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風葬のシルヴァ  作者:
第四章 氷の牙
44/80

第44話 兄の背中

 中腹へ向かう途中、山道の先で一度だけ景色が開けた。


 狭い尾根道を抜けた先に、小さな氷原が広がっている。

 谷を見下ろせる場所だった。空気は薄く、風は強い。だが視界だけは不思議なほど澄んでいる。


「少し休む」


 ミルスがそう決めると、ティナはほっと息を吐いた。


「助かった……」


 クジャはその場にしゃがみ込んで、雪を指先で弄ぶ。


「綺麗だね」


「今それ言える余裕あるのすごいわね」


「疲れてる時ほど現実逃避って大事だよ」


「それ現実逃避って言っちゃってるじゃない」


 シルヴァは少し離れた岩の上に立ち、風を読んでいた。

 その横顔を見ながら、ティナがミルスへ小声で言う。


「ねえ」


「なに?」


「ラースって、本当に昔は普通のお兄ちゃんだったの?」


 ミルスは少し考えてから頷いた。


「普通、ではないわね」


「優秀すぎたもの」


「じゃあやっぱり今と同じじゃない」


「でも、あの頃はまだ“人の側”にいた」


 ティナは黙る。


 その時、シルヴァが不意に口を開いた。


「昔、あいつが村の裏山でウサギ捕まえたことがある」


 ティナとクジャが同時に振り向く。


「急に何」


「思い出しただけだ」


 シルヴァは岩の上から降りてきて、少しだけ遠い目をした。


「雪の日で、罠を仕掛けて。俺は何も分かんなかったけど、ラースは足跡見て場所当てた」


「で、捕まえたあとどうしたの?」


 クジャが興味津々に聞く。


「食った」


「現実的」


「情緒がない!」


 ティナが突っ込むと、シルヴァは少しだけ口元を歪めた。


「でも、その時あいつが言ってた」


『獲るなら、ちゃんと最後まで責任持て』ってな」


 風が吹く。


「……今のラースからは想像できない」


 ティナが小さく言う。


「分からないわよ」


 ミルスが静かに答える。


「今でも、その感覚だけは残ってるのかもしれない」


「どういう意味?」


「ラースは、自分で選んだものからは逃げない」


「核を集めることも。魔王を殺そうとしていることも。シルヴァと向き合うことも」


 クジャが眼帯を押さえながら、少しだけ真面目な顔になる。


「だからあの人、ずっと見てるんだね」


「ええ」


「逃げてるようで、逃げてない」


 ティナは雪の上を見つめた。


「面倒な人」


「知ってる」


 今度はシルヴァが答えた。


 そのやり取りのあと、少しだけ静かな時間が流れた。


 やがてクジャがぽつりと言う。


「兄弟って、そんな感じなのかな」


 ティナが顔を上げる。


「クジャ」


「ん?」


「……ううん、何でもない」


 ティナは聞きかけてやめた。

 家族の話は、クジャにとって軽いものではない。


 クジャもそれを察したのか、いつもの笑みを作る。


「でも、ちょっと羨ましいかも」


「何がだ」


 シルヴァが聞く。


「ちゃんと向き合える相手がいるの」


 その言葉に、シルヴァはすぐには返さなかった。


「……面倒なだけだ」


「はいはい」


 クジャは笑った。


 だがその目は、少しだけ優しかった。


 休憩を終え、再び歩き出す。

 尾根の先には、さらに急な氷の斜面が待っている。


 そしてその先、ようやく中腹に近づいた頃――


 四人は“それ”を見つけた。


 巨大な氷壁。


 自然にできたものではない。

 人の意思で立てられたとしか思えない、巨大な蒼白の壁が、山道を丸ごと塞いでいた。


「……何よこれ」


 ティナが呆然とする。


 氷壁の中央には、剣で刻んだような一文字だけが残されている。


 ――来い。


 シルヴァが、その文字を見て小さく息を吐いた。


「ほんとに待ってやがる」


 ミルスが低く言う。


「ここから先は、もうラースとの話し合いじゃ済まないわね」


 クジャは眼帯の上から前方を見つめる。


「うん。気配が変わった」


「どう変わったの?」


 ティナが聞く。


「本気」


 短い答えだった。


 それで十分だった。

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