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1.  姫と騎士の日常

 


 銀の乙女が守護せしめる王国、栄光の地ランサルンア。

『創四記』に続く神話に登場する、荘厳かつ秀麗な数多(あまた)の神々が眠る地。

猛き精霊の咆哮(ほうこう)が侵すことを禁忌とする、銀の乙女眠れる地。

四つに分けられた大陸の、右下に位置する智慧の国。


 一年を通して穏やかな常春(とこはる)の気候は、神々をも眠らせ、人々はのんびりと日々を過ごす。

豊かな水と、肥えた大地、穏やかな風、咲き誇る花々。

騎士神の剣と銀の乙女の本を国旗とする、医学と神学に長けた、その歴史は数千年にも及ぶ古き地の王国。

 時は、そのランサルンアが最も美しいと謳われる季期(きき)(れい)(しゅん)〉の一日(ついたち)。六十日という期間で区切られる季期は、二ヶ月を一単位とする。その〈麗春〉が抱くのは、四月と五月。冬の終わりからゆるゆると暖かくなる二月三月の〈(たん)(しゅん)〉と、夏にむけてじわじわと暑くなる六月七月の〈(れつ)(しゅん)〉の間に位置している、気候自慢のランサルンア切っての季節だ。

 春霞の青い青い空の下、どこまでも続く緩やかな浅緑(せんりよく)の丘には、色取りどりの花々が見渡す限り一面に広がっている。遠く、(こぼ)れるように湧く清い泉を越えて、丘の草花を優しく撫でる風。花の香のするそれが髪を揺らして去ってゆくのは、何よりも心地いい。

日に透ける、少し波打った腰まで伸びる長い黒曜石の髪が、優しい手に梳かれているよう。


(幸せ……)

 少女が微睡むのは、目の醒めるような青から今にも消えそうな薄青まで、国中の青い花を集めてつくられた〈青の楽園〉と呼ばれる王城内の広大な花園。その花々の種は現五十二代国王ルエン・ガオール・ランサルンアが誕生と共に娘に贈ったものだ。それは彼の末子であり、第四王女である彼女、ミナラセ・ラティフィーン・ランサルアーナの、授かりし預言称号がミナラセ〈青き〉であったことに由来している。

その花園に在る数え切れない種類の花々は、ラティフィーン自らも手塩にかけ育てている彼女の宝物だ。その美しさはまさにこの世の楽園であり、民のために公開される一定の期間には、国内からだけではなく、他国の者まで遠路(えんろ)遥々(はるばる)一目見ようと訪れる程の絶景。


 そして、いつの間にか王女が育てたこの庭の花々は敬愛を込めて、〈(せい)(せい)()〉と呼ばれるようになり、さらにそれはラティフィーン自身の二つ名となっていた。


 その目を見張る程美しい花園に、数多(あまた)ある種の中で最も多く植えられている幻の花がある。たった数瞬目を留めてしまえば二度と忘れることの出来ない潤むような深い青をした、柔らかな花弁が幾重にも重なった大輪の花。

  〝エディエン〟 それ自体が〈楽園〉の名を持つ、ラティフィーンの象徴花。

その中に埋もれるようにして風のそよぐ青空の下微睡むのが、この王女の最大のお気に入りの時間だった。



「我が君、起きてください。日に焼けると侍女達に怒られます」

 かけられた深い色の声に、少女は年の割に小柄な体をさらに小さくして、ふわふわとした絹のような感触のエディエンの花の寝床へ一層深く沈む。もう少しで、完全に見えなくなるほどに。

ぐずるラティフィーンに声をかける青年は反応がないことを見ると、持っていた資料に没頭するうちに移動していた太陽を追ってわずかに身を動かし、自らの体で彼女にかかる日を遮った。

「我が君、どうかもう起きてください。皆が戻ります」

「んぅ……だって、もうし…………ばらく昼寝なんてできないんだも……」

 ようやくラティフィーンが口にした言葉に、再び青年は黙った。

精巧極まりない顔にわずかに困ったような表情を浮かべ、彼は彼女を見つめた。そして、ほとんど眠りの中にあって舌の回っていなかった言葉を反芻(はんすう)する。

〝しばらく昼寝が出来ない〟。確かに、そうなることは間違いなかった。それどころか、日々の睡眠時間が危機的状況になることさえすでに絶対的に確定している。


 つまり、彼がいつまでも彼女を起こせない理由は、そこだった。


 これから六十日ほど彼女が最も好むこの趣味が取り上げられると思うと、あと少し、あと少しと眠らせてやりたくなり、時間の迫った今に至ってもどうしても強くは言えなかった。

そしてこの三時間で唯一の言葉を発した少女は、そのまま再び青の花々へもぞもぞと潜り込む。

華やかでいて澄んだ甘い香りが、夢をゆるゆると手繰り寄せてゆく。やっぱりこのまま寝てしまおう、そう思いラティフィーンが体の力を抜いた瞬間。


 「起きろ」


 少女の腰に何かが巻きつき、彼女を青い花に囲まれた〝巣〟から引っ張り上げた。そのまま〝連行者〟はラティフィーンを半分肩に担ぎ上げると、無造作に歩き出す。

 ラティフィーンを想い、三時間そばに立ち続けた青年であったならば絶対にしない行為だったが、王女はただ目を一つ擦っただけたった。そしてようやく瞼を持ち上げると、ラティフィーンとは違った、光を吸い込むような漆黒の髪が彼女の顔の横で揺れていた。

