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六話

      6



『オレぁ何にも出来ねんだもんな。なっさけねえ』

 リックの声が途切れ、暫しの静寂に、身体を引きずるようにして歩いていた

ガラフは、ふと顔を上げて重い口を開いた。

「……静かだ」

『あん?』

「お前がいなければ」

 足元に風を感じ、下を見た目線の先にあるのは、さっき相棒があけたのであ

ろう、大きな穴。少しだけ嬉しそうに、リックがなんだって、と聞き返したの

を聞くと、大きくため息を吐く。同時に、親友の声に安堵しつつ。

「ふん。二度は言わん」




「畜生っ」

 イアラは威嚇が効かないのがわかると、銃を投げ捨てた。

 怪我をさせずに戦うというのはなかなか難しいものだ。それでなくとも既に

足を撃ってしまった。相変らず笑いながら、ゼロは彼女を見ている。隙もなけ

れば疲れても居ないようで、これほど厄介な相手がいるだろうか。

「上の皆、来ないのかしら」

「そんなん、ガラフがとっくにのしてら」

 イアラは小ばかにしたように笑み、走りこんできたゼロの腕を掴んで放り投

げた。無理やり隙を作って攻撃する作戦だったが投げる位置が高すぎたのか、

天井を蹴って着地した彼女を見て舌打ちする。普通の女の子に出来ていい芸当

ではない。やはり、単にドナの二重人格というわけではないようだ。

 不意にその口元が、ふっと歪む。


「そう――それってあなたの大切な人?」


「……ッ!」

 一瞬止まりかけた足を叱咤して、前方に飛び込むように前転したイアラの頭

上を掠め、いつ拾ったのかゼロが投げたドリルが壁に刺さった。それまで頭の

あった場所である。

 内心ひやりとしながらも跳ね起きて、少女の笑みを睨み返し、それから負け

じと同じように笑う。

「当然」

「私が何考えてるかわかる?」

「判りすぎて虫唾が走るね」


 イアラの回し蹴りから身体を逸らして逃れると、ゼロはふっと顔をしかめ、

なおも間合いを詰めてくる彼女の拳を受け流しながら壁際に追いやられていく。


それでも余裕の表情は崩さない。

「動揺しないのね」

「そんなことしたら、わたしがあいつのこと信用してないみたいだろっ!」

 ゼロの背中に壁の冷たい無機質な感触が伝わり、舌打ちした彼女の耳元で轟

音。

 イアラの右拳が、壁を破壊したのだった。ゼロはにっと嗤い、掴んだ瓦礫で

彼女に殴りかかった。反射的にかわしたものの、額に痛みと、ぬるりとした嫌

な感覚に、イアラは再び後退し、目に掛かった血を拭った。

 ――やばい、止まらない。

 痛いというより熱い傷口を押さえた手が視界を遮る。意を決して手を離し、

左の視覚は捨ててきっとゼロを睨みつける。それに答えるように彼女は再び岩

を持ち上げる。限界なのだ。『身体』が。『ドナ』が、限界を超えた運動量に

悲鳴を上げる。ゼロは早く、「終わらせたい」のだ。彼女が何者かイアラには

知る術もないが、疲れは防げたとしても身体の痛みまで制御することは出来な

いということなのだろう。

 イアラは次々に投げつけられる瓦礫を避けつつ、どうやって近づいたものか

と考える。その間にゼロは別の場所の壁を崩し、再び岩を投げ始める。まるで

人間投石器である。その動きが止むのを待つことも決して容易ではない。イア

ラは疲れるし、ゼロは他の体を動かすことができるのを知っている。

 それ以前に、ドナの体が壊れてしまったら、リュークになんと言えばいい。


 そんないらないことを考えて、詰まらなさそうに舌打ちする。やはり、あん

