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一章 四足使いと視界焼き Ⅲ




「ねぇキリサキ」


「うおっつ」


 あの会話以降、喋る事無く歩みを進める中で突如先程から沈黙を守っていたアカネが話し掛けてきた。グラスを叩いた様な高い声に背筋が伸びる。あああ自転車のベル鳴っちまった。


「何を慌てているの?」


「…………えーと」


 存在を忘れていたのでほんのり気まずい。なんて言わない。


 頬を掻いて、とりあえず言葉を返してみる。


「何の用だろうか」


「そう。私には敬語ではないのね、敬いは無いのね。ダイには使うのに、私には使わないなんてこの御面相は」


「喧嘩売ってんのか」


 御面相とは酷い、というか別にネタになる程俺の顔は汚くない。……しかしまぁダイさんの近くに長くいれば大方の人間は御面相だろうが。

 何にせよ彼女は、その物言いが俺に敬語を使わせる気を起こさせないのだと気付いていない。多分これからもそのままであり続ける気がする。


「まぁいいわ。で、さっきからアナタが押しているその奇妙な物は何? キイキイチリンチリンと気持ち悪いのだけれど。あまり私の聴覚を虐げられると内なる破壊衝動が猛り狂ってしまうわ」


「そんなモンが内に秘められてんかよ、物騒だな」


「嘘よ、アリ一匹殺せないわ」


「それならいいけどよー……」


「モハメド」


「急に凄くとんでもなく気分が悪い!」


 色んな意味で。


「……嘘よ」


「間の取り方が嫌過ぎるんだが」


 心の中で一つ息を吐く、気持ち、オダヤカオダヤカ。

 しかし彼女は自転車の事を知らないのだろうか、だとすれば見た目通りのいかにもお嬢様的な見聞の狭さという印象に俺の中で拍車が掛かるのだが。



 ――コイツ『肺胞』の事知ってたよな?


「知らないの? 自転車」


「ジテンシャと呼ぶのね、覚えておくわ。そしてキリサキ、私はそのジテンシャを見たことは無い訳ではないわ、今まで興味が湧かなかっただけよ」


 鋭い視線から放たれたのは、まるで俺の心を読んだ様に無知じゃないアピール。それにしても知識の偏り具合が尋常ではないと思う、昼の弁当の中身レベル。


「……で、なんで急に興味が湧いたんだよ。自転車に」


「好きの反対は無関心だけど、無関心の反対は嫌いでもあるのよ」


「成程、自転車が好きになったか。良いねぇ良いねぇ、ドリフト教えてやろうか?」


「顔面の腐食がついに脳まで達してしまったわ。哀れキリサキ、骨は海に流してあげる」


「そこまで言われることですかねぇ!?」


 ちょっとからかっただけなんだがなあ。



 ……真顔で涙流すんじゃねぇよ、妙にリアルでどうしようもない罪悪感に駆られるだろうが。


「ふう」


 ワザとらしく大きな息を漏らしたアカネはどこからともなく布を取り出して涙を拭き取る。布に隠れた表情は、やはり真顔。


「そもそもそのジテンシャってどう使うのかしら?」


「無関心が過ぎねぇか……? さっき見せたよな……?」


「忘れたわ」


 マイペースを刻み続けている事にもツッコもうか迷ったけれども、これ以上顔面をネタにされるのも辛いので会話を終わらせることを選択することにした。何度も言うが俺の顔はそんなに酷くない。筈。


「これはこう使うんだよ」


 歩みを止めると、それに倣って彼女も止まる。自転車に跨ってそのまま直立不動で視線を送ってくるアカネの回りをキィコキィコと漕いで右腕を内側に円を描く。

 アカネが僅かに目を見開くのが分かった。他の部分が微動すらしない為、気持ちの汲み取りも多少は楽である。


「止まって」


 ドゴッ


「ふげぁっ!?」


 なんとアカネは前触れ無しに俺の右肘に蹴りを入れてきやがった! バカだコイツ! 普通に痛い!

 勿論転倒は免れず、自転車は金属や諸々がぶつかった大きな音を立てる。


「バカッ! おバカさん! お前はバカか!」


 すぐ立ち上がってアカネに文句を言う。どんなに関係に波風が立とうとこれは言う。殺す気か。

 しかし返ってきたのは意外にも沈黙、目を細めて俺の右腕を見詰めている。無言なんて不安でしかない。眉を寄せて顔を覗き込んでみるが、やはり無反応。


「……おい?」


 溜め息を零すと若干戸惑っている俺の手を払い除けてハンドルを握る。


「どいて」


「え、あ、お、おう」


 状況が呑めずに自転車から降りるとあっという間にサドルやペダルを占領してしまう。


「え、おま、ブレーキとか」


 戸惑いに凝り固まった唇をアカネは冷たい人差し指で制す。ぶつかった視線は僅かに微笑んでいて、


「ジャックナイフ、教えてあげようか?」


 そう言って姿勢良く自転車を漕ぎ出し、先に進んで行ってしまった。


「え、ん? んん?」


 自転車を知らない、興味無いってあれ? 


「に、似合わない。チャリンコにあのドレスは……いや違……アレ?」


 背筋の伸びた彼女は強烈な違和感のまま曲がり道の陰に隠れる。


 呆気に取られるとはこの事か、開いた口が塞がらない。


「おうキリサキ、どうした」


「え? ああ、あの」


 暫く棒立ちになっていた俺にどこから来たのかダイさんが肩を叩いて声を掛けてくる。そういえばこの人もこの人でアカネとの会話中どこに居たのか分からない、人間じゃないと神出鬼没になるのだろうかが気になる所。気になるが、今は違う。


「あの、アカネって自転車知らないんスか?」


「はぁ? んなわきゃねーだろハゲ、人間に混じったってお嬢は博識の部類だぜ?」


「いやだってさっき知らないって俺に」


 あー、とダイさんは少し唸った後に笑顔で言い放つ。


「そりゃお前に気を遣ったんだよ、お嬢なりにな。これで多少は気分良く話せんだろ。あとは……素直に話したかったんじゃねぇの? 知らんけど」


 ま、喜ばしい事だぜ。そう呟いてダイさんは視線を道の先へ走らせる。



「…………はぁ」





 どうやら俺は謀られたみたいだ。







 あとジャックナイフって何でしょう? テニス? 黒いの?




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