転章:一話
バッドエンド要注意。
1
荒野、だった。
イアラはそれを見回し、愕然として膝をついた。――ここは何処の廃墟だ
ろう。
何処かで道を間違えたんだ。きっとそう。そうでなければ、
――どうして?
足元には見慣れた村長の首だけが無造作に転がっていて、その濁った目で
イアラを見上げていた。
他にも見回せば何かに食い荒らされたような人の四肢が点々としている。
魔物が出たにしては、建造物の損壊は少なかった。ならば人の手によるもの
なのだろう。視覚がそれを理解するまで呆けていた少女の目は絶望に彩られ、
喉から小さく、掠れた声が出た。
「………いや」
次いで、絶叫。
こんなのは嘘だと。イアラは血の海にべったりと付いていた両手を離し、
弾かれたように立ち上がって自分の家へと走った。家の扉は出かけたときと
同じように開いていて、玄間も大して変わらない。周囲の景色さえ見えなけ
れば、それはいつもと変わらぬ風体で、そこに建っているのだった。
ほんの少しだけの安堵が胸を過ぎり、ひとかけらの希望を胸に玄関に足を
踏みいれる。
「お母さん……お父さ、ん」
長く伸ばしていた金髪が、肩を流れた。歩き出そうとしたイアラの動きが、
急に止まったからであった。
靴裏に何か踏んだような感覚と、濡れたものが潰れる気味の悪い音。そし
て、わけのわからない、嫌悪感と悪寒。ゆっくりと震える足を引き、そこに
あったものを見て、息を、呑んだ。白い、何か。潰れた様は卵の白身のよう
にも見えた。心臓が、握りつぶされそうな圧迫感が、胸を締め付けた。
「……っ……ぁ………あぁっ……!」
悲鳴にもならなかったそれは、自分がいかに混乱し、絶望しているかを自
身に知らしめたが、彼女はがくがくと笑う膝でなおも歩き、キッチンへと向
かった。壁伝いに手をついて歩きながら。
そこで、無事に逃げた両親が走ってきて抱きしめてくれるのを、心の片隅
で期待していたのだった。
それでもどこかで無理だと悟っていたのか、彼女はそこで両親の残骸を見
ても不思議と、涙は出なかった。
頭も足も腕も。無造作に転がったそれを見て、ただ、細い両腕だけが大き
く震え、”残骸”に触れることさえ許さなかった。足からは面白いくらいに
力が抜けて、立っていることすらままならずその場に座り込んだ。
壁と床が、赤い。
目の前が、赤い。
……嘘でしょう?
「か……あさ……」
掠れた声で茫然と呟き、手を伸ばそうとした彼女の背後で、小さく足音が
した。
「おい。死にぞこなった奴がいるぞ」
「………ッ!」
不審な声に振り返ろうとしたイアラの髪を声の主が上から引っ張った。小
さな少女の身体は、浮いてしまうほど軽く。
「殺っていいか、兄貴?」
後ろの男の顔は見えない。ただ彼の語りかける相手――前方から歩いてく
る青年の姿が、涙も流さないのに滲んで見えていた。判ったのは、彼の纏っ
ている服の色。
白――目に焼きつく、赤よりも鮮やかな、しろ。
「好きにしろ。どうせそんな奴、”こいつら”ほど抵抗も出来ねえんだから
よ」
そうか、と何処となく笑みを含有した声。
「んじゃ、バラすか」
「せいぜい甚振ってやれ」
その声に応えるように男はイアラの左肩と左腕に手をかけた。もしかしな
くとも引き千切る気なのだろう、その部位に激痛が走ったが、彼女はもっと
別のことを考えていた。
いま男の言った言葉。聞こえた言葉。もしかして自分を指して言ったのだ
ろうか。
――しにぞこない――?
他の人は、生きていない、という、こと。
腕が無理な方向にねじられ、袖と腕の肉が破ける音、それと関節が外れる
音と激痛。絶叫しながら苦し紛れに掴んだのはいつも持っていた護身用の短
剣であった。とっさに自分の髪を、相手の腕共ども斬りおとした。どこから
そんな馬鹿力が出たのか、考える暇も余裕も無いイアラは男の絶叫する声を
聞きながら左肩を押さえ、外へ走る。
気の幹に背中を預け、荒い息の下で追いかけてきた男を見上げたその目は、
先程までの弱気なものではなくなっていた。胸を灼く感情は溢れて頬を伝い。
「……して……やる……っ」
追い詰めたつもりか、男は少女の掠れた声を聴いてげらげらと笑った。対
するイアラの目は復讐心に燃え。
「――……殺してやるっ――!」
「――ッ!」
勢い良く、イアラは身体を起こした。汗ばんだ手はシーツを握っていたが、
寝乱れた髪をさらにその両手でかき乱し、恐る恐るその両手を見下ろす。
「―――ど……して……」
一瞬朱に染まったように見えた手を握り締め、深く、長い息をついた。
今更こんな夢を見る。なんて女々しいんだろうと内心苦々しい思いに沈み
ながら。
「夢……ただの、夢」
「へぇ――? どんなユメよ?」
自分に言い聞かせるように言った言葉に茶々が入って、顔を上げると部屋
の入り口にリックの姿が見える。イアラはなんでもないと頭を振り、ベッド
から足を降ろした。
彼を見上げると、揶揄するように笑う。
「良くないな。勝手に女の子の寝室に入るなんてさ」
女の子だっけ? と茶化した彼はふと真顔になって、明かりをつける。相
変わらず女でも連れ込んでいたのか、纏められていない黒髪が肩の上で揺れ
た。イアラはそれに顔をしかめながらサイドボードに手を伸ばし、黒いゴム
