欠片に探す
ふと、彼の言っていたことをリズは思い出した。
――星のかけらを探し出し、答えを導くことができたなら、きっとまたお会いできます――
リズは机に座ると、彼との日々をつづった日記帳を取り出した。
もし彼をまだ信用するとしたら、彼と過ごした日々に答えのヒントは隠されているはずだ。
日記帳を開けると、ところどころ、彼との思い出を綴ったページに黒い羽が挟まれていた。隈なく探して計四枚。
昨日彼が挟んでいったのだろうか? その数だけかけらも隠されているということだろうか?
勝手に日記を見られたことに対し、恥ずかしくて顔が熱くなったが、それどころではないとかぶりを振った。
「きっとあなたはここにいるのね」
思わずそう漏らすと、リズは一枚目の羽のページから中身を読み込んでいった。
一日目
『今日は新しい家庭教師がやってきた。熊の縫いぐるみを持参してきたが、父に取り上げられイスリカが持っていった』
『私のピアノの演奏に彼は聞き惚れていた。新しい楽譜は湖の白鳥についてだった。そんなきれいな鳥を持ち出すなんて私への当てつけだろうか?』
二日目
『中庭へ呼び出され、鬼ごっこという遊びを教えられる。茶色の庶民服をもらった。他に使い道もないが取っておく』
三日目
『花のスケッチをした。彼は家庭教師なのに昼寝をしている。花の絵の横に彼の寝姿も書いたから後で見せようと思う』
それだけ読んでも今一つ意味するところは分からなかった。自分で書き綴っているだけなのであるから裏の意図などなくて当然である。
しばらく眺めていて気付いた。ここ数日、彼からいくつかの贈り物をもらっているではないか。
部屋の棚を探って、茶色の庶民服と楽譜を持ち出し、机に並べてみた。庶民服をひっくり返してみたり、裏返してみたりしたところ、内に小さく糸で「R」と縫いこまれたのを見つけた。
これが彼の言っていた、かけらなのだろうか?
楽譜を見てみるが、これと言って特徴はなかった。だが、楽譜にもきっと何かの意図が込められているのだろう。
胸が熱くなってきた。彼に会いたい思いが募ってくる。彼は見えないだけで、まだ自分の傍に潜んでいるのだ。夜が更けてきたので、明日になったら残りを探してみようと思った。
その日は寝る準備をした後、日記を抱いて眠りについた。
翌日、朝から屋敷は使用人たちが行き交い、夜の結婚式の準備を始めていた。父はエントランスホールの真ん中に立ち、次々と指示を出していた。
老女中のイスリカが申し訳なさそうに父に言った。
「ファマーケオ様、盗まれた品が多すぎて、婚式に飾り付けるものが全然足りません。いかがいたしましょう?」
「そうだな……地下室のものをいくつか使おう。奥にしまってある石像を持ってくるのだ。あれなら見栄えが良い」
「はい、かしこまりました」
イスリカは深々とおじぎをして部屋を出て行った。リズはそれを見届けると、こっそり彼女の部屋へと向かった。
目的は熊の縫いぐるみである。
イスリカの部屋の前にはゴミ袋が数個積まれていた。婚式が始まる前に捨てるつもりだったのだろうか。中に一つ、熊のぬいぐるみの入った袋があった。
リズはその袋から縫いぐるみを取り出すと、きれいになるまで叩いてから部屋に持ち帰った。
かけらはどこに隠されているのだろう? 上下逆さにして隅々まで調べると、背中に小さくDの走り書きを見つけた。
「これがきっと、かけらだよね」
Dの文字を日記にメモする。
彼に一歩近づけた気がした。
次に彼女はピアノの部屋へと向かった。湖の白鳥を演奏した日と変わらず、黒いグランドピアノは部屋の中央に置かれていた。
ピアノの周りを調べていったが、これといって怪しい文字は見つからなかった。
「どうすればいいの……」
楽譜ももう一度よく確認した。今までのことから、何かしらのアルファベットがかけらとして隠されていると考えられた。
だが、見つからない。楽譜に添えられた歌詞にアルファベットはたくさん並んでいるが、どれか一つだけ強調されているということはなかった。
リズは日記を眺めつつ、もう一度、あの日のことを思い出した。
――今度は楽しい気持ちで弾いてごらんなさい。この曲は白鳥たちが湖で愛を語らう調べを奏でています。その情景を想像しながら紡ぐんです――
「想像して、紡ぐ……」
リズは楽譜立てに紙を立てると、ピアノに向かった。
