第7話 本戦開始
翌朝の王都レグナは、晴れているくせに妙に息苦しかった。
空そのものは青い。
けれど、闘技場の上だけ薄く黒い膜が張っているような、そんな感覚がある。
シルヴァは宿の窓を開けて風を吸い込み、すぐに顔をしかめた。
「やっぱり最悪だな」
背後で、ティナが寝台から身体を起こす。
「朝からそれ?」
「風がうるせぇ」
「いつもじゃない」
「今日のは違う」
ティナは少しだけ真顔になった。
彼がこういう言い方をする時は、本当に良くない気配を感じている時だ。
隣の部屋をノックするより先に、扉が開く。
「おはよー」
クジャがひょいと顔を出した。
眼帯はいつも通り。髪は寝癖もなく整っている。昨日よりむしろ機嫌が良さそうだった。
「よく寝られたな」
「寝たら元気になるタイプだからね」
「羨ましいわ」
「ティナは緊張して寝不足?」
「べ、別に」
図星らしかった。
クジャはにやにやしながら食堂へ向かい、ティナはその背中を睨む。
朝食は固いパンと薄いスープだったが、文句を言う余裕はなかった。
王都全体が緊張しているせいか、宿の主人も娘も落ち着かない様子だ。食堂で食べている他の客も、皆ひそひそ声で昨夜の騒ぎを話している。
「闘技場に魔族が現れたって本当か?」
「騎士団が揉み消してるらしい」
「いや、王都の貴族が絡んでるって……」
噂は勝手に膨らむ。
そのどれもが真実からズレているが、根っこの不安だけは正しかった。
宿を出て、闘技場へ向かう。
王都の中央大通りには昨日以上の兵が立っていた。表向きは大会の警備強化。だが、ティナには分かる。神殿の警戒陣も張られている。王都騎士団だけではなく、神殿側も異常事態として動いていた。
「ねえ」
ティナが小声で言う。
「もし本当に、隊長が他にもいるなら……今日の大会は途中で崩れるかもしれない」
「崩れる前に片付ければいい」
「相変わらず雑」
「でも嫌いじゃない」
クジャがくすっと笑う。
闘技場に着くと、昨日の騒ぎが嘘みたいに観客が詰めかけていた。
人間は熱に弱いが、同時に、熱に群がる生き物でもある。昨夜の異変は、恐怖よりも“何かが起きるかもしれない”という興奮に変わっていた。
選手用通路に入る直前、シルヴァは観客席の上――特別席のさらに奥に視線を向けた。
見えない。だが、いる。
しかも一つじゃない。
「……増えてるな」
「うん」
クジャも同じ方を見ながら答える。
「昨日より三つ。濃いのが」
「数まで分かるの?」
「なんとなく」
「便利ね……」
ティナはそう言いながらも、不安そうに息を吐いた。
第三試合。
シルヴァの対戦相手は、王都南の剣術道場出身を名乗る青年だった。年齢は二十前後。昨日の槍使いと違って、オーラの濁りは見えない。少なくとも魔王軍の手駒ではなさそうだ。
むしろ真面目で、礼儀正しい。
「シルヴァ殿」
青年は剣を構えながら言った。
「噂は聞いています。正々堂々、お願いします」
シルヴァは少しだけ目を細める。
「……ああ」
こういう相手は嫌いじゃない。
くだらない細工をしないぶん、斬る理由もはっきりしている。
『第三試合、開始ッ!』
開始と同時に青年が間合いを詰める。
綺麗な剣筋だ。速さもある。何より、迷いが少ない。
シルヴァは二合、三合と受けてから、半歩だけ後ろへ引いた。
「悪くない」
「っ……!」
「でも遅い」
風が足元にまとわりつく。
「風脚」
一瞬で間合いを潰し、鍔元に体当たりする。
青年の体勢が崩れる。その隙に剣の腹で手首を打ち、武器を落とさせた。
最後は喉元に切っ先を止める。
「終わりだ」
静寂のあと、歓声が爆発した。
『勝者、シルヴァァァァ!!』
青年は悔しそうに唇を噛んだが、すぐに深く頭を下げた。
「完敗です」
「伸びるな、お前」
「……は?」
「変なものに手出すなよ。まともに強くなれ」
シルヴァがそう言うと、青年は少し呆けてから、苦笑した。
「肝に銘じます」
控室へ戻る途中、ティナが腕を組んで待っていた。
「ずいぶん偉そうね」
「事実言っただけだ」
「でも、昨日みたいに一瞬で叩き潰さなかった」
「まともな相手だったからな」
ティナはその答えに、少しだけ笑った。
「あなた、そういうところあるのよね」
「どういうところだ」
「ちゃんと相手を見てるところ」
「見ねぇと死ぬだろ」
「そういう意味じゃなくて……もういいわ」
次はティナの試合だった。
対戦相手は鎖剣を扱う女剣士。細い身体に対して武器が異様に重く、扱いも慣れている。観客席の人気も高いらしく、歓声が大きい。
ティナはフィールドに立った瞬間、昨日より呼吸が整っていた。
緊張はまだある。だが、逃げていない。
『第五試合、開始!』
女剣士の鎖が蛇のように伸びる。
ティナは初手で避けず、剣で受けた。
甲高い音。
重さで腕が痺れる。それでも退かない。
「正面から来るの!?」
「正面から斬るためよ!」
ティナが踏み込む。
光のオーラが剣へ集まり、白い軌跡を描く。
「聖光斬!」
鎖の軌道ごと切り払う。
相手が目を見開く間に、ティナはさらに一歩前へ出た。
近い間合い。
鎖剣使いには一番嫌な距離だ。
女剣士が舌打ちして蹴りを放つが、ティナはそれを肩で受け、同時に柄頭を顎へ打ち上げた。
相手がふらついたところで、首元へ切っ先を突きつける。
「勝負あり、よ」
観客席から歓声が上がる。
ティナはフィールドを降りた瞬間に大きく息を吐いた。
「っ……はぁ……」
「勝ったじゃん」
クジャが笑う。
「どうだった?」
「緊張した」
「知ってる」
「うるさい」
だが、その顔には確かな達成感があった。
「……ちょっと、分かった気がする」
「何が」
「光の使い方。守るだけじゃなくて、押し切る形」
シルヴァが短く頷く。
「悪くない」
「それだけ?」
「十分だろ」
褒めているのかどうか分かりづらい。
でもティナには、彼なりの評価だと分かった。
そして第七試合。
クジャの出番が来る。




