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一章 四足使いと視界焼き Ⅶ



 『伊賀良香前』ね。『伊賀良』、聞いた事がある名前だ。

 

 そんな俺の納得なんて気にする素振りも無く二体の獣はより強く唸りを上げ始める。臨戦態勢というやつだろうか、殺人宣言を高らかに読み上げた伊賀良陣営は吐き出す空気の色を変えた。紅い眼の方が俺から見て左の前足を一歩踏み出し、青い眼の方も紅眼の遂になる様に逆の足を踏み出す。


 ふふん、と作ろうと思った笑いは形にならなかった。


 二対の異獣の間から只静かに、腕組みをして俺を見据える伊賀良。そんな彼を煽る、堅く吹き上げる風はジャケットをひらめかせては髪を揺する。重力が倍になった様な感覚が生まれて初めて立つ事だけに意識を向けさせた。

伊賀良は、俺を見据えている。

 俺は乾き固まった唇を開き離す。


 成程、これは考えを改めなくちゃあならねぇな。


 確かにコイツは一風違う、比較対象は先の九人、否、比較するまでも無い。誰から見ても甚だ傲慢な物言いではあったが、そこに裏打ちされた独特が彼の研鑽された全てを醸し出す。強さを感じた一瞬、しかしその一瞬こそが伊賀良香前という人間の強さだった。


 それはきっと殺意で。それはきっと能力で。それはきっと自信で。こんな人間には今後遇う事も無いだろう。


 敵で良かった、こんなに奮う事は無い。味方ならもっと良かった、物凄く頼りになるに間違い無いだろう。だが一番に過ったのは――


 関わりたくなかった、という思い。それは何故だろうか、理解する必要は無かったのだが。


 伊賀良が持つ『傲り』。それは俺を見下してのものとは違う、途方も無く自分自身を見上げる意識。正当に己に百点満点の評価を下す心意気だ。


 こんな、こんな形の強さがあったのか。


 今のコイツは、俺には斃せない。こんなにも強い奴は敵の中でもトップクラスであって欲しいと切に願う。


 こんな強者とは、真面目に取り合う気は無い。自分の感情の流れを顧みると、つくづく面倒臭い性分だと自分が嫌になる。

 表情を変えない様に、気を付けて。


「一つ、訊いて置きたい事がある。お前に取って損が無いとは言い難いが、間違い無く意味はあるだろうぜ。」


 伊賀良は静かに目を細める。


「……話せ」


「……オーライ」


 正直「四肢を捥いでから話を聴いてやろう」的な台詞が返ってくる展開も小指で掬える砂程の可能性で警戒していたが、そもそも今の俺は伊賀良の傲りを一番厄介に感じているのだから仮にそんな台詞を吐こうものなら気負う事無く楽に戦いを終わらせられただろう。


「さっきも言ったが……俺は逃げてない」


 反射的に返ってきたのは苛立ちを隠さない舌打ち。話は最後まで聴こうぜ。


「貴様はまだ」「聴けよ」


 特に意味は無いが俺も舌打ちをして、それから話を続ける。


「俺はよぉ伊賀良、お前の声に覚えがあったのを思い出した。そして名前を聞いて」


 本当は最初から知ってたがな。

 俺が胸ポケットから取り出した物を見て、伊賀良の片眉が不自然に吊り上がっていく。

 それはトランシーバーの様な形をした特殊な通信機器。どこのメーカーが作っているのかはラベル等の手掛かりが無いものだからイマイチ分からないが、大体こういった機器は『創嶺グループ』か『光矢技術』のどっちかだ。この時代の覇権はその二つが握っている。

 恐らく後者だろうと思うが。


 この通信機器は流行りの高水準な声紋認証を搭載した物で、識別率はほぼ(・・)十割。一卵性双生児だろうが無慈悲に認証する俺以外には完璧なセキュリティ。


 俺以外には。


 足元に落とすと如何にも機械らしい生の無い音と共に地面を二度三度バウンドして、落ち着く。


「この声に覚えは無ぇか?」


 喉を親指で二度突く、一呼吸。


「『チィ! 実験台とその協力者に逃げられちまったぜ! アイツら逃げ足だけはレベルMAXだよクソが! 良いか! アイツは俺が捕まえてやる!』」


「……貴様……一体……」


 伊賀良の目に影が射し込む。それは不安を導く、黒い色。


「はっはっは」


 棒読みの笑いを上げながら足元に転がった機械と同じ物を四つ落とす。


「『すいません伊賀良サン、目標を逃がしてしまいました。すぐに捜索網を広げてみます』」


「貴様……」


「ンッンー、『大して強くは無いんだが不死身のヤツがああやって逃げる事に特化してしまうとどうにもな……すまん伊賀良、極力お前に負担を掛けない様に尽力する』」


 表情が歪んでいく伊賀良、『異形』の二体も不安そうにその姿を窺っている。


「『あそこに石が無ければ間違い無かったんだって信じて下さいよボスあーなんだか電波が悪いなあすいませんすいませーん』」




「続けるか? あと一人いるモンねー? はっはっは」


「貴様は……アイツらを一体どうした! 何を……っ」


 良いねぇ、コイツにも結構脆い部分があったモンだ。切り札は使っちまったが、切るべき時ならば問題無い。

 美しい仲間と銘打った鎖を思い切り嘲笑ってやる。


「ぎゃはははははははっはぁ! それってさぁ。それってよお伊賀良!」


 俺は懐から銀色に輝くカードを取り出す。伊賀良にはその意味が分かったのか怒りに目を剥いて握り拳を握る。


 伊賀良の強さは、案外簡単に霧散した。


 今なら、簡単だ。






「訊く意味あんのかいィ? あんなゴミ共! クハハハハァ!」


「貴様ァッ! 『カシガマシイ』! 『カマビスシイ』!」


 ――遅い。


「『4D』」






 無数の銃声、三つの躰に穴が開いていく。


 伊賀良は即死、『異形』は背筋を伸ばして硬直した後、二体共主の元に前足を踏み出そうとして力尽きた。


「随分と素晴らしい人間だったみたいだな、伊賀良香前」


 俺は三体の屍に歩み寄る。


 あの二体は死ぬ間際に主人の命令よりも主人を優先させた。俺には目も呉れずに。これも彼の強さなのだろうか。


「俺はよ、結構嘘吐くんだぜ。んで結構根に持つタイプなんだ」


 大切な人を物呼ばわりは腹立つだろ? もう止めろよ。そしてあんな上司思いの良い部下達がゴミな訳無ぇだろ。


 抉られた地面の先を見る。そういや桐咲を置き去りにしてしまった、忘れてたぜ。


 しかし俺と伊賀良、どっちが悪いのか本当によく分からん結末だった。本当に、本当に。


「ほんの少し時間くれよ。キリサキ」


 煙草を取り出し、安っぽいライターで火を点ける。死体を見下ろしながら、俺は紫煙を燻らせた。


 ぼんやりと彼らの表情を眺めていると、ふと気が付く。


「何の偶然かね、本当」


 それぞれの死体に空いていた穴は、三つ共に全て七つだった。『異形』に関して言えば、紅い眼も蒼い眼もそれぞれ貫かれていた。


 結局コイツらは強かったのだろうか。




 どうにも渾沌とした気分だ。




前章、『四足使いと視界焼き Ⅵ』にて伊賀良の台詞を改変しました。

適当な事してごめんなさい。

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