8. 再任の儀 第六の騎士 マルティス
「最後に、騎士団第六騎士シャン・クルド。私が与えし名は、我が騎士マルティス。前へ」
軽やかに、耳の横で揃えて切った薄茶の髪を揺らし踏み出した足で、彼は体重などないような滑るような動きで歩く。この長身の者が多い中、小柄に見える彼は、まだ少年としか言いようのないほど無邪気な若葉色の瞳をしていた。少し丈の短い上着と短いズボンという年相応の緑色の平民衣装に、簡略化された色の薄い黄の短い外套を掛けている。
彼は早々に移動を終えるとぱっと跪き、早く動きすぎた体に遅れた外套が静かに背に帰るのも待たずに言った。
「姫さま」
少し高い真っ直ぐな声で、大切そうに彼はいつも仕えるべき者を呼ぶ。
「その名の意味は、マルティ・ルティス〈清き風〉。貴方が私に授ける言葉は何ですか」
「大切なものを守るために、今までの弱さも怖さもぶっ飛ばして、新しく、心に風をいれること。その大切さを、僕は知っています」
マルティスは、自分がどこで生まれたのか知らなかった。気づけば、まったく同じ顔と背格好の子どもの手を握ってランサルンア王都の最南端にある貧困窟に立っていた。
覚えているのは自らの名前と、その子どもが自分の片割れであること、そして母がここに連れてきたが、その母はもうここにはおらず絶対に二度と会えないところへ行ってしまっていることだけだった。
それからは、ただ生き残ることが困難だった。
腹が減り、喉が渇き、同じような境遇の者が溢れる場所で、手に入るものは何もない。町に出て食べ物を盗み、誰よりも早く走れる足と何も言葉を交わさずとも考えていることがわかる相方が、生き延びる術になることを知った。
まったく同じ顔、同じ声、同じ考え、同じ感情を持ったその片割れを見ると、今自分がどんな顔をしているのかがわかった。何もかも同じの外面と同じように、内側も何もかもが同じだった。
ただ一つ、この貧困窟に対する考えだけを除いては。
マルティスはこの貧困窟を多くの者が生き残ることが出きるよう変えたいと願い、片割れはこのままであることを望んだ。その差異が、まったく同一の世界を感じる半身であった彼らを引き裂くこととなった。
日々意見はぶつかり、話し合うことも困難となっていった。そうして硬直し、悪化していく関係となってしまったのにも関わらず、面と向かって言い合いになりもう二度と戻れなくなることを心から恐れたマルティスは、何もすることが出来なかった。
そしてついに、マルティスの声も聞かず二つに分かれた勢力が抗争をはじめ、二人は殺し合う敵となった。失うことを恐れて、手遅れにしてしまった自分の愚かさを、悔やんでも悔やみ切れなかった。
もはやマルティスの手を離れてしまったその抗争に顔を突っ込んだのが、ラティフィーンだった。
王女は身分を隠してひょっこり現れ、二ヶ月かけて戦いつつ交渉を続けた結果、漁父の利を得ようとお互いの側近が裏で手を組み虚偽の進言で抗争へと唆していたことがわかり、事態は収束した。
もう二度と帰って来ないと絶望した半身は、マルティスと同じように、失うことが怖かったのだと彼を抱きしめて泣いた。その時、もう自分たちはどれだけ離れても、二つに分かたれることはないのだと気づいた。
だから、片割れが世界を見に旅立つのを見送り、マルティスはこの地で新しく増えた大切なものを守ることを決めた。
「マルティス。貴方には騎士団の「盾」の称号を与えます。〈聖青花〉は、マルティスを贈り、その証にその花紋を刻んだ〈青銀器〉の指輪を」
言い終るや否や、まだ〈青銀器〉を持ってもいないラティフィーンへマルティスが素早く両腕を伸ばした。
「あっ! えへっ」
どう見てもわざとらしい笑い方をして、すでに前の〈青銀器〉のある右手を引っ込める。
それに苦笑しながら、銀器を手にしたラティフィーンはマルティスの前に膝を着くと、左手を取り、その中指に静かに指輪を通した。
「私が選んだ〈聖青花〉は、多くの細かな葉を茂らし、塵を押さえ風を清める薄青の清風花」
にこにこと指輪とラティフィーンを交互に見ては笑うマルティスに笑い返しながら、ラティフィーンは円台へ戻り剣を握ると、その前に着き立てた。
「受けますか」
「はいっ! 姫さま」
元気良く答え立ち上がると、外へと反った三つの鍔を持った特殊な、少し細身のその剣を片手で持ち、高く掲げた。
「僕は、鍔に紋を彫ります。迫る剣を遮る、僕はあなたの盾になりますから」
透る様に、けれど毅然とした覚悟で真っ直ぐに背を伸ばした姿は、何よりも頼もしい。
「よろしくね、ティス」
「もちろんです! 姫さまっ」
嬉しそうに応え、尾を振る子犬のように愛らしいこの姿は、彼の本性とはかけ離れていると知っているのに。
(でもやっぱり、こうやって笑ってるとほんと可愛い)
「貴方にランサルンアの騎士の神と銀の乙女の加護を」
言祝を受けたマルティスが笑顔を増し、満面の笑みで手を頭上へと高くかざした。すかさずにっこりと笑ったラティフィーンが飛び跳ねて、勢い良く手を合わせる。空まで響いた胸のすくような清々しい音が、高らかに鳴った。
それに騎士全員が、暖かい笑みを浮かべる。それを見渡しラティフィーンはもう一度笑うと、王女の荘厳さで言った。
「皆が与えしその言葉こそが私の光。私が成すべきことを成すための、標。どうか共に、歩んでください。皆の心は私の心、私の心は、皆に預けます」
その言葉に、六の騎士は再びその場に跪いた。
「これで、再任の儀を終えます」
丁寧に、一句一句をなぞる様に、ラティフィーンは声にする。騎士達が立ち上がるのを確かめると、ゆっくりと一度目を閉じ、視線を上げた。
その先には、光を吸っては閉じ込めているような漆黒の髪の青年が、新雪色の瞳でこちらを見つめていた。