な奴連れてこなければ良かった。

『イアラ、そいつどんな動きしてる?』

 考えすぎでパンクしかけた頭に、水をかけられた気分。リックの声に食って

掛かった。

「おせぇよ! 石投げてる! 近づけない! だーっ、苛々する!」

『出来ればもっと具体的に』

 イアラは前方に飛んで来た瓦礫を避けると方向を変えて再び走りはじめた。

「位置関係は――動いてないと殺られる。移動範囲は大体あいつのまわり五メ

ートルくらい。壁をぶっ壊して投げてきやがんだ」

『無茶するな』

「同感」

 呆れ顔でため息を吐く。

『あのな。指示の仕様がないから参考までに聞いとけ』

「なんだよそれ!」

『察しろ』

「……あぁ」

 頷くと、同時に飛んできた石を掴んで投げ返す。

 少しだけ、投石が止まった。

『ゼロって言うのは、もともと善良な隠者だ。そいつの正体。人と森を愛し、

文明の進歩に大体そいつもかかわってる』

「はぁ? 悪党じゃん!」


 今見える限りではな、とリックの補足が入る。

『人はそれを忘れ――いや、忘れたわけじゃないが、その大きすぎる力を恐れ

てゼロを封印しようとした。彼女は悲しんだ。深く、深く。何で人間達がそん

なことしようとするのか理解できなかったんだ。それが何十年も続くと次第に

憎悪に変わって――目の前にある、その体たらくだ』

「……ああ。そうなのか」

 ―――どうして、どうして、どうして。信じて、愛していたのに。

 やがてゼロの耳にその会話の内容が伝わったのか、彼女はにいっと唇を三日

月形に歪ませた。

 会話の内容を察したのか、聞いていたのか。

「――最後、だったのよ」

「最後?」

 少女が床を蹴るのが見えて慌てて胸の前に交差させた両腕に、重い衝撃。吹

っ飛んだ背中が柱に叩きつけられた。

「――ここの館長、魔術の心得があってね。病気の娘を気まぐれで治してあげ

たら私をこんなところにとじこめた!」

「ぅあっ――……!」

 間髪入れず叩き込まれた拳に小さく悲鳴をあげ、その場に崩れ落ちる。イア

ラはそのままの体制で蹴り上げ、ゼロが後ろに飛んだのを確認して起き上がっ

た。

 再び、間合いを詰める。殴りかかった右腕を受け流され、舌打ちしてゼロの

反撃をかわす。その隙に彼女は間合いを離し、再び瓦礫を掴んだ。

「いい加減にしたらどうだっ」

『退け』

 走って間合いをつめようとしたイアラは反射的に止まり、後退した。直後、

いつ仕掛けたのか大きな岩がその場に落ち、砕けた石の欠片が跳ねて彼女の頬

と足に小さな擦り傷をつくった。それからふと顔をあげ。

『もう少し、だ』

 声と同時に、もう一歩下がったイアラの足元に瓦礫が落ちる。ゼロが身体の

痛みに顔をしかめたのを見て、ぐっと拳を引く。きっと顔をあげ、イアラのほ

うへ走ろうとした足を、どこからか弾丸がやけに正確に撃ち抜いた。状況に即

した判断。行動することに集中すると、彼女の動きも大分本来の軽やかさを取

り戻した。

 膝をついてその方向を睨んだゼロの腹部を、イアラが殴って、やっと気絶さ

せた。崩れ落ちたドナの身体を右腕で支え、両足の痛々しい銃創をいたわるよ

うにその場に横たえる。自分がやったものだし、急所は傷つけていないが、そ

れでも怪我自体は痛々しい。

 すっと立ち上がると、柱の影に隠れているであろう黒マントを探す。見つけ

ると嬉しそうに笑み、駆け寄った。

「声じゃなくて助けに来いよな」

「………そんな体力、が、あったならな……」

 聞こえた声は随分と掠れていて―――ふと、不安になった。

 通信を切っている間に何があった?

 立ちすくんだイアラを無表情で見下ろし、苦痛すら顔に出さずに彼は壁に背

中を預けたままその場に座り込んだ。脇腹を押さえるその手は恐らく真っ赤で、

冷たいのだろう。イアラは愕然としてその傍らに膝をついた。大きなガラフの

手に自分のそれを添える。

「……うそだろ」

「……どう言えば………安心できる」

「莫迦言ってんなよ! リック、――おい! 早く中に入って来いよ!」

 半ば悲鳴のような声に、落ち着き払ったリックの声が落ち着け、と諭す。

「何考えてんだよ、何……。血が、止まらな……っ」

『解ったから』

 ゼロはしゃくり上げる声と服を裂いて傷口に押し当てる音を聞きながら大き

く息をつき、目を閉じた。


 久々に、人を、愛しいと、感じていた。






 部屋の隅に座り込んでいたイアラは、足音を聞いて顔を上げた。大して広す

ぎも豪奢すぎもしないその部屋の扉が開くまでの時間が、それまでと桁違いに

長いような気がした。

「大丈夫なのか?」

 イアラの問いに、中年の、品の良い男は苦笑してああ、と返す。この図書館

の館長であったが、彼は意外に温和で、とてもではないが実の娘をあんな場所

に閉じ込めて平気でいられるような人間ではなかった。図書館が開放されたと

聞くとすぐに駆けつけ、ゼロの影響力が強すぎた為に地下に閉じ込めていた我

が子を、抱きしめて泣き崩れたのだった。

「出血が収まれば傷自体は大した事はない。一応躁術(※一部の種族と術師し

か使えない。癒しを司る術全般を指す)で軽く塞いだが、本格的な治療は病院

に行ったほうが良いだろう。いや、恥ずかしいことに呪力がそこそこしかなく

てね」

 リックはほっと胸をなでおろし、そうか、と、一言呟くと、そのまま脱力し

て机に突っ伏した。イアラはというと、わなわなと全身を震わせ、顔を真っ赤

にして館長を見上げていた。かと思うと白い壁に向き直り。

「ななな……っこ――この、裏切り者! 泣いちゃったじゃないか、わたしの

涙を返せ――っ!」

 隣の部屋に向かって苦情を叫び続けるイアラに、その様子に館長は自然と口

元に笑みを浮べた。リックも気付いたのか二人でくすくすと笑い出す。取り残

されたようになったイアラははっと我に返り、それを見上げた。

「なっ……なんだよ」

 たじろいだイアラに館長は頭をさげる。深く、深く。

「ありがとう。娘を救ってくれて、本当に――」

 語尾は震えて定かではなかった。イアラは赤い顔をさらに赤くしてそんなの

いいからと頭を振るが、それでも彼は頭を上げない。礼の言葉なんかでは、足

りないのだった。それは、娘を解放してくれたことへの。また、彼自身の重荷

をも、取り去ってくれたことへの。

 ゼロのことを一人で背負わなくてもいいと、肩を押してくれたことへの。

 あの後、ドナを再び閉じ込めようとした館長を、彼女はそれ以上は良いと、

引き止めた。彼にとってこれは個人の問題でしかなかったが、今回は他人の命

が犠牲になった事もあってか、はねのけてもう一度封呪を施そうとした。そん

な彼の手を止めたのは意外にもイアラの言葉ではなく、それによって溢れてき

た親としての感情であった。

 ゼロが目覚めてしまえばきっともっと大勢が犠牲になるのだろう、そんなこ

とは望まない。しかし。少女はその手に自分の手を重ねて頭をふった。

「皆で責任とればいいじゃないか。ドナもあんたもぜんぜん悪くないよ。だか

ら、もう、やめようぜ」

 ゼロは――

 美しい、少女の姿をしていた。深い緑の髪を一纏めに括って、白い肌に映え

る真紅の目は生き生きと燃え盛り、しかし彼女はふてくされた様に顔をしかめ、

その場を後にしたのだった。






「っぎゃあああぁぁ……」

 それから一週間ほど経っただろうか、酷く耳障りな声に目を覚まし、イアラ

はゆっくりを身体を起こした。

「なんだよ……」

「なんだよじゃねえよ、それ! それ――!」

 リックがソファの影に隠れて必死に彼女の頭上を指差す。はあ、と首をかし

げた彼女の頭の上から、”それ”はぼとりと落ち――見下ろしたイアラも、顔

を引き攣らせて固まってしまう。

