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14. 個別作戦  老騎士は、年齢不詳。

 


  南の市街地中心に位置する、八番大通り中央。

 城下街でも最も賑わいを見せる市が日の出と共にはじまり、移動さえ困難なほどごった返していた人通りも正午を過ぎた今はいくらかの落ち着きを取り戻している。


 その中を、焦げ茶のカウボーイハットを深く被り色を落とした白のシャツの胸元を開け、くっきりとした鎖骨をさらした男が歩いてゆく。その肩には成人男性の身長を軽く上回る、同じく深い茶の皮製の細長い荷がかかっていた。

 その静かな足取りと穏やかな雰囲気により、忙殺からようやっと解放され休憩に入りはじめた通りの人間には、意識もされないただの通行人だ。

 

 しかし一旦彼を見止めれば、話は違う。


 汚れた布を足元の桶で洗い立ち上がり様に顔を上げた年若い乙女から、ようやっと昼食のために椅子につき腰を叩いて伸ばしていた老婆まで、桃色の花のように頬を染め過ぎ去る彼を恍惚として見つめるのだ。

 前からも後ろからも送られる多数のその熱い眼差しに、年の頃三十半ばの男はふわりと笑み。

 男の野性味を感じさせる渋いカウボーイハットに手を添え、さらに深くかぶり直した。

それに乙女は耳まで赤くし、奥方たちは胸の前で手を組んで久々のときめきを噛み締める。


 さらに蕩けるように甘くなった視線に、イヴォールフは内心どぎまぎとしていた。



 自らの格好は、それほどまでに凝視されなければならぬほど異様であるのだろうかと。


 

 しかし最近の下町では、こういったものが若向けに人気があるもののはずだ。

実際、この市に来てから数え切れぬほど似たような格好の若者とすれ違っている。


(やはり、若作りすぎたかの。趣味だからとてこれで尾行がばれたら、姫様に申し訳が立たぬわ)



 どれ……と、彼は帽子のつばの影から市に目を走らせた。

目に映ったいくつかの呉服屋のうち、最も高年齢向けそうな店に目星をつける。

 的は少し先の店へ入り、簡易の椅子に腰掛けると店主と話し始めたばかりだ。

今ならば問題なかろうと、翁老の騎士はするりと店に入った。



「すまぬ、ご主人。そちらの服を所望したい」 

 店内に入り、所狭しと並ぶ衣類をぐるりとを見渡すと、早々にイヴォールフは品を定めた。

  それは、黒に近い深緑の二列の銀ボタンが品のある詰襟のフロックコート。

 夫に背を押され我に返り、慌てて指示された服を取ると店主の妻はそれをイヴォールフの前に広げて見せた。

「ああ、……本当に良い品だ。少し羽織らせていただいてもよろしいかな、細君殿」

 こくこくとうなずくばかりの夫人に機嫌良く笑って、開いていたシャツのぼたんを全て止め襟を正すと、彼は流れるように裾を翻し手にしたものを身に纏う。

 それはまさに彼のために作られたようで、逞しい体の線にぴったりと添い、その美しいシルエットをこれでもかと見せ付けた。


「ふむ。これならば、少々暴れても問題なさそうじゃな。……このままいただきたいのだが、おいくらだろうか」

 ぐるりと肩を回し、しっかりと動くことを確認すると、彼は言い値を払うつもりで言った。


「おっ、御代なんかいりませんっ!」

若い男では到底出せない、時を重ねた色気を醸し出すその男っぷりに、店の女主人は拳を握って言い放った。

 まるで夢のように似合うこの男が着てくれるなら、一針一針縫った甲斐さえ通り過ぎてしまう。

 しかしその申し出に、イヴォールフは困ったように眉を寄せた。

「細君殿。お気持ちはこの上なく嬉しいですが、このような素晴らしい品に見合う値さえ払わぬようでは、わしはこの服に相応しくなくなってしまいますぞ」


 もの悲しそうに。まさにその表現がぴったりだった。


 威厳と穏やかさを併せ持つ男の、弱弱しい途方にくれた様な眼差しを受け。

 店の女主人である彼女は、片手で口元というよりも鼻の辺りを覆い、もはや頷くしかなかった。

  話せば、手の中が血にまみれてしまいそうだったから。




 店の主人に言われた値に色を付けた金額を置いて、イヴォールフは意気揚々と店を出た。見目も壮年を過ぎ落ち着いた頃に見えるだろう。

 体を包む新しい感覚に、年齢不詳男はご機嫌だった。


「ほほ、やはり良い服を着ると気分も変わるものじゃ。たしか若者の間ではその高鳴りを、〝こすぷれいやー〟というのじゃったかの?」


 浮き立つような足取りで通りを下る彼は、女性からの視線の熱さと数が一気に跳ね上がったことに気づきもしない。

 あっという間に黄色い悲鳴を上げる女性方に囲まれ尾行に気づかれたイヴォールフは、皮袋に入れたままの長剣で逃げる対象を叩き伏せ、冷や汗を拭いながらまたも服装を間違えたのだろうかと首を傾げつつ。




 尾行任務失敗から15分後、不思議そうな色音の鐘が春空に五つ染み込んでいった。




 男盛りの全てを田舎の庵で一人過ごした彼には、乙女の恋する視線と不審者への凝視の区別能力も己の色男っぷりへの自覚も、誠に遺憾ながら皆無。


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