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一章 四足使いと視界焼き Ⅵ


 目を開くと俺は一本の樹に凭れ掛かっていた。別に気を失っていた訳じゃない。

地面を引き摺られて鋭利な石が食い込んだ瞬間も、樹に打ち付けられて木片と肉片が混じりあって飛び散った刹那も、肩に刺さった爪が肉を裂いていった清浄の時も気を失っていた訳では無い。ただ気怠さを吹っ切ったという意味で意識がリセットされた様な感覚、ニュアンスだったと理解して欲しい。


 目の前に広がるのは直線上に押し退けられ、斃された森の一部。凄惨な色が熟した緑を汚く飾る。


「よくやった、『カマビスシイ』」


 声が響く。

 顔を上げると襟元から背中に屑になった幹や枝が入り込んでとても不愉快になる。額を触った指には黒いゴミの浮いた血が付着した。


 舌打ちを交えて髪を掻き揚げると、


 『異形』


 俺を見下ろす様に睨み付ける、『異形』。『異形』から放たれる獣の紅い眼光。

 

 俺からある程度の間合いを取って毛を逆立てる白い四足は、森に響いた声に呼応してより一層強い唸りを上げる。


 俺を威嚇する『異形』には『顔』が、いや『頭部』が存在しなかった。ガッチリとした肢体や魔風に靡く白く長い毛は明らかに犬や狼を連想させるそれ、そこまでは普通(そもそもこの状況を普通と言えるかは別として)なのだが、『頭部』が無い。

 その代わり、いや、代わりと言って良いのかは測りかねるけども、俺から見て左側の前足、その足の付け根から純白の翼が空間を撫でる様にはためいていた。


 その動きは。羽の間から覗く、一つの紅い瞳の存在を意識に色濃く刻むかの如く、ゆっくりとゆったりと。


「う、うっわぁ……」


 形容しがたいグロテスクな感覚に思わず顔が歪んだ。何アレ前衛的過ぎるでしょ、ピカソだってあんな絵は描いてないぜ(描くかは知らんけど)。あんなの見せられた今の俺ならスフィンクスだって余裕で愛でられそうだわ。キモイとか言ってごめんよシーマン。


 何とも言えない様な心持ちに鞭打つ様に舌打ちして、しかしやっぱり溜め息が漏れる。


 俺が吐いた溜め息のその直後に聞こえてきた人間の声、それはどこかで耳にした事がある様な気がした。


「可愛いだろう? ドックフードは最高級のものを与えている」


「……少なくとも芸術的な何かとは感じてやる」


 そもそも口どこだよ、ドックフードで良いのかよ。


 声の主は咳払いを一つ挟んで、言葉を続けた。


「先手は取らせて貰った、『蝶野翠大(ちょうのすえひろ)』」


 ふむ。俺は鼻を穿った。


「……少なくともそんな人間はこの世には居ないねぇ」


「いや、居る。貴様だ、紛れもなく貴様という人間だ」


 先から聞こえていた声の主が無数の葉のカーテンからもう一体の白い『異形』を連れて降り立つ(勘弁してくれ)、赤い革のライダースジャケットを着た男。別の見方をすれば、それ以外は特に特徴の無い男だった。だからこそ嫌な具合に『異形』が引き立てられてしまうのだが。


「気取るのは辛いだろう? 只の人間を殺して、積み上げて、プライドを守るのはもう飽きただろう?」


 そう言ってずっと俺に睨みを利かせる紅い眼の『異形』を優しく撫でる。心なしか表情が緩んだ気がするが俺は一体何を感じ取ったのだろうか、怖い。

 そして今度はその後ろで控えていた、右側に蒼い眼が埋まった羽を持つ『異形二号』が刺す様な怜悧な視線を向けてくるものだから先の状況から改善されたとは思えない。むしろ悪化した。


「何も人間だけじゃねぇよ」


「言い換えてやろう。『能力持ち』は殺せていない、『実験台』に唆されて利用されて逃げ続けている、哀れな弱者よ」


「…………。」


 とりあえず立ち上がる。土が落ちて粉塵が空気と混じって姿を示す。


 ……折角奪った一張羅が台無しだぜ、血で汚れちまっているわ穴が開いているわで最悪だ。クリーニングで直せる次元じゃあ無いぜコレは。


 首を鳴らし、肩を回す。異常無し、有る筈無し。

 内で燃えるのは赤く滾る意思。コイツは喧嘩を売ってきた。たった今、アカネを貶めた。


 コイツを殺す理由は、十分有りだ。


「俺は逃げた覚えも無ぇし、『お前等の言うプライド』なんてモンも無ぇ。まあ正直そんな感じに俺が貶められる事は気にもならねぇし非常に結構、結構だがよ」


 『実験台』、ね。


「アカネを『実験台』呼ばわりはかなり不快だぜ。物じゃねぇぞ、アカネは」


 俺は目を細めて、よく分からないジャケット野郎を睨める。丁度先程この『異形』ともう一人にぶつけたのと同様にして。すると二匹の唸りがこれ以上無い位に大きくなった。腹に響いて来る警戒か、威圧か、そんな音。悪くない。


 そういや桐咲もビビってたなぁこれ。面白かったから後でもう一回やろう。


「紛れも無い事実だ。そんな所に沸点があるのも絶に哀れ。哀れ哀れ。私はな、人間じゃない物が人間の形をして生きる事を語るのがどうしようもなく気持ち悪いと感じるのだ。そして」


 男は眉間に皺を寄せて目を細める。


「その逆も然りだ、『蝶野翠大』」


 そんな憎しみ全開の表情には苦い笑い位しか返せない。とりあえずコイツは俺が嫌いみたいだ、それは間違いなく伝わった。そして俺もコイツ嫌い。


 俺の履く靴には破損した部分は見当たらなかった、『アレ』に引きずり回された時は肩を支点にした分フリーだった両足が空中でランデブーしていてダメージを負う事を回避した様だ。


「オーケイ、お前に話は通じないって事は痛く理解した」


 鼻の横を流れて落ちて来る血を舌で掬って口の中に迎え入れる。広がる鉄の味が殺せ殺せと神経をガンガンと叩く。


 月を取り巻く雲が夜空に黄色く浮かぶ。


「しかしその『不死性』だけは報告通り、讃える程に確か。確かだが安心しろ、死ぬ事を忘れた愚かな人間でもこの『四足使い』が」



「『四足使い 伊賀良(いがら)香前(こうぜん)』が殺してやる。死なずとも、切り刻んでやろう」




 言い直した意味あんの? それって。


Q.何故たったこれだけの文を打ち込むのにこんなにも時間が掛かったのか?

A.池田が悪い。

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