 ベッドの上で丸まって寝息をたてる少女の身体は全長三十センチと言ったと

ころか。深緑の髪は今は解かれ、軽くウェーブの掛かったそれが頬をくすぐる

と、軽く頭を振って深くベッドに沈みこんだ。背中には蜻蛉のそれに良く似た

羽を生やしている――ゼロである。多少雰囲気は違うものの、それはまさしく、

一週間前に見送ったあの姿。

 それが、イアラの頭に引っ付いてご快眠あそばしていたのである。

「な……ななな……! ……?」

 イアラはそれを指差して縋るような目でリックを見たが、彼もまたものすご

い勢いで首を左右に振り、否定の意を表すのだった。

 少女はぐっと固唾を飲み、睨みつけるようにそれを見下ろす。こんなに慎重

になったのは、ガラフのマジギレを見たとき以来であった。彼女の指が恐る恐

る羽をつつくと、ゼロは満足げに寝返りを打つ。


 どことなく仕草が色っぽい。

「うぅん……」

「どうした」

 いつ起きたのか、その様子を後ろから覗き込んでガラフが呟いた。

 ゼロを指差し、どうにかしてとばかりに見上げてくる視線に気付くと、下ら

ん、と言い残して歩き去ろうとしたが、後ろから服を引っ張られて振り返ると、

イアラが半泣きで彼を見上げているのだった。

 ガラフは大きくため息を吐くと、ひょいと羽を掴んで持ち上げそれを外に放

り捨てて窓を閉める。二人がほっと胸をなでおろすのを確認して洗面所へ向か

おうとした背中に再び女の子らしからぬ悲鳴が聞こえた。

 振り返るとリックの中に入ったのか、ゼロがイアラを追い掛け回しているの

である。


……見捨てたい。


 そんな衝動をなんとか押さえ込むと、リックの襟首を掴んで後ろへ引き倒し、

額に銃を突きつけた。

「きゃあ! そんなことしたら死んじゃうわよ!」

「今すぐその身体から出て行け」

「い・や☆ 貴方にこの人が撃てる?」

「撃つ」

「嫌――! 信じらんない! お友達は大切にしましょうって習わなかったの?

 最近のヒュームの教育ってほんと遅れてるんだから……」

 言い終える前にリックが殴り飛ばされる。イアラが、殴った後の拳を握り締

め、その顔で女言葉を使うなよと、複雑な表情で呟いた。

「窓開けてよー、酷いわ、やっと会えたのにいきなりポイだなんて」

 多少語弊のありそうな言葉は無視してガラフが再び窓を開けると、ゼロはす

ぐさま飛び込んできてイアラの腕に抱きついた。彼女は固まって動けなくなっ

た少女の腕に抱きつく力を強め。

「会いたかったー! 三日は探したわ、ああ、私の可愛いイアラ!」

「な、な……なんだそれ、いやいや何だよこれー!」

「餌はやり忘れるなよ」

 ガラフは触らぬ神にたたりなしと、とっととその場を歩き去る。リックは相

変らず倒れていて、当のゼロはというと真っ白になったイアラを見上げて嬉し

そうに笑うのだった。




 リュークは、はたと横を向いた。ドナは隣で上を見ていて、その表情はどの

ときよりも柔らかく感じた。実を言うとリュークは、イアラが来た後何があっ

たのかを覚えていない。わかるのは――いまドナがこうして自由に、外を自分

と走り回れるようになったという事。

 彼女の動きにつられて上を見上げると、青空を雲が流れていくのが見えた。

スラムにも空があるのだ。つい最近、ドナと共に町を歩き回って初めて知った

こと。空が、あるのだ。彼は、館長からただ一言、よろしく、と言付けられて

いた。何を”よろしく”すればいいのか見当もつかなかったが、とりあえず、

自分がしてやれるだけのことを彼女にしてやろうと思った。

 空の色を忘れかけたら外に連れ出そう。

 悲しそうに俯いたなら、人形劇を見せてあげよう。すこし、財布は辛いけど、

彼女が遊びに来るようになってから、何故かスラムの住人は彼らに優しくなっ

た。

「リューク?」

「あ? ……は、ごめん、なに?」

「次は何処にいくの?」

「他か……闘技場……は、ちょっと危ないかな」

「行きたい!」

 考え込んでいたリュークはふっと笑うと、ドナの手を引いた。








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