第42話 白き対話
その夜、シルヴァは村の外れにある凍った湖へ一人で出た。
星は見えない。
雲が低く、雪が薄く舞っている。湖面は白く凍り、まるで世界そのものが息を止めているみたいだった。
「来ると思った」
後ろから声がした。
振り向く必要もない。
ラースが立っていた。
銀髪。
黒い外套。
雪の中にあって、妙に輪郭だけがはっきりしている。
「村まで監視してたのか」
「必要だからだ」
「相変わらず性格悪ぃな」
「お前も口が悪くなった」
シルヴァは苦笑まではしなかったが、少しだけ力が抜けた。
ラースは湖の縁まで歩き、凍った水面を見下ろす。
「ここは昔、お前と来たことがある」
その言葉に、シルヴァの記憶が少しだけ動く。
白い息。
小さな自分。
氷の上を走って転んだ感触。
「……覚えてる」
「落ちかけて泣いてた」
「そこまで情けなくねