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朝に消える

 母のユピタ・ファマーケオはリズを産むと、心労のあまりすぐに亡くなった。父は人目につかないように屋敷の中に彼女を隠して育てていった。


 なぜならリズの顔はひどく醜かったからである。見るに堪えず、悪魔のように醜悪であった。医師はそれを奇病と称した。

 世にも不思議な話だが、ファマーケオの家系図では、そういった娘がしばしば生まれている。呪いの娘と呼ばれ、童歌の中でさえ忌み嫌われているのだ。

 

 父は彼女と食事をすることを拒んだ。女中たちでさえ泣いて嫌がった。彼女はただ虚ろな目をして、一人、食卓でスプーンを動かした。

 たまに屋敷の外で遊んでいると、子どもたちが興味本位で彼女を覗きこみ、石をぶつけてきた。

 リズは孤独であった。父の計らいで、屋敷の鏡も、鏡になりそうな水面も全て除かれていたから、鏡に映した自分を見て孤独を紛らわすことさえできなかった。


 いつしかリズという名さえ嫌っていった。しかし、今は違う。彼はその名で自分のことを呼んでくれる。


「どうして、あなたは私を見た時、ただの一度も眉をひそめたりしなかったの? どうしてあんなに気軽に私の頭に触れることができたの?」

「私の眼は真贋を見抜きます。どんなに素晴らしく見える芸術品も、その中身もまた素晴らしいとは限らないのです。逆もまたしかり。お嬢様の心はどんな宝石よりもきれいです」


 彼はリズの頭をそっと撫でた。


「さあ、話を続けて」


 リズは彼の胸に耳を当て、心地よい心音を聞いた。口から自然と話が紡がれ始めた。

 父はこのところ会社の経営が上手くいっていないらしい。援助を求めるために父が目を付けたのがラセッタ卿である。

 ラセッタ卿は目が見えない。ならば醜い娘とも結婚してくれるだろうと思ったらしい。その予想は当たり、見合いの場で、男爵はえらく自分を気に入り、早速、結婚の書類と、大金の小切手を父に渡していた。

 自分が父によって売られたことを知ったのは、帰りの馬車の中であった。


 彼は全ての話を伏し目がちに聞いていた。

 部屋の振り子時計がゆっくりと時を刻んでいく。話せば話すほど、話したいことがたくさん溢れて、辛いことも悲しいこともたくさん溢れて、目から涙が零れてきた。

 彼は震える肩を優しく抱きしめてくれた。


「私、あんな貴族の男とは結婚したくない。ここ数日で思った。むしろあなたと結ばれたら……」

「お嬢様……」


 彼は辛そうな声を出すと、しばし沈黙し、口を開いた。


「追いかけることができますか?」


 低い声でそう問われた。


「鬼ごっこの続きです。今度はお嬢様が私を見つけ出してください。私はどこにもいないようで、お嬢様の周りにたくさん散りばめられている。星のかけらを探し出し、答えを導くことができたなら、きっとまたお会いできます」


 すると、どこからともなく、甘い香りが漂ってきた。リズは眼が(とろ)け、まぶたが重くなってきた。


「きっと……見つけて……みせる」

「そう言ってもらえて……幸せです。私は闇の住人です。近づくとお嬢様を不幸にするかもしれません。それでも本当に良いのですか?」


 その問いに答えようとするが、睡魔に襲われて口さえ動かなくなっていた。

 必死の思いでまぶたを開け、彼の顔を見上げる。

 彼はとても申し訳なさそうにリズを見下ろしていた。


「再会の刻までしばしの別れを」


 意識はそこで途切れた。



 翌朝、騒がしい声で彼女は起こされた。自分の身体はベッドに寝かされている。

 彼の姿はどこにもなかった。窓も閉めきってある。

 昨日の逢瀬の最中に、いつの間にか眠ってしまったようである。

 その時、イスリカが扉を開けて部屋に転がり込んできた。


「お嬢様、お嬢様、大変でございます。早く一階に来て下さい」


 何事かと思い、急いで身支度を整えて部屋を出た。廊下を歩いていると自ずと異変に気付かされた。廊下に飾られている絵も石像も何もかもがなくなっているのである。

 警官らしき見慣れない男たちが作業しているのが見受けられた。


 応接間に着くと、真っ青な顔をした父と、眼鏡をかけた男性が話をしていた。

 男性は茶色いコートを着て、パイプをふかしていた。若いのに堂々と足を組んで、貴族の父に面と向かっている。男性は自分に気付くと、キャンディをポケットから取り出した。


「舐めるかい?」 


 彼女は身体をすくませると、キャンディをそっと押し戻した。


「なんだ、いらないのかい? 糖分は頭に良いというのに」

「警部、娘相手にふざけていないで、私の話を聞いてください!」

「いやはや、女の子にちょっかいを出すのは僕のくせでね。いつか美しくなって出逢ったときに食事に誘いやすいだろう?」


 男性はけらけらと笑うと、名刺を取り出し、自分に見せてきた。


「警部のラテラ・ワーニックと言うものだ。ちょっと厄介な男を追ってこの町にやってきた」


 ラテラの気さくな雰囲気は彼とよく似ていた。形良い鼻、柔らかそうな髪質に、顔立ちもどことなく既視感を覚える。

 ただラテラの髪は白く、眼は狡猾に輝いていた。


「娘に席を外させましょうか」


 父がそう提案するとラテラは首を横に振った。


「その必要はないですよ、彼女の話も聞きたい。さて、ファマーケオ伯の話によると、飾ってあった調度品が全て盗まれていたようですね。そして朝から家庭教師のニコラ・バチックと連絡が取れない」

