第48話 神風の入口
衝突の瞬間、氷の広間が悲鳴を上げた。
ドォォォォォォン――!
白い霜が砕け、蒼い風が壁を裂く。
ラースの終焉氷獄と、シルヴァの不完全な神風がぶつかり合い、空間そのものが軋んだ。
ティナは思わず顔を庇う。
「見えない……!」
クジャも眼帯を押さえながら、無理やりその中心を見ていた。
「いや、見なきゃ駄目だ」
「クジャ!」
「今ここで、シルヴァが何を掴むか見逃したら、次に繋がらない」
その声は苦しげだったが、本気だった。
中心では、シルヴァが押し負けかけていた。
ラースの氷は完成されている。
練度も出力も、今のシルヴァより一段上だ。
「っ……!」
シルヴァの足が床を滑る。
押される。凍る。視界の端が白く染まる。
だが、その時。
ティナの声が届いた。
「シルヴァ!」
次いでクジャ。
「負けるな!」
その二つの声が、妙にはっきり聞こえた。
シルヴァは歯を食いしばる。
一人で押し切る。
それがいつものやり方だった。
でも今は違う。
後ろにティナがいて、クジャがいて、ミルスがいる。全部を背負う必要はない。前に立つのは自分でも、立ち続ける理由はもう一人分じゃない。
「……っ、はぁ」
風が変わる。
荒れていた気流が、一本の筋へまとまり始めた。
速さでも、重さでもない。“貫くための意志”だけが、剣に宿る。
ミルスが低く呟く。
「そこよ」
シルヴァは踏み込んだ。
押し返すのではなく、抜ける。
ラースの氷の流れ、その僅かな継ぎ目へ風を差し込む。
「神風・片鱗――」
ラースの目が細くなる。
シルヴァの剣が、氷獄の圧を割って進んだ。
「断界」
蒼い線が、今までよりもずっと長く、ずっと深く、空間へ残る。
ラースの氷がその一線で二つに裂けた。
「……!」
初めて、ラースが一歩退いた。
その隙を、シルヴァは逃さない。
風脚で一気に懐へ入り、肩口へ刃を叩き込む。
鮮血が散る。
ティナが息を呑む。
「届いた……!」
ラースは後退しながらも、すぐに体勢を立て直した。
傷は浅くない。だが致命ではない。
それでも十分だった。
終焉氷獄が、わずかに揺らぐ。
クジャが小さく笑う。
「やった」
ラースは肩口を押さえたまま、弟を見る。
その瞳は冷たいままだ。
でも、その奥に確かな熱があった。
「……そうか」
シルヴァは剣を下ろさない。
「まだやるか」
数秒の沈黙。
やがてラースは、ゆっくりと剣を納めた。
「今日はここまでだ」
ティナが呆然とする。
「え?」
「引くの?」
クジャも首を傾げる。
「珍しいね」
ラースは二人には答えず、シルヴァだけを見た。
「今の風」
「不完全だが、入口には立った」
「……ああ」
シルヴァも息を整えながら頷く。
「まだ安定しねぇ」
「それでいい」
ラースは静かに言う。
「完成した時、ようやく俺と本当に戦える」
その言葉は、敗北でも逃走でもなかった。
認めたのだ。まだ終わらせる時ではないと。
ミルスが腕を組んだまま言う。
「随分と余裕ね」
「余裕じゃない」
ラースの返答は淡々としていた。
「ここで殺し合えば、どちらかが死ぬ。だが今は、その時じゃない」
ティナはまだ納得していない顔だ。
「あなたって本当に勝手ね」
「知ってる」
クジャが言う。
ラースは最後に、クジャへ一瞬だけ視線を向けた。
「その眼、使い方を間違えるな」
クジャが目を細める。
「心配してくれるの?」
「違う」
「だよね」
そのあと、ラースはミルスにも視線を向けた。
「第四」
「中途半端な庇護は捨てろ」
「……相変わらず言うわね」
「事実だ」
ミルスは返さなかった。
ラースは背を向け、氷の台座へと戻っていく。
「次に会う時は」
肩越しに、弟だけへ落とす。
「もっと先だ」
冷気が吹き上がる。
白い霧が広間を覆い、気づいた時には、銀髪の背は消えていた。
残ったのは、砕けた氷と、冷たくなりきれない風の余韻だけだ。
シルヴァはようやく剣を下ろした。
ティナがすぐ駆け寄る。
「大丈夫!?」
「……何とか」
「何とか、じゃないでしょ」
「勝手に見てたのはそっちだ」
「見てるに決まってるでしょ!」
クジャがその横で笑う。
「でも、かっこよかったよ」
「うるせぇ」
ミルスは少しだけ離れた場所から、シルヴァを見ていた。
「神風の入口。思ったより早かったわね」
「まだ入口だ」
「十分よ」
その評価だけで、シルヴァは少しだけ救われた気がした。




