起章:一話
紹介文の通り、悲劇、バッドエンドです。それとグロ・暴力表現要注意。
1
ごとごとと、不規則に揺れるトラックの荷台からは、死屍累々の荒野が見える。荒れ廃れた土地
は、いかにも今からの絶望を予感させて、若い兵士達の苛立ちをさそった。
枯渇し、草も生えていないような大地は死を孕み、転々と横たわる死人を抱く。どうにも見ていて吐き気のするような光景が、眼下に。また走っていくトラックの周囲に広がる。行く先では先行した部隊がきちんと塹壕を掘ってくれているだろうかと、あるいはもう敵に殲滅されているのではないか
と、謂れの無い不安ばかりが募っていく。
激戦区の景色は、こんな生ぬるいものではないだろう。この凄絶な景色を生ぬるい、と形容することに、多少の抵抗を感じはするが。
「あんたはどんな気分なわけよ?」
唐突に響く、底抜けに明るい少女の声。これもまた周囲の兵士を苛つかせる。少女の傍らに居た男は何も言わず、小さく頭を左右に振った。その動きに合わせて、角度によって蒼く見える銀の髪が、流れた。
彼女は相棒である彼がどうしても喋らないのが不服なのか、むっと顔をしかめる。
意志の強そうな金の目が、口よりも雄弁にその心情を語っているようだった。
「なんか言えっての」
ああ、もう頼むからそれ以上はよしてくれ。
兵士達はそんな思いをこめて十歳かそこらにしか見えない彼女――イアラ=ノエルに視線を送るが、無邪気な彼女にそんな思いが届くはずもなく。
目と同じに明るい金色をした、肩より上くらいのまばらな長さの髪を高い位置にひとまとめにして、跳ね回る姿が微笑ましいような、憎たらしいような。反面、イアラもここにいる誰もと同じく戦
闘要因であることに、失望の声が漏れる。軍隊の非情な人選にか、小さな子供に目の前で死んで欲し
くないからかは、その場に居た人間には少し、判断し辛かったに違いない。
さて、彼――ガラフ=Gについては、彼らにとって憧憬、畏怖、恐怖の象徴である。その美貌と強さは計り知れないもので、彼の行くところは常に最前線だった。つまり、ガラフと同じ車両に乗って
いると言うことは、名誉の戦死も間近であると言うこと。遠くであこがれる分には構わないが、戦場
でご一緒するのは出来る限り避けたい人物なのだった。
極端に言えば、彼はこの場に居る一般兵からみればただの疫病神でしかないのである。
「おい、ってば!」
足元で吼えられるのにも大概疲れたのか、ガラフはやっとまともにイアラの方を見る。
「……少しは静かに出来ないのか」
「わたしが話さなきゃ、誰が話すんだよ?」
ガラフは大きく息をつくと、話す必要は無い、とただ一言、抑揚の無い声で言う。無表情は彼の特徴だったが、その巨体と相まって相手に過度に威圧感を与えてしまうようだった。
視線を向けられたイアラはぐっと押し黙り、それ以降何も言わなくなった。つまらなさそうに腰を
下ろし、大剣の柄を握り締める。初陣である彼女が不安を和らげようとしていたのは誰の目にも明ら
かで、だとしたら彼の対応はいささか冷たいようにも思われた。
イアラの手は小刻みに震えていたが、自分ではそれに気づいている様子も無く、周囲の少年兵に声
を掛けては談笑する。
その場に居た誰もが、このトラックが行き先を変えてくれればいいのにと願った。
そんな思いも虚しく、がたんっ、と大きな揺れとともに、トラックが、止まった。目的地に、着い
たようであった。
さっさとトラックの荷台から降りたガラフに続いて降りようとしたイアラの肩が、後ろに引き戻さ
れた。
バランスを崩しかけ、驚いたイアラが振り返ると、親友のリリア=クレイが彼女の肩にかけた手を
はなす。彼女は攻撃系術士で、イアラと年の近い唯一の少女である。否、ひとつ上か。
腰まで伸びた、色素の薄い金髪が、際立って彼女を儚げに見せた。イアラはリリアがここにいることが場違いなのではと、思わずにいられなかった。
背は高く、どこか大人びた雰囲気のある美少女。その手が伸びて、イアラの小さな手を握る。
「今なら、まだ引き返せるよ」
イアラは苦笑し、その手を握り返す。
「大丈夫だって。心配、しなくても」
リリアは少し残念そうな顔をして、そう、と呟いた。
イアラは、幼い。小さくて細い外見はもちろんのこと、実年齢も十四歳、決して年長では、ない。
まあ、それは自分も同じなのだが。
そんなリリアの心配をよそに、イアラは自分の身長の軽く二倍はあるような大剣を背負い直す。大丈夫、と笑って彼女に背を向け、荷台から飛び降りた。褐色の大地に足をつく、乾いた音とともに走
り去る親友の後姿に、リリアは暫し茫然と見入っていた。
イアラはそれに気づいていながらも、振り返った先で天幕の設営がされていくのを見るのが怖くて、走る足を急かす。
すぐに、黒いマントの後姿が見えた。
「大丈夫なのか」
ガラフは足元に走ってきた少女に、開口一番そう言った。
イアラは馬鹿にするなと彼を見上げる。二メートル超のその巨躯に漆黒のマントを羽織った彼の姿
は、神話などに出てきそうな死に神を彷彿とさせた。同時に、その銀の髪に飾られた凛々しい横顔
が、詩人の歌う英雄の姿に似ていた。
自分を見上げているイアラの拙い考えなど知らないガラフはイアラを見下ろし、その腕に視線をやる。
「ならば、それをどうにかしろ」
「な……っ!」
イアラは震える両腕を見るととっさに肩を抱くようにして押さえ込んだ。頬を紅潮させて、眉ひと
つ動かさない相棒の、涼しい貌を憎々しげに見上げる。
いつも釣り目だった彼女の目が不愉快そうに更につりあがった。
それからガラフはこともなげに前を見据えると、背中の大鎌を抜き放つ。
その動作が、やけに様になっていて、イアラは暫く、ガラフの背中に見とれていた。
彼の双眸がすっと細くなる。風が吹き、秀麗な顔が顕わになるのを嫌うように、顔の下半分まで、
マントの襟をずりあげた。
「……イアラ」
「あん?」
「死に急ぐなよ」
「あんたがな」
――皮肉で返す余裕があれば大丈夫か。
ガラフは特に振り返りもせず、一歩、踏み出した。
イアラも遅れをとらぬように走って追う。向こうからの隊も見えていたので、目の前に派手な砂煙
が舞った。
先ほどとは違って、この地区にはまだある程度自然が残っているらしい。この景色を壊すのかと思
うと、すこし気が引けた。――ともあれ、わたしは。
ともあれ、踏み出してしまったのだ、わたしは。
砂塵が消えると、ガラフの背中が見えた。安堵に緩みかけた口元が、そのままの形で硬直した。
彼の大鎌が首を狩り、飛ばすところを直視してしまったのだった。再び両手が震えるのを感じたが、それを握りつぶすように大剣を握りなおし、唇を噛む。
もう一度踏み出した足を邪魔するように一閃、振り下ろされた剣を下段から上段へと弾いた。目の前の男に向かって振り下ろした両手に重い衝撃。肉を裂き、骨を絶つ感触と視界に映る生々しい赤。赤。あか!
