6. 再任の儀 第四の騎士 メゼリエラ
「次に、騎士団第四騎士ミヨナ・マリキス。私が与えし名は、我が騎士メゼリエラ。前へ」
颯爽と出された足は布に包まれてもなお細く、進み出たのは肩を少し過ぎて伸ばされた燻ったような赤の髪が凜とした女性。紅玉の瞳は、真っ直ぐな意思を宿し主への思いの強さを窺わせている。
女物とも男物ともつかない簡素で動きやすさを重視した緋色の衣装は、ただ素直に女性特有の線の柔らかさを覆っている。きりりと背を伸ばしたその姿は、気品に溢れどこまでも美しかった。
さっと、彼女が膝を折る。
「姫」
短く呼ぶ声には、清い潔さが表れていた。その彼女らしさに、ラティフィーンはにっこりと笑顔でもって応える。顔を上げていたメゼリエラは、それを見るなりぱっと顔を赤くし俯いた。
「その名の意味は、メゼリエ・ゼリエ・ゼリエラ〈愛の源たる言葉〉。貴女が私に授ける言葉は何ですか」
「苦しみの檻を作るのは、己が心。己を囚われの者とするのは、己が自身。それを知った時、他に代える事のできない豊かな広がりを、人は得ることができます」
彼女は、女だからと家族さえ蔑む家に生まれた。家の男は父も兄も弟も、どんなことも力で自らの思い通りにしては、不快になると当り散らた。母は、いつも俯き怒鳴られ詰られてもただ黙っていた。メゼリエラや双子の妹達へその矛先が向いても、母はやはり黙って泣いているだけだった。
その理不尽さに、その不毛さに、メゼリエラは身を焦がすほどの怒りを抱く。
何故何も言わないのだ。何故戦おうとはせず、逃げようともしないのだ。
心の底から、そんな人生など私は嫌だと思った。だから、二人の妹のためにも、どんなにつらく苦しいことがあろうとも戦い貫くことを誓った。
本棚の事典よりも重いものを持ったことがなかった幼い手を、庭を走ることさえなかった小さな足を、傷や胼胝やかさぶたでぼろぼろにして、女の手足からかけ離れた様になっても、メゼリエラは一日たりとも鍛錬を止めなかった。
なんど打ち負かされても立ち上がり、胼胝が破れ血で滑る杖を握り締めては、誓いを新たに刻んだ。弟に勝ち、兄に勝ち、父に勝ち、すべての男に勝利するのだと。それまでは泣くものかと、泣くものかと生きていた。
涙は、負けた者が流すのだと思っていた。
そうして数年が過ぎ、父が領主として治める土地だけではなく、北の地の広大な域の腕に覚えのある者を集めた大会で、優勝を収めた年のある秋の日。
自らの屋敷の近くを歩いていたはずが道に迷った先の森で、足を挫き動けなくなっていたところを偶然通りかかった少女に助けられた。
その恩義を返さんと、断るラティフィーンを無視して追い掛け回し、一年半前の十一月、悪領主からの民の救出のための二ヶ月にも及ぶ大乱闘に、制止の声を聞かずに参戦した。
その中で、長き時奴隷として囚われながらも、恩ある者を手にかけた罪に苦しんだ者たちがその二つの枷から放たれるのを目にしたとき、もうずっと忘れていた涙が止め処なく溢れた。
妹達を守ると誓ってから、一度も流さなかったそれに驚愕したメゼリエラは、目が潰れれば止まるとでもいうように音がするほど強く拭った。けれどそれは、メゼリエラのものよりもずっと小さく柔らかい手によって止められた。そのまま、しっかりと自らの荒れ果てた手を握り締めて、少女は言った。
『泣いていいんだよ。泣いて泣いて、女の子は強くなるんだから』
強くなるために泣くのだと、小さな王女は、彼女と同じように泣いていた。
はじめて聞く、今まで考えたこともなかった言葉。
けれど。
泣きながら笑って、私の騎士になって欲しいと手をのばす王女を前に、頬を止め処なく流れるのは、胸に溢れて溢れて仕方ない喜びだ。
声を上げて泣きながら、小さな手を取って、一生彼女のそばにいられることをメゼリエラは願った。
「メゼリエラ。貴女には騎士団の「気品」の称号を与えます。〈聖青花〉は、ミテリスリナを贈り、その証にその花紋を刻んだ〈青銀器〉の髪飾りを」
ラティフィーンがメゼリエラに歩き寄り、ミテリスリナの花を模った銀の花が鎖の先で揺れるそれを、前のものの隣に挿した。近づいた耳元でラティフィーンが嬉しそうに褒める。
「とっても可愛い。すごく似合ってるよ」
「姫、そういうことをおっしゃらないでください。……これ以上赤くなるのは嫌です」
その返答にくすくすと笑ったのは、ラティフィーンだけではなかった。己の式を待つ第六騎士の「メゼさんって、姫さま相手には豹変しますよね」といつもより小声のものの、後でメゼリエラに説教を食らうこと間違いない発言に、皆が苦笑した。
「私が選んだ〈聖青花〉は、小さな花が数多咲き誇り、青き霞のような美しく強い娘の象徴、深き青の乙女花」
続いてラティフィーンは鋼鉄製の、細いがずっしりと重い二メートルほどの杖をメゼリエラの前に置いた。
「受けますか」
その心を表すような真っ直ぐな瞳で、メゼリエラが見上げる。
「この命、捧げる覚悟と共に」
受けた杖をきつく握り、跪いたままメゼリエラは続けた。
「私は、紋を杖の中央に深く刻みます。戦の最中とて、姫の騎士としての心を芯とすることをお誓い申し上げます」
そしてきりりと顔を上げ、〈青銀器〉の鎖を揺らして立ち上がる。
「うん。よろしくね、メゼ」
その言葉に、彼女はまたも淡く頬を染めた。その様を見ながら、王女は心底不思議に思う。
(こんなに可愛いのに、本人無自覚なんだもんなぁ)
「貴女にランサルンアの騎士の神と銀の乙女の加護を」
祝福の祝詞の後にメゼリエラが杖を逆手に持ち地へ着け凛と立つと共に目を合わせて、二人で笑った。
それからラティフィーンは、次に並ぶ翁へと顔を向ける。