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三話

      3


 正方形の部屋の中、少女は一人呆然とそこに立っていた。浅黒い肌と肩の上でそろえられ、緩やかな

ウェーヴを描く黒髪の、ところどころに赤い飛沫が散って固まっている。

 見回せば辺りは一面の血の海で、そこに散らばった人の四肢はもう跡形も無くばらばらに”壊れて”

いた。千切れ、破け、もはや元が何であったかも見当がつかないほど。ただ一面の――紅。少女――ド

ナは、震える自分の両手を見下ろすと、大きく、悲鳴を上げた。声は石の壁に阻まれ、きっと遠くへは

聞こえないのだろう。

 小さな手を狂ったように振り回し、血を払おうとしている少女の大きな目は、絶望と拒絶を顕わにし

て。

 ―――まただ。

 また、やってしまったのだ。

 まだ新しいのか床を流れ、広がっていく血の海から逃げるように一歩、下がった。

 転がっている人間の目が、自分を見ているようで怖くて堪らなかった。




 少女は両手を相変らずその細い手首で一纏めにして掴まれていて、なかなか逃げ出す機会を見出せな

い。細い両足はだらりと力なく壁に沿って下がり、高い位置で結ばれた明るい金髪も半ば解け掛かって

いた。いっそ解けたほうが視界はすっきりするかもしれない。そして、幸運と言っていいのか、顔には

傷がついていなかった。

 掴まれている手首は悲鳴を上げるように軋み、殴られている腹部の痛みも増していくばかりである。

イアラの視線は、自然と少女の遺体に向いた。

 こういう状況には慣れきっていたが、無抵抗癖がついているのはこんなとき厄介だなと、ぼんやりと

考えていた。別に抵抗したからといって何があるわけでもなく、むしろ自分のほうが強いくらいである。

自分で自分の首を締める、というのはひょっとしてこういうことだろうか。

 イアラが抵抗も出来ないほどに弱ってしまえば、確実に”ああ”なるのだろう。

 男が、再び握りこぶしを振りかぶるのが見えた。

 直後に、激痛。

「はっ……がは……っ」

 イアラが悲鳴を飲み込んで頭を振るたび、それは容赦無く、強くなっていく。

 そろそろ顔にもくる頃だろうか、と、見当違いの方向へ傾いた思考を、強引に引き戻す。予想通りの

軌道で迫った拳を顔を逸らして避けると、それが癇に障ったのか楽しそうだった男は不愉快そうに顔を

しかめ、返す手で彼女の頬を殴りつけた。口を切ったのか、鉄の味が口内に滲んだ。

 がんがんする頭で、必死に思考をめぐらす。リックが黙っているのは恐らく通信機の存在を相手に悟

られない為なのだ。逃げられたはずなのに無抵抗で居たのも自分。今は少し、体力と体調がきわどい。

 状況自体は一般兵の時の、上官からのリンチとなんら変わらない。ただ――殴られるだけではすまな

いというだけ。もっとも、幸い軍内部に幼児性愛者が居なかったというだけの話でもある。それ以外の

異常性癖は多いと聞くが。

 どうすれば逃げて、尚且つ相手に一矢報いることができるか?……転んだって、ただで起きてなどや

るものかと。狂暴に、不敵に、イアラの目だけがまっすぐに男を見上げる。

 腕を蹴り上げようにも足が届く自信はない。なにせ、この長さである。体型云々以前に体の大きさが

追いつかない。その差を埋めるための大剣はここには無いし、殴り返そうにも腕は封じられている。自

由に出来る物といえば――

 顎を掴み、上を向かされた瞬間に、開いた気道に思いっきり息を吸い込んだ。


「おい!ネズミが一匹紛れ込んだぞ!」


 賭け、ともいえた。

 なるべく低い声で叫んでも聞く人によっては少年の声に聞こえないからであった。

 中性的な声は仲間のものと判断されたのか、すぐに二、三人の足音が近づいてきた。驚きからかたじ

