四話
4
「……リック。イアラはどうした」
『あ?あー……気にするな!』
「……そうか」
ガラフは見えもしないのに律儀に頷くと、本棚の影から通路の先を窺った。目線の先には少し広めの、
床に座って本を読めるスペースがある。恐らく例の”児童書”のコーナーなのだろう。薄暗い中に目を
凝らす。
どこぞの世話のかかるガキの所為で痛む腹を抑えながら、人影の数を数え。
「人質十二人、実行犯が一人だ」
『解った。人質に被害が無いように――無理か』
「頭を撃てば」
ちょっと待ってくれという静止の声の後、さらさらと、何かを書いているような音が小さく聞こえた。
ガラフはため息をつきつつ本棚に背中を預けて、恐らく今リックが考えているであろうことを頭の中で
反芻した。
銃弾の平均的な速さ。金属が周りにあったとして、それを狙って当たる確率、当たった場合に跳弾す
る角度。致命傷にならない場所に如何にして当てるか。そんなところか。ガラフに殺しをさせたくない
リックの考えそうなこと。
基本の計算、実行犯の動く可能性の高い角度、そちらにその身体が向かう確率とそれに伴う速度、銃
弾の速度と威力。及び成功する確率。それを現実の事象として置き換える。
ならば次に来る彼からの質問は、位置関係を把握するための。
「金属は無い。実行犯は本棚に向かって左。……不可能だ」
『げっ。お見通しかよ!……参ったな』
「オレが人を殺すのが嫌か」
『嫌だね』
即答。
ガラフはやれやれと頭を振り、撃鉄を上げる。実行犯は未だ気付いてはいないが、注意力だけはあり
そうである。
「……どうする」
『……悪い』
リックの、心底沈んだような声。ガラフはそれを”殺人”の許可ととって、青年の頭に照準を合わせ
た。
銃声。
――怖いの。だから私は出してもらえないの。
いつか、手紙にそう書かれていたことがあった。
―――でも、それでももし君に逢えるかもしれないときのために、君にだけ、この部屋のことを教え
るね。
長い間ポケットの中に閉まっていた手紙に描かれていた略地図は見難かったが、その通りの道を行く
と、果たしてそれは、あった。硬く閉ざされた石の扉を見つけたとき、嬉しくてたまらなくなった。そ
の扉を開けてドナの姿を見つけ、愕然とした。
これは、一体なんだろう?
彼女はリュークの姿を確認するなり、あらん限りの声で悲鳴を上げた。下がっていく少女の背中はや
がて壁に突き当たる。対する彼はただ、茫然と立ち尽くして。
「……いや、嫌!リューク、来ないで――見ないで!」
ドナは真っ赤に染まった両手を後ろに隠し、激しく頭を振った。その足元にはばらばらにされた何か
がごろごろと転がっていて、乾きかけた紅い液体がぶちまけられていて、しかし、それが一体なんだと
いうのだろう?
なんだか、怪奇小説の挿絵でも見ているような気分になった。
――何故自分はこうも、確固とした拒絶を受けているのか?
固まりかけている血のようなそれが、やけに生々しく感じられてその臭気に吐き気すら催すほどに思
えても、それでも自分が此処に立っているのは他でもない、この少女の為だというのに。
「大丈夫だよ。オレが守ってやる」
「嫌………。駄目なの、お願い」
こめかみを両手で抑え、ドナはその場に座り込んだ。大きく頭を振り、その真っ黒な目から大粒の涙
を零した。
「―――にげて」
未だ唖然としているリュークの前で、ドナの顔が、否その表情が凶悪に変化していく。
なにを間違えたんだろう。
そんなことを考えながら、彼はそれを見ていることしかできずに。
リックははっと我に返り、画面を確認した。案の定、右端の画面の中、こちらに向かって何か言いな
がら怒鳴っているイアラをみつけ、慌てて通信機の電源をいれた。
『てめえコラ、リック!』
「悪かったって。ただあんまり聞くに堪えなくて……いや、なんでもない」
イアラは何ともいえない顔で足元に転がっている男達を見下ろす。やがて不満そうな表情へと変わり。
それから数分待たずに、戦士の顔になった。
『まあ良いか。メモってくれ。――主犯はゼロって言う女の子。頭の中に声が響いたとか結構電波系の
アレだ。こいつら、世の中から疎外されてるタイプの人間が多いみたいで、或いは単にキレただけかも
しんねえ。でもそれじゃ女の子の声ってのがよくわからねえ。聞いてみたところそのゼロってのは行動
できる範囲が限られてるらしい。それを助け出して導いてもらうんだそうだ』
少女のあまりな言い草に何事か怒鳴った男の頭を蹴飛ばし、踏みつけてイアラはその可愛らしい顔を
歪ませて哄笑った。
『だから屑は何処まで行っても屑だってんだよ!』
リックは苦笑し、手に持っていたペンを静かに置く。一通りメモした事実はどうも漠然としすぎてい
る。ただ、判ることは”ゼロ”とやらの行動できる範囲がこの建物の周辺、もしくは中だけだというこ
