闇に飛ぶ
◆
挿入詩「クレッシェンド」
ピアノは音楽を紡ぎ出す。
人々は動きを止めた。
中央の赤絨毯を歩いてくるのは、新郎と新婦。
さあ祝え、今日この日を。
観客の拍手が響き渡る。
蝋燭の光が皆を照らす。
二人は段を上ってくると
神父の前で向かい並び
互いの顔を見つめ合った。
新郎の顔は喜び輝いているが、
新婦の方は果たしてそうか。
分からない、分からない。
知る方法はただ一つ。
花嫁のベールを取り去って、
その醜い素顔を覗き見るしかない。
さあ呪え、忌まわしき結婚。
ピアノの奏者は力を込めた。
盲目男爵と哀れな少女の運命が
クレッシェンドで鳴り響く。
――挿入詩「クレッシェンド」終
神父は、十字の白紋が胸元に刻まれた紫の祭服を身に付けていた。片手にステッキを突き、片手に聖書を携えて、新郎新婦の前に立っている。
彼は流暢に前口上を述べていく。それが終わると、新郎に向かい、問いかけた。
「ラセッタ卿、あなたが一生愛すると誓うものは誰ですか?」
「リズ・ファマーケオです」
新郎は堂々と答えた。次に神父は、新婦に向かって尋ねた。
「リズ・ファマーケオ、あなたが一生愛すると誓うものは誰ですか」
新婦はしばし沈黙した後、神父を見据えて言った。
「私が永遠を誓う人は、ラセッタ卿ではありません。……ダルクです」
観客にざわめきの波が広がる。
神父は口角を上げて微笑んだ。
「ありがとう、リズ。私をとうとう見つけてくれたね」
神父は祭服を脱ぎ捨てる。すると、服の下から、闇の魅力を放つ黒眼が覗いた。頭には薄墨色のシルクハットが載っている。漆黒の翼が背から芽吹き始め、左右に広がっていく。
観客も男爵もリズさえも呆気にとられてその様子を見つめていた。ただ一人、ラテラ警部が会場の隅で瞳を輝かせていた。
ダルクは意地悪く笑って、シルクハットを取り、深々とおじぎをした。
「貴族の皆さんこんばんは、私は怪盗ファイという者です。今宵は予告状もなき無粋な真似をお許しください。私情を挟んだ盗みですので、いささか準備に時間を食いまして私も深く反省しております。その分、この良き晴れ舞台、盛大なショーで最後を飾らせてもらいましょう」
「神父は変装していたダルクだ……奴を捕まえろ!」
ラテラ警部が叫んだ途端、貴族のふりをしていた覆面警官たちが宴席から駆け出した。
ダルクは即座にリズを抱きかかえる。
「それでは花嫁は頂きます。良い夜を」
彼はステッキで床を叩きつけた。途端に、部屋中の蝋燭が消え、大広間が暗闇に包まれる。まず貴婦人たちが悲鳴を上げ、徐々にその恐怖が伝播し貴族たちも大声で騒ぎ始めた。皆、四つの出口に向かい駆け出した。
ラテラ警部は暗闇で人の波をかき分けて前へと急いだ。
「明かりをともせ! 絶対に奴を逃がすんじゃないぞ」
覆面警官たちは手に手にランタンを持ち、舞台の上を照らし出した。しかし、リズとダルクの姿はすでに闇と消え、代わりに一枚の「φ」のカードと数百枚の黒い羽が幻想的に舞い散っていた。
四つの出口が開けられて、月明かりが大広間の中に差し込んだ。すると、外には大勢の警官たちが待機していた。
ラテラ警部の勝ち誇ったような大声が大広間に響き渡る。
「この包囲網からは逃げられまい、怪盗ファイ! お前の両手に手錠をかけてやる」
警官たちは貴族たちを一人ずつ取り押さえると、顔の皮膚をひっぱり、変装していないかどうかを確認していった。会場の明かりも再び灯されて、人々は大広間の中に収容される。
