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一章 人間使い Ⅲ



 身体が震えだす、汗が止まらなくなる、なんて事は無い。いや、無いとは言い切れないがそれらの挙動に関してならば先程の骨折の方が大きかった。

 信じきれないからだろう。ダイさんの言った事が、その事実が信じられないから。彼らが化け物というのには、人間過ぎる。俺から見ればちょっと個性的であるだけで、あくまで普通に見えてしまう。


「焦るなよ、ゆっくり、ゆっくり話そうぜ。コミュニケーション取るのが大事なのは『俺ら』だって同じなんだ。安心しろ、殺さない、今はまだ、な」

 

 今はまだ。その言葉だけが建物で大きく反射して聞こえた。


 喉を動かす、が、乾いた口内からは何も流れてこない。月の明かりが雲に隠れたのか、僅かに黒く渋る。


「化現、とは言ったが俺ぁ正直な所、この言い方も説明する上じゃあ微妙だと思ってんだ。本来は神仏に対して使う言葉だからな、『神』が存在しなけりゃあ使ってもいいとは思うけどよ、生憎ホントに居るもんだからな、『神』ってのは。それにお嬢……アカネは神じゃねぇ、コイツを分かり易くするなら『不死』ってな概念に足が生えて、腕が生えて、人の形をして歩き回っている様なモンだ」


 ダイさんの後ろでアカネがほんの少し顔を顰めた様に見えたが、ダイさんは俺に真っ直ぐな視線を注ぎ続ける。確かに分かり易い説明というよりも、ぶっきらぼうな説明に聞こえる気もしなくはない。雑な扱いを受けて多少機嫌を損ねるのも理解できる。

 『神』……随分とこの部分に含みがあった気がする。存在の有無に焦点を当てている口調とは違う、『神』に対しての多少因縁めいた語り口。


 座っても構わんぜ? 棒立ちのまま頭だけを動かしているとダイさんから気遣いがあった、しかし腰を下ろす気には到底なれなかった為、出ているかも不安になる程に小さな声で断りを入れて置く。


「もっとも、名を通す上ではそっちの方が響きがいいからよ。『不死』の化現、ナニソレつよそう、ってな。詳しく説明するのもお前が初めてだ、本来なら気にする所じゃなかったんだぜ」


 俺が初めて、だそうだ。果たしてその裏に意味はあるのか。悪い方向に思考が及んでいる気がする。


 固まった頭を解く目的で、呟いてみる。


「『不死』の化現、と、その眷属……」


「あ?」


「いや……どうにも実感が」


「あぁ? そりゃキリサキ、テメェにアカネの血をブチ込んだろうが、お前の動く右腕が証明にはならねえか? それに、俺はお前の腕をどうやって折ったんだ?」


 言われれば確かに、というか言われなくてもそうだ。骨折は無かった事になった。どの様にして折ったのか、という点に関しては見てないので何とも言えないが。

 汗ばんだ右の手の平を、左手の親指で静かに撫でる。感覚は間違いなくじりびりと伝わってくる。


「ふむ」


 ダイさんは腕を組んで考えに浸るような格好になる。ふと気になって目を向けたアカネは棒立ちで月を眺めていた。表情に色は無く、ただ静かに。


 俺も天井の穴を見上げてみる。いつの間にか顔を出していた月の表情にも、いつもの通り色は無い。今日という日も、例外でなく。

 空気のやり取りを三回ほど交わした後に、ダイさんの声が響く。


「……でもまぁ、そうだな。別段減るもんでも無ぇか」

 

 首を縦横に動かす事で音を鳴らしながらそんな内容の言葉を呟いた後、少し腰を下げた。


 刹那、風を切る音だけを残して俺やアカネが眺めていた月に向かってダイさんは跳んでいく。天井の穴までは十メートルはありそうなのだが、何の気なしに、人がちょっとした段差を跳び越える様な感覚で地面を蹴って、ぼんやり空いた天井の穴へと。


 成程、化け物だ。


 化け物だと認識するのと並行して、右腕が治ったという事実が言い知れぬ不安へ足を引いているような感覚に侵されていく。


 彼らは化け物だが、ならばその血を流した俺は一体?


 茶色く汚れた屋根の裏に姿を消して間もなく、ダイさんは右手に結構大きな何かを掴んで帰ってくる。着地も階段から降りる様にこなし、先と変わらない不敵な笑みを浮かべる。


「十分か?」


 黙って頷く。頷いた後に、呼吸のスパンを意図的に長くする。

 吸い込んだ空気に混じった、焦げた臭いが鼻を突く。


「ハッハ、お土産だ、ぜ」


 乾いた笑いの後にダイさんが俺との間に軽く放ったのは、人。


 受け身を取る事無く、『ドサリ』と無抵抗に地面に打ち付けられる、


 人だった。




 ――辺りに散った血痕や先の音を考慮すれば想像出来ない事態ではない、別にこの人がどうであろうが関係ない。こんなにも瀕死の状態の人間を見るのは初めてではあったが、それでも俺ではないのだから。


 しかしこの展開の真意は測りかねる。


「まだ生きてる、ロクに話も出来ねぇだろうがな。素敵に惨めだぜ、こんなになっちゃあよ」


 所々焼き解れているスーツの間から見えるのは赤く爛れた肉。赤黒く変色した裂傷も窺える。背中を向けているので表情などは分からないが、観察する意味は感じられない。

 荒くも弱々しい息遣いが耳に入り、思わず顔に皺が寄る。


「勿論俺がやった」


 ダイさんが俺の目を真っ直ぐに見据えて言う。


「どう思う?」


「どう、思うって……」


 何が、したいのか。

 人間では無い事の証明はさっき見せた跳躍で終わっている筈だ。仮にあれ以上の何かを持っていたとしても俺の認識を変えるのにそこまで見せる必要など無いのだ。それにそもそもダイさんは力の提示に対して積極的だったとも思えない。明らかに証明するには過剰な行動だ、つまりそこに対しての意味とは違う。


 彼は俺に、何を求めているのだろうか。



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