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一章 四足使いと視界焼き Ⅷ



 蒼い闇に浮かぶ月は薄く迫る雲をその身に纏う。


 硝煙の臭いが鼻を突く。目を細めてみても見える物に変わりは無い。


 足音は止まった。


 拳銃は、下ろさない。


 先程は道の先まで、それこそ人差し指で路地が隠し切れる位に見通せたのに、今の俺が見ている風景はほんの数十メートルも覚束ない程の不自然な闇。状況に対する俺の不信が右腕を下ろす事を許さない。

 音を立てずに息を吐く、足に触れたジャージがべた付いているのが分かる。左の手の平に滲む汗をそのジャージで静かに拭いた、余計に湿った気がする。

足音は聞こえない。


 そう判断して、肺に空気を取り込もうとした時、


「……おかしくなあいでえすかあ……何……? 見た感じ一番安牌そうだったのに…………総じてクレイジーじゃ……なあいでえすかあ……もう…………死ねよ……もう……」


 唇の震えを文字通り噛み殺して、無理矢理笑みを作る。


「手応えアリ……だと思ったんだがな」


「そりゃあったよ……あったあったありましたあ、もうさ…………『解除』お……ああウザいなあ……もう……」


 鬱屈な話し口の中でポロリと零れた『解除』の二文字。その宣言を皮切りに目標を遮蔽していた闇が濾過されていく。

 現れたのは、顔全体を覆う長髪といかにも虚弱そうな細身の……恐らく男。


「ほら……見てよコレ…………穴開いちゃったじゃあんかあ……いやまあ別にさあ……穴が開いたからどうこう……って訳じゃあないけどさあ…………気分がさあ…………もう……ねえ……ああ」


 キャソック……というやつだろうか、よく神父が着ている立襟から足元まで、革靴が辛うじて見える程の長い丈の黒い服装だ。あまり顔は見えないが時折髪の間から窺える不健康そうな肌の白さが……そう、あの、アレ、死神みたいだ。


 そんな男が右手の指で摘まむ様にして顔の横に持ち上げていた物には確かに俺が放った弾丸が開けたと思わしき穴があった。

 穴の開いたそれは、傍から見れば銀色のクレジットカードか何かそれ系統の物であるのだが、今この状況に在るのならばそれはそんなに普通でない、きっとそういう(・・・・)物なのだろうと思う。


 例えばさっきダイさんに聴いた――


「使い……手、か?」


「……んー?」


 何かしらのリアクションを求めて放った言葉。しかし返ってきたのは微妙な反応だった。男は首を傾げて、何故か上に向いた側頭部を左手で押さえる。


 『使い手』では無いのか? なら一体……。


「アレ、ウーン、うむむ…………むう……香前さん……やっぱりこの人…………関係なかったんじゃ……?」


 その不気味な体勢のままブツクサと何かしら呟いていた、ので。

 とりあえず引き金を引く。

 リボルバーが回転するのと共に、汚い悲鳴が聞こえてきた。


「アァン! なんですかあもう! 危ないよ! もう!」


 どうにもうるさい野郎だ。妙に甲高い声だけじゃない、視覚的にも騒がしい奴である。

 しかし良いタイミングだと思ったが、男は身を屈めて攻撃を回避しやがった。残念。何をされたか瞬時に理解し、腕をバタバタさせて怒りを露わにする動きはまるで針金細工が踊っている様。実にコミカル。


「あああもう死ね! もう怒った! 誰で! あろうと! もう関係ないもんねええええええええ! 殺す殺す、こ、ろ、すうううううううううううううううううううううううううううう!」


 カクカクとした動きで叫び狂うこの男。面白くはあるがかなり気持ち悪い。いや面白くもないな、気持ち悪い。

 まあ『使い手』であろうとそれ以外の何であろうと、殺してしまえばそれで解決だ。その為に俺は引き金を引いた、ほんの少し前に、決意をしたのだから。俺の狭い世界は引き金を引く度に血で洗われ、押し広げられていく筈だから。そう言い聞かせて自分を奮い立たせる。


 ――次に俺の世界を染めるのはコイツの血、赤くてもいい、青でも、緑でも構わないぞ?


 思わず吊り上がる頬と口角、今ならば何をしても楽しいに違いない。

 そうだ、こう言って殺してやろう。

 ハイハイお疲れさん――と、

 思い描いたように銃を差し向けて、止めを刺そうと指に力を込めた瞬間。

 

 男は突如として動きを止めた。


 その表情を狂気に満ちた笑顔で染め上げ、血走った眼で俺を見下ろして、空を抱く様に腕を広げて、


 動きを止める。




「『4D』」




 闇を擦り合わせた様な掠れた声での言葉、それを追い掛けて奴が右手に握っていたカードらしき物が燃え上がる。無機質に優しげな縁から、俺が空けた弾痕と銀色の汀から。


 いや。


 いや違う。


 燃え上がるのではない。それは紫の、毒々しく禍々しい炎だった。


「『Burn it Like Nightmare』」


 歯から、口の内から滲み出す幽界の檻を溶かした様な汁が喉を伝い落ちる。渇きを運ぶ錆びた唾液から、苦みが五臓に染み渡る。百聞は一見に如かず、悪い意味でこの言葉を実感したのは初めてだ。


「……、君は今、『(ひかり)』を……見たかい? 聞いたかい感じたかい? ……んふふふう、ふう、ふう、ふうううう!」


 温度の感じられない『紫』を目の当たりにして体を駆ける戦慄、溢れる汗がその形を示す。そして。

 恐怖か、その他の何かかに反応した全身の筋肉の委縮。俺の身体で例外無く起こった畏縮は遥かに不本意な形で指に伝わり、動揺を乗せた弾丸が銃口から吐き出される。

 辺りを散り囲む夜に響く裂帛の爆発音は、誰かの悲鳴の様に。


「きいいいぃぃかなああああぁぁぁいよぉぉぉぉん!」


 男は右手を胸の前に持ってくる。視線が狂った笑みと重なった。

 ヤツの右手に浮かぶ『焔』、月すら覗かない夜を駆ける弾丸。ただ真っ直ぐな軌道に立ちはだかった『紫』は銃弾を撫でる様に燃やして殺す。弾は塵の塊になって、動きを止めて、黙って落ちる。


「ぎっ……つ……!」


 目元が痙攣を始める。聞いてない。いや、聞いていたけどここまでとは思わなかった。ダイさんも非常識を見せ付けてはくれたが、悪意を携えて向かってくる『異能』がここまで鋭利で、今まで見た何よりも脅迫的だとは知らなかった。

 少しばかり前の調子に乗った俺を殴って殺したい。決め台詞なんて考えてるんじゃねぇよアホタレぇ。

 キャソックの男は眉を得意気に動かし、笑いに体を預けて揺らす。煽られているのは分かるが、それを流す事すら今の俺には儘ならない。


「あはははん! 見たねえ見たねえ見たよねぇえこの『焔』! フフハあああ、ならオシマイだねえもう! 君の全てを糧に悪夢が燃えて燃えて! 焦がれて二度と君の元に! 日が出る事はないのだから!」




「……何、言ってるかさぁっぱりだぜ……」


 理解できない


 俺はそう口を動かしたつもりだったのだが。


更新が大変遅くなってしまいました。すいませんすいません

今日は土下座の体勢で寝ようと思います。

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