を手にとる。
「やけに起きるのが遅かったからな」
「へ? ……あ」
髪を纏めながら時計を見ると、針は十時を指していた。もういつもなら起
きている時間である。
「ごめん」
「言えないか?」
「………ごめん」
しゅんと肩を落としたイアラの頭を、リックの手がぐしゃぐしゃと撫で、
もとい掻きまわした。いつもなら子ども扱いするなと怒り出す彼女だったが、
今は甘んじて受けておく。
どちらかと言うと、いつもなら起こす立場の自分が彼に起こされてしまっ
たことのほうが不本意である。
「わかった。でも、重くなったら言えよ?」
「ん」
リックはイアラが頷いたのを確認すると、そろそろ召集だからなとだけ言
って部屋を出る。後ろ手に鉄製の薄い扉を閉めて、ため息を吐いた。たった
今撫でた彼女の頭も肩も予想以上に小さく、強がりの男言葉はか弱さを強調
するようで。
夜の間も魘されて悲鳴を上げるイアラを、ゼロが必死になだめていたのを
知っている。下世話だが、女の家まで行っても何もする気が起きなかったの
は初めてであった。それだけ、最近魘されることの多い彼女のことを気にし
ていたらしい。
そして、今。
イアラがただの少女なのだと、その手に生々しく感じた。
いつの間にか自分の頭の上でそわそわしているゼロにご苦労様、と声をか
ける。彼女はしゅんと肩を落とすと、ゆっくりと首を振った。
「……私の所為だもの」
リックは眉をひそめたが、それ以上何かを言おうとはしなかった。ゼロの
一件以来彼女が魘されることが多くなったのは確かだが、だからといって責
めたところで何かが変わるわけでは無いのだった。
「私を理解して、対等に戦ってくれたあの子が好きよ。私のこと怒らずに怖
がらずに、一緒にいてくれるイアラが好き――でも私は、あの子の一番残酷
な記憶を抉ったんだわ」
わざわざ頭の上から降りずにいるのは、泣き顔を見られたくないからか。
彼が一言、”見える”んだろうと言うと、嗚咽とともにええ、と返事をする。
「なら理解してやれるだろ」
「……わからないわ」
「どうした」
ガラフが来ると、ゼロは素早く物陰に隠れた。相当彼のことが苦手なよう
である。リックはそれに苦笑いしながら、ガラフを見上げた。
「あいつは――見つけられたのかねえ、”家族の代わり”を」
「……さあな」
少女が潜在的に求めているものくらいは、二人とも知っているつもりであ
る。それは”此処”にいて得られるものではないのだと、判ってはいても。
もしかしたら自分たちが、彼女にとってそうであれば良いと、思っていた
のかもしれない。
着替えて食事をしているイアラに、ガラフはいつもと変わらず大丈夫なの
か、と聞いた。彼女は声でわかったのか、手を止めたが顔は上げない。
「ああ」
不安定な表情は見て取れたが、そんな時なんといえば良いのか、彼は知ら
なかった。それからは暫く誰も何かを言おうとはせず、秒針の動く音だけが
妙に大きかった。
「イアラ、今日は休まないか」
唐突なリックの言葉に顔をあげ、彼女はいい、とだけ答える。それからを
傾げて彼を見上げた。
「なんで?」
「なんでって――顔色悪いぜ」
「大丈夫だ。身体が疲れてるとかでもない」
イアラが食器を持って椅子から飛び降りると、ゼロもそれについて行く。
羽の動きが、どことなく忙しい。
「どうして、イアラ――」
「体動かせば、忘れられるから」
何を、とは言わない。
取り残された三人は何を言うでもなくその背中を眺めていた。ガラフが何
事か言いかけたようであったが、とうとう言葉にはならなかった。なったと
しても召集のベルの音にかき消されていただろう。それと同時に大剣を取っ
て出ていくイアラと、マントを羽織ってそれを追うガラフを見て、ゼロが病
んでるんだわ、と、呟いた。
ガラフは、隣を歩くイアラに視線を向け、立ち止まり、呼び止めた。彼女
は急いでいるのに呼び止められたのが不服なのか、顔をしかめて彼を振り返
る。
「なに?」
「オレと会う前のことを、覚えているか」
彼女の顔が、さっと青くなる。それからぶるぶると頭を振り。
「ぼんやりと、なら」
「………そうか」
その目に感情らしきものを見て取ったイアラが不思議そうに首を傾げたが、
彼はゆっくり頭をふり、再び歩き出した。
それから少女のことを肩越しに一瞬振り返り。
「あまり、心配をかけるのは関心しない」
相変わらず、抑揚も感情も読み取れない声で。
イアラの足が、一瞬止まったのがわかった。立ち止まらないガラフを追っ
てその足音はすぐにまた聞こえ始める。彼は、誰にも気付かれない程度に眉
をひそめる。自己嫌悪。
自分が彼女に掛けている言葉は全て、彼女の為のものだっただろうかと。
さっさと普通の少女に戻ってくれることをどれだけ願ったか。自分の、胸を
焦がす贖罪の気持ちをさっさと忘れてしまう為に。
それでも、どうだろうか。
この手は、彼女の望むものを与えようと必死になるのだ。
それ以外に、どうやって償えばよかったのというのだろう? そんな彼の
内心も知らず、いつもの調子を取り戻した明るい足音がガラフを追って早足
に歩いてくる。
背を向けたままのガラフに、イアラは走ってついて行く。その言葉の真意
など知らず、今はただ、嬉しかった。