「ユイ……戻るの早かったねぇ」

「もう三人集まっている。早く来い」

 彼の歩調はラティフィーンが普段歩く倍の速度にも関わらず、伝わる振動は移動しているのか疑うほどのもの。そしてその無表情な横顔もいつも通りだ。ラティフィーンは頬をつけていた肩から頭を離し、ぼぉーっとしながら顔を上げる。そこには、先程まで少女を起こすに起こせなかった青年がすぐ近くまで迫っていた。

(おの)が主に失礼だろう。下ろせ」

 常よりも幾分低い声で、国の守護神である騎士神の像よりも整った顔を不快そうに歪め、エディエン色の外套を纏った彼は警告する。

しかし、目元へ届く黒髪が風にさらさらとなびいていることにも気づいていないような無表情さで、王女を攫った男は前を見つめたまま言い放った。

「俺はこいつを、主と思ったことはない」

 ぐっと、後ろを歩く青年の眉間にしわが出現するのを、幸い未だうつらうつらとしていたラティフィーンは気づかない。その顕現(けんげん)が彼女が最も恐れ(おのの)くものの一つであるのは、それが後に続く短くも受けきれないほど重い問いや言葉や沈黙の連撃を、彷彿(ほうふつ)とさせるからだ。

そして突然、まだ覚醒しきらないラティフィーンのうっすらと開いた瞳に流れていた景色が止まった。どうしてだろうとぼんやり考えている彼女の、まるで荷物のように扱われている少し丸まった背中に、夏空のように晴れやかな声がかかったのは、その時だった。



「おい、お姫。もうすぐ十八の式だってのに、その移動方法はないだろ」

「また昼寝ですか。まったくもっていい気なものです。こちらは汚い小屋に留まって、一手打ってきたというのに」

 後に続いたのは、知性ある落ち着いた声。けれどその嫌味ったらしい物言いを、ラティフィーンはいつもの小言と聞き流す。しかしその青年の後ろに立っていた女性は、ラティフィーンを発見しすぐさま駆け寄る途中、それにしっかりと反論した。

「我らは姫のために振われる剣。我らが働くのは当然だろう。……姫、御髪(みぐし)に葉が付いております。お取りしますので……ユイ殿、姫を降ろしてもらいたい」

 (うなず)くことさえせず、睨まれながら言われた彼はラティフィーンを肩から下ろした。すかさずその女性は髪を衣装をと甲斐甲斐しく、寝惚けるラティフィーンの身なりを整えはじめる。

「ほっほっほ。急ぎ帰って来たというに姫様に構って貰えないからと言うて拗ねていては、やはり「坊」の名からは逃れられませんな」

 はじめの二人を普段から省略名に〝坊〟を付け呼んでいる派手な若者衣装のその人は、愉快そうに老人の(かがみ)のような笑い声を上げながらのんびりと歩いて現れた。

言及された二人はそれには何も言わず、ただ苦い顔をする。


 ふいに、ラティフィーンらが立つ真横の生垣が風もないのに不自然にがさがさと揺れた。庭に引かれている通路とはまったく異なったその場所から突然、天を走る雷のように黄色い影が飛び出した。

「姫さま、僕戻りましたっ!」

 あまりの勢いにラティフィーン達の目の前を横切って、かなり離れた場所に着地し、慌てて駆け戻りながら元気よく声を出す。いつものように独自の近道から出てきた、まだ少年とも呼べる顔立ちの彼は、無邪気な笑みを浮かべて褒められるのを待つ子供ようにラティフィーンの前で止まった。そのでたらめな登場も、ラティフィーン達には常の事だったが、普段なら掛かる叱責や呆れの声は今回ばかりはない。

「一番遠くまで行ってくれたのに、早かったね」

「はいっ、僕頑張ったんですよ!」

 少し上がった息で、さらににこっと笑う。二番目に移動距離のあった翁の倍の遠さまで出かけていたはずだったが、ほとんど同時に戻って来ている。それでも、仕事をきちんとこなしたことは確かだった。

「早くしないと、式に遅れると思ったんです」

「うん。ありがと、ティス。お疲れ様」

 眠気の少し残った顔で、ラティフィーンが優しく笑う。それに嬉しそうに少年は頷くと、ぽんと後ろに跳び退って、すでに一箇所に集まっていた仲間の元へ加わった。

 ラティフィーンは腕を青天へと高く突き出してうんと伸びをすると、頬に手をやり、景気良く張って顔を引き締めた。

「さて、みんな作戦の準備も終わらせてくれたみたいだし」

 すっと背を伸ばしたその黒 瑪瑙(めのう)の瞳は、もうすぐ十八になる娘には凛々しい、まさに王女のものだった。


「では、これより式をはじめます」



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