第45話 氷壁の向こう
氷壁は、ただの壁ではなかった。
近づくだけで分かる。
分厚い氷の中に、何層もの魔力が練り込まれている。表面だけ砕いてもすぐ再生するし、下手に触れれば冷気に逆流して凍傷になりかねない。
「面倒な細工してるわね」
ミルスが手をかざして言う。
「これもラース?」
「たぶん」
クジャが答える。
「性格出てる」
「すごく出てる」
ティナも頷いた。
シルヴァは氷壁の前に立ち、刻まれた一文字を見上げた。
“来い”。
挑発であり、招待でもある。
「どうするの?」
ティナが聞く。
「壊す」
シルヴァの返事はいつも通り簡潔だった。
「雑!」
「だが一番早い」
ミルスは氷壁の表面に指先を這わせ、少しだけ目を細めた。
「真正面からじゃ無理よ」
「風と光と重力を一点に重ねる」
「え?」
ティナが顔を上げる。
「圧縮した一撃を、再生の遅れる一点へ叩き込むの」
クジャがすぐに反応した。
「右下から二番目の筋」
「そこが薄い」
シルヴァが剣を構える。
ティナも光をまとい、ミルスの魔法陣が展開される。
「クジャ」
「分かってる」
カードが氷壁の周囲を走り、余計な冷気の流れを乱す。
その一瞬、氷の再生が鈍った。
「今よ!」
ミルスの声。
重力が一点へ落ちる。
ティナの光が細く鋭く集まる。
シルヴァの蒼い軌跡が、その中心へ重なる。
「蒼嵐・断界!」
「聖天閃光!」
「圧縮!」
三つの力が一点へ突き刺さる。
次の瞬間、氷壁の中央が内側から砕けた。
ドォォォォォン!!
白い破片が吹き飛び、冷気が四方へ弾ける。
だが完全には崩れない。氷壁はまだ半分以上残っている。
「硬っ……!」
ティナが顔をしかめる。
「でも通路はできた!」
クジャが言った通りだった。
中央に、人ひとりが通れるほどの裂け目が開いている。
その向こうには、真っ白な広間のような空間が広がっていた。
自然の洞窟ではない。
氷で作られた宮殿だ。
「……趣味悪」
ティナが呟く。
「でもちょっと綺麗」
クジャが続ける。
シルヴァは何も言わず、その裂け目をくぐった。
中は、異様なほど静かだった。
天井の高い氷の空洞。
床は磨かれた鏡のように滑らかで、壁の奥には淡い青い光が流れている。自然にできた場所とは思えない。ラースが長い時間をかけて削り、形を整えた空間なのだろう。
「完全に待ってたんだね」
クジャが小声で言う。
「ああ」
シルヴァは前を見据えたままだった。
広間の最奥。
一段高い氷の台座の上に、銀髪の男が立っている。
ラース・ライズ。
外套の裾が微かに揺れ、周囲の冷気だけが彼の呼吸に合わせて脈打っているようだった。
「来たか」
それだけだった。
再会の言葉としては、相変わらず愛想がない。
「お前が呼んだんだろ」
「だから来た」
シルヴァの返しに、ラースはほんの少しだけ口元を歪めた。
ティナとクジャは自然と一歩引いた。
ここから先は、自分たちが割って入るべきではないと、本能が告げている。
ミルスだけはシルヴァの少し後ろに立ったまま、静かにラースを見ていた。
「随分と手の込んだ迎えね」
「雑魚を通しても面白くない」
ラースは冷たく返す。
「それに、ここなら邪魔が入らない」
「私たちは邪魔扱い?」
ティナが少し不機嫌そうに言う。
「事実だ」
「失礼ね!」
「落ち着け」
シルヴァが短く制した。
ラースの目は、最初から弟だけを見ている。
「話の続きだ」
「昨日の夜のか」
「ああ」
ラースは氷の台座からゆっくり降りてくる。
「お前はまだ選べると言った」
「そして今も、そう思っている」
シルヴァは剣の柄に手を置く。
「俺が何を選ぶか、試したいわけか」
「違う」
ラースが否定する。
「知りたいだけだ」
「お前が、俺を止めるだけの理由を持っているか」
氷の広間に、沈黙が落ちる。
ティナは息を呑む。
クジャの右目が、じり、と熱を持つ。
これはただの戦いじゃない。
思想の確認だ。覚悟の確認だ。
シルヴァはゆっくりと口を開いた。
「理由なんて大層なもんじゃない」
「でも」
蒼い瞳が、兄をまっすぐ射抜く。
「お前がこのまま行けば、誰かを巻き込む」
「俺はそれが嫌だ」
ラースは一瞬だけ黙った。
「ティナやクジャ、ミルスだけじゃない。村も、山も、王都も」
シルヴァは続ける。
「全部どうでもいいって顔してるけど、お前が核を集めれば、結局世界はもっと荒れる」
「だから止める」
ラースの瞳が、僅かに揺れた。
「綺麗ごとだな」
「うるせぇ」
「だが」
ラースはそこで剣を抜いた。
「悪くない」
白い刃。
氷をそのまま鍛えたような、静かで冷たい剣。
「なら証明しろ」
シルヴァも剣を抜く。
「言われなくても」
次の瞬間、氷の広間の温度が一気に下がった。




