五話
5
「さあ――」
ドナは穏やかに笑み、リュークを振り返った。
「君はどうしてあげようか」
怯えた目線の先でそれは―――花のように、笑む。
暫くすると、イアラは本棚の陰に隠してあったのだろうドリルを引っ張り出した。硬質の床に白く線
を引きながら、先端が姿をあらわす。
『おい?何する気だ?』
「地下に行く」
『は……。!待て、ちょっと!』
イアラはリックの静止に耳を貸さず、ドリルを思いっきり床につきたてた。轟音と共に床が崩れ、半
分は力任せにイアラの足が、半分はドリルが人ひとり通れる程度の穴を空ける。
満足げに笑った少女の耳元で、通信機から恨みがましい声が聞こえた。
『修理代……』
「軍もちだろ?」
そんな子に育てた覚えはありませんよというふざけた台詞は無視して、穴の淵から中を窺う。暗い中
には、随分綺麗な通路らしきものがぼんやりと見える。
或いは地下一階の専門書コーナーかもしれないが、そんなに広くはないと聞いていた。それに、仮に
も書物を保管する場所からこんなに湿気った空気が出てくるはずが無い。
とはいえ入ってみないことには判らないので、穴の淵に足をかけたイアラはふと、さっき殺したばか
りの男達を見て、中に飛び込んだ。
中は、案の定暗くてじめじめしていた。”獄”とか”地下牢”とか言うものを髣髴とさせ
る雰囲気。
廊下は入り組んだ迷路のようで、奥に行けばさらにごちゃごちゃしているのだろうと予想された。一
筋の光すら入らない場所で、等間隔に壁をくりぬいて置いてある蝋燭の明かりがなければ、きっと何も
見えないのだろう。こんなところに実の娘を閉じ込めておくなんて、正気の沙汰ではない。考えながら
歩いていたイアラは大き目の石に躓きかけて、苛々とそれを蹴飛ばした。
もっとも、ここにドナが居るとしたら、の話であるが。
『イアラ、どうだ?』
「暗くて臭い。迷路みてえだ。金持ちの道楽かな」
『或いはそこにある”危険物”ってのが”生き物”だとかか』
途端に聞こえる破壊音。明らかに硬いものが何かによって人為的に壊されたような音である。それを
聞いた少女の目が、猫科の動物さながらの輝きを宿した。
「ビンゴ……だな」
「無邪気って怖ええな、なあガラフ……ガラフ?」
リックがため息混じりに話し掛けた目線の先に何も映っていない。そのことに孤独感を覚えながら、
同時に胸を過ぎった、不安。
「お前さ、怪我大丈夫なのかよ?」
『ふん』
「何か言えよ……」
なす術もなく、苦笑する。
焦燥感。
五メートル程は飛ばされただろうか。壁を突き破っておいて良く生きていられるものだと、我ながら
思う。立ち上がろうとするリュークに、馬乗りになって笑う少女があった。浅黒い肌と漆黒の髪。
”ドナの顔をしたそいつ”は狂気じみた笑い声をあげる。けたけたと笑いながら、少年の細い首に手
をかける。リュークは渾身の力でもって自分の首に食い込んでいく指をはがそうとしたが、ドナにとっ
てそれは手の甲を軽く引っかかれる程度のものでしかなかった。
ものを言おうにも、締め上げられる喉では思うように声も出せない。
「……ナ…」
「それはこの躯の名前でしょ?私はゼロ」
にこやかにそう言うと、酸欠で赤くなった顔を覗き込む。
「ドナを守るんでしょう?」
「……」
「どうやったら守れるのかなあ、ねえ、一緒に考えてあげようか」
くすくす笑い、何処までも小ばかにしたような態度。リュークは何か言いたげな顔でそれを見上げた。
「そりゃあ、正義の味方が二人まとめて助けてやるのさ」
ゼロは自分以外の人間の声に気付くと、暗くなった視界を後方へと移した。背の低い、見た目はかな
り幼い少女が、気の強い笑みで覗き込んでいるのだった。
「さっきの子ね。あなたは誰?」
「だから正義の味方、だろ?」
ふんぞり返ったイアラを見ると、気絶したリュークから手を離して立ち上がる。
「正義?」
「てめえが黒幕か」
怒りの混じった声にくすっと微笑で返し、振り返ってとん、と地面――床と形容するよりは無難だろ
う――をつま先でつついた。イアラが頭上から落ちてきた大岩を避けたのを見ると舌打ちして横に回っ
たが、手刀も銃で弾かれてしまう。イアラはゼロの手を弾いた銃で素早く狙いをつけた。その先には、
無防備なゼロ。
イアラがやすやすと撃てないのを知って、したり顔で笑んでいた。
「ドナを返せ」
ゼロはそれに答えず大きく息をつくとやれやれとイアラを見返す。