ろいだ男の腕を振り払い、痛む体を庇う間も惜しんで腰のホルスターに手を伸ばす。

 素早く銃を引き抜くと、駆けつけてきた者たちまで含めて全員の両足を正確に打ち抜く。

「……はっ。低脳の……下衆どもが」

 毒吐くと、鈍く傷んでいる腹を両手で押さえ、床に倒れた。背中を丸め、苦しげに息をつく。改めて、

殴られた部分が痛い。

 わき腹を抑えて通信機を探す。硬い手触りを確認すると、それを持ち上げて壊れていないことを確認。

「終わった。……リック」

『あ……。ああ、大丈夫か?心配したぜ、お前にもしもの事態があったら誰が責任取るんだろうって』

「……なあ、通信機、壊していいか」

『冗談だよっ!……動けるか?』

「腹……ばっか殴られて……痛てぇ……っ」

『されてないよな?』

「OK。後で覚えとけ」

 とはいうものの、暫くは動けないだろう。いつもの軽口がやけにありがたく感じる。

「うう……暫くは戦闘不能、かも」

『わかった。……あのさ、無理しないでくれよ』

 すこしだけ暗くなったリックの声に、苦笑した。




 リックはその場で深く息をついた。

 足元にはぐしゃぐしゃに丸められたメモ用紙が散乱し、そのもどかしい時間の経過を物語っている。

冗談で濁したものの実を言えば、彼とてあの状況で平然としていられるほど非情ではない。音と声だけ

で何が起っているか容易に想像できて―――反吐が出そうだった。

 或いは本当に見ていることしか出来ず、まだ幼いこの少女にとんでもない経験をさせていたかもしれ

ないのだ。否。実際は――。握り締めた手は小さく震えていた。

「……ごめんな」

 ――実際は、そんなことよりもその後のガラフの反応が怖かったに違いない。

『あ?なにが?』

「いや」

 手を振って苦笑する。

 どうせ向こうからは見えていないのだが。

『………リック?』

「なんでも、ないんだ」

 少女の怪訝そうな声に、なるべく明るく返した。


『リューク!後ろに気をつけろ』

「あ……?うわっ」

 リュークは突然自分に向いた声に焦り、慌てて後ろからきた少年を突き飛ばした。少年、といっても

彼より身体も大きく、年は上のようだったが。

「てめえ……っ」

 後悔するより早く、少年がホルスターに手を伸ばすのが見えた。モニターに様子が映っていたのだろ

う、舌打ちしてイスを蹴倒し、立ち上がる音と共に荒々しくリックの声。

『撃て!』

 手に持っていながらすっかりその存在を忘れていた銃を構え、撃鉄を上げる。

 狙いを定め、引き金を引くよりも早く、胸の辺りを強く叩かれたような衝撃。

 本棚に叩きつけられ、息を詰まらせた間に引き金に指が掛かった音がする。これは、スラム育ちの彼

にはやけに聞き覚えのある音であった。何度かそれで人が殺しあっていた光景を、思い出す。

 第六感、というのだろうか。それが、もう駄目だと悲鳴を上げた。

 どん、と、くぐもった音が、きこえた。


 リュークはいつまでも襲ってこない痛みに不安を覚え、硬く閉じていた目を恐る恐る開いた。目の前

は一面の黒。闇ではなく、そこにだけぽっかりと、まるで巨大な空白のような。彼の眼前を塞いでいた

影はやがて崩れ落ち、しかしその大きな手が、しっかりと銃を持った少年の腕を掴んでいるのだった。

 ちらりと見えた銀髪に、戸惑いを隠せずに駆け寄る。

「ガ……ガラフ」

『撃たれたのか?』

 少年の声と、リックの動揺した声が重なる。リュークはその反応に少しだけ違和感を覚えたが、その

正体はついに判らなかった。

 当のガラフは二人に答えようともせず、捕まえていた少年の腕をへし折った。耳を塞ぎたくなるよう

な嫌な音を立てて、彼の腕があり得ない方向に曲がるのを見た。

