第9話 夜の話
夜。
宿の屋根の上。
王都の灯りを見下ろしながら、シルヴァは一人で座っていた。
風は昼間より落ち着いている。
それでも、完全に静かにはならない。王都という場所そのものが、多くの人間の感情とオーラでざわついているからだ。
「また一人」
背後から声がした。
振り向かなくても分かる。ティナだ。
「何しに来た」
「話を聞きに」
「俺は話したくない」
「でも私は聞きたい」
頑固だ。
シルヴァは内心でそう思ったが、追い返すほどでもなかった。
ティナは彼の少し離れた場所へ腰を下ろす。
しばらく、二人で王都の夜景を見ていた。
先に口を開いたのは、シルヴァだった。
「……ディーンは昔、同じ隊だった」
「勇者庁の特務遠征隊」
「ノクティス封印の外縁部を探るための隊だ」
ティナが静かに聞いているのを確認して、シルヴァは続ける。
「その時、勇者がいた」
「隊長はそいつだった」
「そいつとディーンは、誰より強かった」
「俺は……その隊の末端だった」
ティナは少しだけ目を伏せる。
「その勇者が、魔王に取り込まれたの?」
「ああ」
短い返答。
だが、その一言の重さは十分すぎた。
「隊は壊滅した。ディーンは生き残った。俺もな」
「それで、今は魔王軍に……」
「たぶん、壊れたんだろ」
シルヴァの声には、怒りとも諦めともつかないものが混ざっていた。
「強さしか信じられなくなった。だから、一番強い側についた」
ティナは拳を握る。
「最低」
「かもな」
「あなたは?」
「何が」
「あなたは、何を信じてるの」
シルヴァは少し考えた。
風が頬を撫でる。
「……分からねぇ」
「ただ、目の前で気に食わねぇことが起きたら斬る」
「雑」
「うるせぇ」
ティナは小さく笑った。
その笑みは、昼のような強がりではなく、少しだけ柔らかい。
「でも、そういうところは好き」
シルヴァが横目で見る。
「何だそれ」
「なんでもない」
その時、屋根の反対側からひょこっとクジャが顔を出した。
「青春してる?」
「してない!」
「してねぇ!」
また声が揃う。
クジャは大満足といった顔で二人の間に座り込んだ。
「話、終わった?」
「聞いてたの?」
「半分くらい」
「最悪ね……」
「でも大事な話だったんでしょ」
クジャは夜空を見上げる。
「じゃあ次は僕の番?」
ティナが少し驚く。
「話す気になったの?」
「ちょっとだけ」
クジャは眼帯に触れた。
「僕、孤児院育ちなんだ」
「それは前に少し……」
「うん。でも、その孤児院ね。普通じゃなかった」
声は軽い。
なのに、その軽さが逆に怖い。
「魔王復活の儀式に使う“器”を探してた連中がいて」
「そこにいた子どもたちは、みんな候補だった」
ティナの表情が強張る。
「まさか……」
「うん。だいたい死んだ」
シルヴァの目が鋭くなる。
「お前は」
「生き残った」
クジャは笑った。
いつもの笑い方に似ているのに、少しだけ違う。
「生き残っちゃった」
「その時、これをもらった」
眼帯を指先で叩く。
「右目」
「魔王の欠片が入ってる。だから、見えるんだよね。闇とか、本体とか、コアの位置とか」
ティナが息を呑む。
「そんなの……」
「嫌でしょ?」
クジャは肩をすくめる。
「だから隠してる。使いすぎると、ちょっと色々危ないし」
「色々、って何だ」
シルヴァの問いに、クジャは少しだけ視線を逸らした。
「……壊れる」
「何が」
「僕が」
静寂。
ティナは反射的にクジャの腕を掴んだ。
「そんなの、使っちゃ駄目じゃない」
「でも便利だよ?」
「そういう問題じゃない!」
「分かってるよ」
クジャは困ったように笑う。
「でも、必要な時は使う」
シルヴァはその横顔を見ていた。
軽い言葉の奥にある覚悟だけは、本物だと分かる。
「勝手に死ぬな」
ぽつりと彼が言う。
クジャが目を瞬く。
「……なに、それ」
「足手まといは嫌いだ」
「言い方」
「でも」
ティナも小さく続けた。
「勝手に消えるのは、もっと嫌」
クジャはしばらく何も言わなかった。
それから、いつもの笑顔を作る。
「了解。じゃあ簡単には死なない」
「簡単かどうかの問題じゃねぇ」
「細かいなぁ」
それでも、その夜の空気は少しだけ変わった。
三人の間にあった距離が、ほんの少しだけ近づいた気がした。
王都の夜風は冷たい。
だが、不思議と悪くない。




