状態で見回
して、やっとそこが自分の部屋であることが判った。質素な家具と狭い室内が
やけに懐かしく感じられる。暗くてよく見えないが、サイドボードの上にゼロ
が寝ているのがぼんやりと見える。肩を触ると包帯の感触がしたが、痛みはそ
こまで酷くない。どうやらゼロには随分無理をさせてしまったらしい。
思い出すのもおぞましいことがあった、のはなんとなく思い出せた。自分は、
絶対にしてはいけないことをしたのだと。
「起きたのか」
「ああ。ガラフ?」
名前を呼ぶと、傍らの椅子に腰掛けていたらしい声の持ち主は立ち上がり、
明かりをつける。イアラは突然部屋を満たした光に顔をしかめ、徐々に明るさ
になれた目が大きな影を見つけた。ガラフの姿を確かめると、すぐに目を逸ら
し、俯いた。
「どうしてかな。今はあんたに会いたくなかったよ」
「そうか」
「わたしはなにをした?」
否、何を見た?
イアラは小刻みに震える両手で胸を押さえた。心臓の音が生々しく聞こえる。
早鐘のように鳴り響くそれを必死に抑えつつその手に神経を集中させる。
さっきまで見ていた悪夢。さなかにガラフの声が聞こえたのも、多分気のせ
いではないのだろう。自分の右腕に赤い、大きな手の跡を見つけると、それに
小さな左手を重ね。
「わたしはガラフなんか知らなかった。知らなかったんだ。だから、あいつら
の顔が似てたとか、そんな気分になっただけで。ほら、状況が似てただろ。だ
からさ。ガラフは関係ないんだ。そんな気分に、なっただけ」
手の震えが、大きくなる。呟く言葉がまるで呪文のように、狭い室内に、そ
の静けさに融けていく。イアラは、村を滅ぼしてしまった男達のことを思い出
してしまったのかと、ガラフは直感した。そしてそれはやはり、
がしりと、シャツを掴む手があった。
イアラの、小さな手が。
「怖いんだ。……この手がまた何か、何かしてしまうんじゃないか。今度は、
あんたに剣を」
がたがたと震えるその手に自分の手を重ね、ガラフは彼女のベッドの横にも
う一度腰を下ろした。標準サイズの椅子が、少し窮屈に感じる。
「……痛むか。傷は」
「ぜんぜん」
「……そうなってもお前は悪くないだろう」
イアラは泣きそうな顔を上げ、彼の青味がかった銀の髪を見上げた。そして
その目を。
――あの二人の男と何処までも似ている、相棒の姿を。
「ガラフなんか大ッ嫌いだ。どうしてそんな目をしてる? そんな色の髪を持
ってるんだ? なぁ、やだよ。――あんたに憎い奴を重ねるなんて嫌………」
――ああ。
ガラフは頷く以上のことはせず。ひとつ、ふたつとシーツに増えていく染み
を数えていた。
イアラはこんなにも脆く、危うい子供なのだ。
下を向いた彼女の表情がわかるようで、酷く胸を痛めている自分に気が付い
た。今この瞬間、体を這いずり回る衝動を抑えなければ、きっとこの右手に棲
んでいるものが彼女の首をへし折るのだろう。この少女の、必死の信頼を裏切
るために。
――忘れていられれば良かったのだ。
不覚にもゼロを、恨んだ。