と。
そうでなければ、わざわざ若いイカレ頭を集めて凶行を起こさせるのが趣味のクレイジーなのか。ど
ちらにしろ、休日だったはずの自分たちをこんな血なまぐさい場所に引きずり出した罪は重い。
一体それが何処に居るのか。
男達はきっと知らないのだろう。知っていればあのイアラに、抵抗などできるはずがないのだから。
――ゼロ。
その名をどこかで聞いたこと、もしくは見たようなことがあった気がする。首をかしげて考えるもの
の、思い出すまでには至らない。
『リック?』
「あ?――ああ、なんでもない」
心配そうなイアラの声にそう返すと、リュークを探すべく他の画面を見比べる。
少年の代わりに見える景色は散らかった本、銃創のある本棚、そして生死の判然としない、倒れ、座
り込む人、人、人。吐き気を催す変死体。
そして通路の端にうずくまっているガラフ。これを見るたびに、リックの中に謂れの無い焦燥感が募
る。
リュークの姿は、ない。
「リューク。どこ行きやがった」
『見えないってことか?』
「カメラのないとこ、だな」
『どこ?』
「地下とかトイレぐらいじゃねえ?」
『地下?入り口は?』
「さあ。危険物があるから教えられないとか」
イアラはふうんと小さく頷くと、判った、と言って本棚に立てかけてあった脚立をおもむろに振りか
ざし、何を思ったかそれで床を思いっきり殴りつけた。
あっけなく曲がってしまった脚立をみて、詰まらなさそうに投げ捨てる。凄まじい曲がり方をした脚
立が、がらんと音をたてて床に転がる。それから男達を見下ろし、思いっきり可愛らしく、笑った。
男たちの間には、戦慄が走った。
『お前ら、武器とか用意してないわけ?』
『あ……あるわけ無いだろっ、この……ば』
『あ?』
瞬時に男達はぶんぶんと頭を振る。化け物と言いたかったらしいが一応学習能力は備わっているのか、
はたまた生きる為の本能か。ドリルを使って屋根から入ったのだと震える声が口々に言った。
――イアラは一体何をしたんだ?
ついそんな事を考えるリックだったが、先程彼らが彼女にしたことを考えれば、トラウマの一つや二
つはつけて当たり前かと都合よく解釈しなおした。つくづく、都合のいい頭である。だからこそこんな
仕事ができるわけだが。
『どこにある?』
『その、本棚の影に……』
異変が起ったのは、まさにそのとき。
「そ。悪いな、助かった」
悪びれずにそう言って男達に背をむけ、歩き出そうとした瞬間、イアラの背後にとてつもなく大きな
何かが、”生じた”。男達のざわめく声に振り返ると、黒い――ガラフとは違う、大きな、真の闇がそ
こにわだかまっていた。
背中に冷たいものが走り、一瞬後ろに下がりそうになるのを気力で留める。さっきまでとは、明らか
に空気が違った。
まとわりつくような、重圧が足に腕に絡みつく。
「な……」
「――ぜ……ゼロだ!」
イアラ以外の人間達は心底怯えているような声を絞り出した。一方、少女は不審げに首を傾げ。
あれが、ゼロ?
――仲間を、売ったのね……
頭に直接響く声。――これが。
『イアラ?どうしたんだ?』
「モンスターか?」
無意識に呟いた彼女の目の前で、それを嘲笑うように影がゆらめく。唐突に、姿を消す。代わりに男
達が立ち上がり、一斉にイアラに殴りかかった。
突然のことを上に跳躍して避け、彼女が着地した場所に再び突進する、その目には理性がない。イア
ラは舌打ちして防戦に徹する。
事態を把握する間もなく襲ってきた拳を手で受け流し、本棚のほうへ流す。
「足を―――撃ったのにっ」
本を押しつぶした拳を引き抜き、にっとわらった男は、なおも襲い掛かる。
「リック!」
『撃て、イアラ。仕方ない』
冷めた声が容赦の無い断罪を下す。イアラはせっかく殺さずに居られたはずの男たちを見て、苦しげ
に顔をしかめた。
「………ッ」
頭に狙いをつけて、撃つ。意外と少ない返り血を避けて立った少女の金の瞳は悔しげに、倒れていく
男の姿を捉えていた。影がその身体を離れ、2人の少年に入ったのも。
歯を食いしばり、引き金を引いた。反動で細い両腕が跳ね上がる。
――あははっ、はははは!!
止まない笑い声に苛立ちを覚えながら、顔面を血に染めてなおも起き上がろうとする少年たちの腕に
発砲。がくがくと動く足に。笑い声が絶えた頃には、そこに生きているのはイアラくらいのもので。
肩で息をする少女の目にはうっすらと悔し涙。もはや顔の原型も留めていない屍を見下ろす。
「わたし……」
『こうするしかなかったろ?』
ちがう、と大きく頭を振る。
「わたしは…誰を殺した?誰と戦ったんだ!!」
まるで手ごたえも無く、無意味な、それがしかし彼にわかるはずもなく。
「……悪い。らしくねえ、取り乱すなんて」
でも――それでも。