更に周囲から襲い掛かる者を一閃で上下に別つ。ぬめった剣の柄を握りなおし、横からの突きを受け流して相手を叩き潰す。濡れた音を立てて飛び散り、落ちていく内臓がグロテスクで、思わず目を逸らした。
ほっと剣を下ろしたのもつかの間、背中を誰かに蹴倒され、上にのしかかられた。剣の柄を持った
右腕を踏みつけた相手のわき腹に肘鉄を食らわせて上体を起こす。踏まれたままの右腕が軋んだ音を立てて、間接が外れた。悲鳴をかみ殺して左手で腰の短剣を引き抜き、迷わず相手の喉に突きたてる。目の前の、どうやら少年だったらしい顔が苦悶に歪み、喉から血を噴き出しながらイアラ
の首を掴んで押し倒した。
「……っか、は」
死んでいるはずの相手の手は信じられない力で彼女の細い首を締め上げる。イアラはその手を乱暴に振り払って逃れ、折り重なって倒れてくる死体の山の下で、自分の右肩を乱暴に掴んだ。
目立たないところに倒れたのは不幸中の幸いだろう。普通なら、こうしている間に殺されるところだ。ああ、それにしても。血と泥と汗で濡れた服が、折り重なった死体が重い。
鉄の味がする、誰のものとも知れない腕に噛み付いて悲鳴を殺し、右腕の間接を戻した。
死体の山から這い出ると、そこがどうやら林の中らしいことがわかった。さっきの少年とやりあっているうちに迷い込んだのだろう。改めて、服が重いと思った。
鬱蒼とした緑と、湿っぽい空気が癇に障る。そしてこんな状況でも鳴り止まぬ、金属の擦れて打ち
合う音。頬を伝い落ちる血が、自分のものではないのを思い出すと、気が狂いそうになった。
「畜生っ」
足元に転がっていた、誰のものとも知れない足の残骸を蹴って遠くへ飛ばす。
死者への冒涜など、知ったことじゃなかった。
むせ返るような血の匂い。吐き気にこらえきれず、その場に膝をついて口元を手で覆った。そうしたところで、堪えきれるものではないが。
「…………ぅっ……ぐ」
地面についた両手を握り締め、きつく目を閉じた。
いっそ何も、見えなくなればいいと願った。
再び目がさめたのはテントの中。
目に付いたのは腕をぐるぐる巻きにしている包帯だとか、乱雑な室内だった。
「ここ……どこ」
少女の掠れた声に気づいたのか、傍らで転寝していた男はほっとしたような顔でイアラを覗き込んだ。
柔らかに、笑み。
「大丈夫か?」
「ん」
黒髪の優男、文字通り女たらしのこの男は名をリックという。ガラフと唯一対等な立場の人間だと聞いたが、真偽のほどは定かではない。
彼はこの――否、ガラフのいる隊の軍師である。十年ほど前までは、彼の背中を守っていたと聞く。
目に掛かった前髪を掻き揚げる動作がかなり遊び人臭い。こうしてみると、彼は本当にガラフと友人であるかさえ疑わしい。
「わたし……どうしたんだっけ」
「どうって? 暫くはぐれてたけど途中からガラフと合流して戦ってたろ? 終わったらぶっ倒れた
けど」
イアラはそうか、と呟き、ぐっと毛布を握り締めた。その掌に、鈍い痛みが走る。恐らく肉刺か何
かだろう。
居る場所にそぐわず平和な痛みに、顔をしかめた。
「やっぱりすごいな、お前は。あのガラフについていけるんだからよ」
「怖えーな」
ぼそりと呟いた彼女を見下ろすリックの顔に、陰りが見えた。肩より少し長めの金の髪がやけに目に付いたのは――――少女がその両腕で顔を覆っているからか。
その口元が自嘲に歪む。
白い肌が微かに震える。
「死ぬよか怖えー」
リックは何も言わずにその金髪を梳くように撫で、天幕を出た。
冷たい夜はふけるだけのようで、明け方はまだ、遠かった。