 悲鳴が上がったがイアラのこともある所為か、今度は誰も来ようとしない。がくがくと他の部位を痙

攣させている少年の身体を器用に縛り上げ、何事も無かったように立ち上がる。

 ちらりと見えたその顔に、表情の変化は見えない。

「まず一人……だ」

「なあ、怪我は?」

「……行け。邪魔だ」

 抑揚の無い声は相変わらず無神経に少年に突き刺さった。実際、ガラフは子供が嫌いなのだ。半分は

自分の幼児体験、あとの半分はイアラに起因して。

 リュークは彼の言い草にむっと顔をしかめたが、不意にガラフに背を向けて走っていった。何が、と

断定できない。ただ、腹立たしかった。なにが、と強いて言うならば、それは助けられたはずなのにま

るで最初から自分などその場にいなかったかのような。そんな態度を取られることが。

 まるで、ガラフが、イアラが、リックがそれぞれに独りでその場にいるような空気に耐え切れなかっ

た。

 リュークが走り去ったのを見届けると、撃たれたわき腹を押さえてガラフは一人通路にうずくまった。

 これだから。怪我をするのだけは避けたかったのだ。傷口を塞ごうとする厭な音が聞こえる。傷口に

はマントから破り取った布をねじ込んで、本棚に片手をかけ立ち上がる。

『それで、大丈夫なのかよ』

「……ふん」

 ――もしあのガキが

 やけにぬるぬると手が滑って、出血だけが無駄に多い傷をそれでも手で押さえながら、無表情な顔を

俯けた。

 ――もしもリュークが今、死んでしまっていたなら、イアラは。


 ………なにを、恐れているんだ、オレは。




「リューク、今、何処にむかってる」

 本棚を背もたれに座り込んだイアラが小声でそう言うと、彼の声でドナの部屋、と返事が返ってきた。

銃に弾を詰めなおしていた手を止め、不審気に眉をひそめる。

「ドナの?知ってるのか?」

 そもそもそれを知っていたのなら、あんなところで座り込んでいなくても良かったのでは?

 そんな思いが頭を過ぎる。

『手紙でいつか、書いてあったと思うんだ』

「わかった。そっちにまかせよう。わたしも、そろそろ休憩は終わりにしないとな」

 立ち上がろうとしたイアラと、足を撃たれて倒れている男と、はたと目が合う。

 男は彼女を睨むと、さっさと目をそらす。見下ろす少女は意地悪そうに笑み、男の額に銃を突きつけ

た。

「怖くない?」

「はっ、誰が。さっさと殺したらどうだ」

「……殺すー?」

 彼女は銃口を男から離し、豪快に笑い出した。不可解そうに見上げてくる視線に対抗するように、そ

の無邪気かつ兇悪な笑みを向ける。

「――貴重な情報源をか?勿体ねえ」

 男は、


 その目に悪魔を見たという。


「お、おいイアラ……」

『ぎゃああああぁ!』

 いきなり通信機から聞こえてきた絶叫にびくりと肩をすくめ、リックは苦笑する。

 ――元気そうで何よりだなあ。

 ではなくて。

「おーい?」

『た、助けて……』

『ドンドンドン』

『ガタン!』

 何なんだこのまがまがしい効果音たちは。

「イ、イアラ……さん?」

『吐けオラァ!』

『ドカッ』

『ドン』

『う……っ、うわああぁ』

『もっ、もう許し……』

『あーっははは!』

『ドカッ、ガン、ガタタッ』

『誰か……』

『ドンドン、ド』

 ――ぷつん。


「………」

 やってしまった。

 ため息をついたリックだったがしかし、その顔にはすがすがしい笑みが張り付いている。

 耳の健康とイアラのためにもこうする他無かったのだ。自己正当化も兼ねてそんな事を考えてみる。

イアラからの通信は、(半ばリックの独断と彼女の自業自得で)切断されてしまったのだった。




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