「……そうなんです。きっとあの男が夜の内に盗んだに違いない! あの男が博士号を取ったという大学に電話をかけたが、そんな男は在籍していなかったと言われたよ。あいつは私たちを騙していたんだ」


 父は憎々しげにそう吐いた。

 それを聞き、リズはあっけに取られた。

 気付くと、得も言えぬ悲しみが胸に迫っていた。


「なるほど。人の心理の隙を突く手口、繊細な準備と大胆な犯行。彼は僕が追っている怪盗で間違いないでしょう」


 警部はそう言うと、嬉しそうにパイプを吸いこんだ。父は眉をひそめて警部を見た。


「怪盗……いったいどんな奴なのですか?」

「奴の名はファイという。盗みの現場にギリシャ文字の「φ(ファイ)」のカードを残していくことからそう呼ばれ始めた。都会の方は今、彼の話題で持ちきりですよ」

「彼は悪人じゃないわ。たとえ出自を偽っていたとしても」 


 リズはラテラ警部を睨みつけて言った。ラテラは怪しく笑ってリズを見つめ返す。


「それは少し同感できるな。彼は金持ちからしか盗みをせず、その手口はいつも鮮やかだ。僕が好敵手と認めるほどなんだよ。……だがしかし、やはり法で裁かれるべき悪人なんだ」


 その眼は確信に満ちていた。


「騙されちゃったね、お嬢さん」


 リズは絶望で腰の力が抜けて言った。

 彼に騙されていたはずがない。

 彼は自分をあんなに大切に撫でてくれたではないか。

 慈しんで笑ってくれたではないか。

 それともあの笑顔さえ、自分を騙す手段に過ぎなかったのか?

 リズはその場に膝をついた。もう何もかも信じられない気がした。はらはらと涙が零れ落ちてくる。

 ラテラは嗜虐に満ちた眼で嬉々としてリズを見下ろすと、父に向き直った。


「今、僕の部下に現場を調べさせています。詳しい話は追ってお知らせしましょう」

「なるべく早くお願いします。明日は娘の結婚式なのです。警官たちであふれた無粋な屋敷を見せるわけにはいきません」


 父は不格好に頭を下げながら、ラテラに頼み込んでいた。

 尊大な父のそんな姿をリズは初めて見た。ラテラの地位は貴族の父より高いということを意味していた。ただの警部ではないようだ。

 


 リズは気分が悪いと言って部屋から抜けると自室に戻った。ひどく疲れていた

 ベッドに倒れこみ、そのまま眠りについた。

 その日は一日、浅い眠りと悪夢を繰り返した。

 夢の中で自分は発狂しかけ、無我夢中で光の中を駆けていた。

 

 その眼を見てはいけない。

 その声を聞いてはいけない。

 その者と口を利いてはいけない。


 童歌が繰り返し、繰り返し、耳元でささやかれる。

 歩き疲れ、立ち止まると、彼女は鏡の回廊を走っていたことに気付いた。回廊は不吉な音を立ててひび割れる。割れてできた大小無数の鏡に自分の姿が映される。

 醜かった。

 限りなく醜い自分の分身たちは鏡の中でけたたましく歌っていた。

 

 その眼を見てはいけない。

 その声を聞いてはいけない。

 その者と口を利いてはいけない。




 リズははっと目を開けた。

 部屋の中は薄暗い。遠くの山々には赤い輪郭が浮き出ていた。夕日はすでに沈み、細い三日月が白く浮かんでいる。

 ドアをノックする音があった。ラテラが部屋へと入ってくる。


「やあ」

「何の用?」

「今日はもう帰るから、お嬢さんにお別れの挨拶をしに来たんだ」


 ラテラはそう言うと、無遠慮にリズに近づき、キャンディを渡してきた。

 渡しながら、ラテラは顔を輝かせて言った。


「屋敷のあちこちを調べたが、φのカードは一枚も出てこなかった。今回の盗みは彼の仕業でなかったか……もしくは、彼はまだ仕事を終えていないのか? お嬢さんはどっちだと思う?」

「え……」


 リズは顔を上げてラテラを見上げた。


「僕はこの事件、まだ終わっていないと思っているよ」


 ラテラは確信に満ちた声でリズに言うと、部屋から出て行った。


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