「だって、出られないんだもん。”繋がれてる”からね。数年は大人しくしていてあげたけど――もう
良いわ」
ぎらりと、ゼロの目が光るのを見て、思わず一歩、退いた。
「――――もう殺す」
大気が、歪んだような気がした。それがはじけるのと同時に、加速しようとした少女の脚をイアラの
銃が間一髪で撃ち抜いた。ゼロは撃たれた左足を庇うようにして跪き、悔しそうに彼女を見上げる。一
方のイアラは、震える腕で銃を構えるのが精一杯のようだった。
――――大きすぎる気配が、少女の動きを制限していた。
彼女の目に押し殺した恐怖を垣間見て、ゼロの目が勝ち誇った色を浮かべる。野性に似た少女の危機
感は増すばかりで、今にもその体を飲み込もうとしていた。
「”仔猫”ちゃん?……噛み付く相手は選ばなくちゃね」
「黙れ……」
小さな声で反論するのがやっとのイアラに、手負いの少女はじりじりと近づいていく。そのたびに後
退していく自分の情けない足を、いっそ撃ってしまいたいとすら思った。巨大なプレッシャーがか細い
両肩にのしかかって、脚をすくませた。一方、追い詰める側のゼロは恍惚の表情で上唇を舐める。
年に合わぬ妖艶な仕草は、ゼロの本来の性格なのだろう。
「喰ってしまいそう……」
喉を鳴らすような猫なで声。
余裕。
「や……」
後退り。
今にも、来ないでと口走ってしまいそうで。
ゼロが声高らかに笑い、だん、と左足で床を踏み鳴らした。
「おいで、プシキャット!」
「―――っ、ぁぁあああああああ!」
イアラはゼロの言葉が終わらないうちに走り出していた。ゼロはキックを受け流すと間髪入れず襲い
掛かったイアラの右腕を掴み、その身体に不釣合いに大きな力でもって彼女を投げ飛ばした。受身を取
る余裕など当然無く、通路の壁に背中を強かうちつけて息を詰まらせたイアラの顔を覗き込むと、ふっ
と哄笑う。
少女の頬に触れた手は酷く冷たく、そして同時に、頭の中をめちゃくちゃにか回されるような何とも
いえない感覚、不快感。細い体が、小さく痙攣する。
「………イアラ」
イアラは顔を上げ、目を見開いた。理解しがたかった。
何故、名乗っていないはずの名を、彼女は口にしたのか。そんな思いを知ってか知らずか、ゼロは何
か、書物でも朗読しているかのようにイアラのおぞましい記憶の断片を引きずり出す。
耳を塞ぎたくなるような、平らな声で。
「ノーグ村の出身。十三になった日、たまたま隣町まで遣いに行っていた貴方を残して村が全滅。原因
は二人の男。怒り、我を失ったあなたはそのうち一人を”素手”で”解体”、そのままそこで二晩を過
ごし、通りかかったガラフ=Gとリック=デュオに拾われる」
「な……なに……」
「ああ――あなた、”笑ってた”」
目の前が、砂嵐になった。ああ、やめろ、思い出したくない。
共に聞こえるのは、自分の狂ったような笑い声と体組織が無理に引き千切られる音。イアラは震える
手で耳を塞ごうとしたが、その両手は顔の横で止まって、動かなかった。
―― わ た し は あ い つ を こ ろ す と き
「そして上に居た3人の時も」
「違……」
「当然か。だから殺しを生業にして生きるんだわ」
侮蔑するような、ゼロの声。目の前で震える少女を暴くことに、まったく躊躇は無いらしい。
――わ ら っ て た ―― の か …
『イアラ。何を黙っている』
聞きなれた声がした。低い、声。ガラフのもの。
「だ……って」
『貴様ら…繋がったと思えば、何をうろたえている』
緊張が解けたのか、イアラの表情が少しだけ緩んだ。こんなプレッシャーを一身に受ければ、当然と
も思えたが。
「わたしはっ」
『笑う暇があったか』
やけに、その声が頭に響いた。別に大きい声ではなかったのに。
霧が晴れたように焦点が合いはじめ、見えたのはゼロの不愉快そうな顔。次いで、ゼロの左腕でなぎ
払われて脇腹に鈍い衝撃。右に十メートルばかり吹っ飛んだイアラに向かって、ゼロが歩を進めた。
「残念。もうちょっとで私のものにできそうだったのに」
五メートル程距離をおいて立ち止まり、イアラが起きるのを待つ。イアラは身体を起こすと、未だ大き
なプレッシャーに襲われながらゼロを睨み返した。
笑っている暇など無かったのだ。
必死で。
「わたしは……あいつらの足手まといになるのはごめんだ」
「そう?残念」
ゼロの微笑もやがては消え、残ったのは静寂。暫く睨みあっていた二人は示し合わせたように同時に
口を開く。
「お前は消えろ!」
二つの声が、重なった。