だが、数時間の後、全ての人間が検閲された後も怪盗ファイは見つからなかった。代わりに、広間の像と老女中のイスリカが消えていることが分かった。
ラテラ警部はヴァン・ファマーケオの顔の皮膚を引っ張って変装していないかどうか調べつつ、彼に問いかけた。
「あの女中と像はいったいどこに行ったんですかね……まさかあなたが怪盗ファイ?」
ヴァンは顔を真っ青にして震えて声を絞り出していた。
「私はファイではない。イスリカには命令していたのだ……怪しい気配があったら、像を運び出すようにと」
首を傾げるラテラ警部の元に、屋敷内を見回っていた警官たちが帰ってきて報告を始めた。
「老女中が眠らされたまま、彼女の部屋に閉じ込められているのを発見しました」
「本当ですか?」
ヴァンは肩を震わせて問い直した。それを聞き、ラテラ警部は目を光らせた。
「像は本物ですか、ファマーケオ伯?」
「うう……」
言い澱むヴァンをラテラ警部が問い詰めると、彼は重い口を開いた。
「実はあれはレプリカだ……外見だけで……つまり中身が詰まっていない」
ラテラは指を鳴らした。苦々しい顔で解説を始める。
「奴はそれを見抜いていたんです。あらかじめ女中を薬で眠らせ、成り済ます。いざ逃げる時には、自分はイスリカに変装して、像の中へリズ嬢を詰め、隠し通路から外へ抜けていったはずです。今頃はもう町の闇の中でしょう」
膝を折り、悔しそうに彼は漏らした。
「やってくれるな、怪盗ファイ……次こそ僕が勝ってみせるよ」
警官たちの努力も虚しく、屋敷の夜は徐々に更けていった。
◆
宵闇に心地よい風が吹く。深い闇に溶け込んで、漆黒の翼は夜を駆けていく。
「リズ、目を瞑って」
そう言うと、彼はリズを抱きかかえたまま、翼をはためかせ更に加速した。足のおぼつかない浮遊感はリズの心臓を高鳴らせる。
吹き込む風を我慢して薄目を開けると、ダルクの顔を盗み見た。精悍な顔付き、形良い鼻と口、そして何ものにも染まらぬ黒の瞳。初めて見る、変装のない彼の顔は凛々しかった。見れば見るほど魅せられてリズの頬は熱くなっていく。
「ん……どうしたんだい? 私の顔に何かついているのかな」
ダルクは視線に気付くと、困ったように笑い、ウインクを返した。緊張でリズの頭に血が上り、目眩が起きた。
慌てて彼に問いかけた。
「ねえ、どうしてダルクの背には翼が生えているの? 呪いって言ってたけど」
「それか……昔、私はある宝に呪われ、この忌まわしき翼を宿してしまったんだよ。呪いを解くには、特別な宝を手にする必要がある。だから私は怪盗業を続けているんだ」
彼は目線を落とし、悲しそうに語った。
「私を連れ去ったのは?」
恐る恐る尋ねると、彼は打って変わって微笑んで、自分の顔を見つめてきた。
「君が呪いにかかっていると聞いて興味を持ったからだ。だがそれ以上に、君と過ごして私は君に興味を持ったからだね」
それを聞き、心臓の高鳴りが更に増す。
「つまるところ、私はやはり怪盗なのさ。気に入ったものは盗まずにはいられない」
愛の告白と取っていいのだろうか。それともただの気まぐれだろうか。リズは悶々として胸がいっぱいになり、苦しいような嬉しいようなどうしようもない気持ちになった。日記に向かい、気持ちの整理をとにかく付けたかった。
今日はいったいどんなことを記そうか。
彼との日々の一ページ目に。
ダルクとリズの二人の影は、月明かりを避けるように、深い深い闇の果てへと飛翔していった。