彼の教えが正しいのなら、曲の中に、かけらは隠されている。目を瞑り呼吸を整える。
彼に会いたい。
その思いをこめて鍵盤に手を乗せた。両手が自然と動き始め、ピアノは音楽を奏で始めた。
朝の湖に一羽の白鳥が浮かんでいる。
彼の羽はどこまでも白く、朝露に濡れて輝いている。
その隣にもう一羽の白鳥が舞い降りる。
彼女は水面を滑って、彼の元へと近づいてきた。
二羽は首を絡ませ合い、
互いの耳元で愛を語らった。
弾き終わると耳に妙な違和感が後に残った。
前弾いた時と、曲のどこかに違いが生じている。
もう一度弾くと違和感ははっきりと認識できた。更に二度弾き、ようやく位置を特定する。曲の内、ただ一ヶ所だけ出てくる「ラ」の音に狂いが生じているのだ。
四日前に弾いた時は、調律に問題はなかった。ならば、その後に狂いが生じた原因があるはずだ。
リズはピアノを開けて中を覗いた。予想通り、「ラ」の音の鍵と弦の食い合わせの部分に黒い羽が挟まっていた。
羽が邪魔をして、上手く音が出ていなかったようだ。
「かけらはここにあったのね」
羽を取り出し調べてみたが、アルファベットらしきものは見つからなかった。
楽譜の「ラ」の音の箇所も調べてみたが、間奏の部分であり、やはりアルファベットと関係はない。
リズはしばらく頭をひねっていたが、前にピアノの先生に習ったことを思い出して気が付いた。
ドレミファソラシの七音は、アルファベットのCDEFGABで代用することができる。だから、「ラ」の文字が示すアルファベットはAに違いない。
日記帳にAをメモすると、リズはピアノ室を去っていった。
いよいよ最後のかけら探しだ。
すでに日は上り切り、昼食の時間となっていた。いったん自室に帰り、置かれていたサンドウィッチで簡単な昼食を済ませる。
その後、リズは中庭の花畑へと向かった。種々鮮やかな花々が三日前と同じようにして咲き誇っている。
ここにもアルファベットが隠されているはずだ。まず、花壇の石や、葉っぱの裏や花の中を一つひとつ丹念に調べていった。しかし、それらしきものは見当たらない。
次に、花の種類にかけらが隠されているのかもしれないと考えた。近くの木を剪定していた庭師に尋ねてみる。庭師は親切に教えてくれたが、花の名前は長い上に、相互の関係性も見つからなかった。
どういうことなのだろう。もう少し考えたら分かりそうなのに、もやがかかったように思考は働かず、リズは歯噛みした。
ふと後ろから肩を叩かれる。振り向くとイスリカが立っていた。思考に集中していて彼女が近づいて来るのに気が付かなかったようだ。
「お嬢様、今朝から屋敷中を歩き回り、何をなさっているのですか?」
「……何でもないの。今日でこのお屋敷ともお別れだから、見納めにと思って……」
言葉を濁して答えると、イスリカの目つきが鋭くなった。
「私めのゴミ袋から縫いぐるみがなくなっておりました。先ほど、サンドウィッチをお届けした時、ベッドの下からそれが出てきたのですが、いったい全体どういうことでしょう?」
そう言ってイスリカはゴミ袋をリズの足元に放り投げた。中には、ずたずたに刻まれ、綿の抜かれた縫いぐるみが入っている。
リズははっと息を呑んだ。動悸が胸を締め付ける。彼との思い出の品は無残な姿を曝している。
「どうしてそんなひどいことをするの!」
「あの男のことはお忘れください。お嬢様はお家のためにこれから嫁がれるのですよ。無駄なことを考える余裕はありません。まったく、あの男はどこまでファマーケオ様を困らせるのでしょう……。さて、挙式までもう時間がありません。花嫁衣装に着替えましょう」
イスリカは自分の腕を掴むと、容赦なく引きずっていく。
まだ最後のかけらは見つかっていない。リズは必死に手を振りほどこうともがいたが、イスリカの握力は強く、離れなかった。
連れて行かれた先は化粧部屋であった。すでに数人の女中が待機していた。リズを椅子に座らせるなり、頬に白粉を付けていき、唇に紅を塗っていった。
リズは、今はどうしようもないと諦めてなすがままに任せた。化粧と着替えが終わったら、もう少しだけ時間をもらい、花壇を探してみようと思う。
今あるかけらは「R」、「D」、「A」。これにもう一字を加えることできっと何か見えてくるはずだ。
もう少しで彼に会える。
リズは、彼に再会する決意を強く固め直した。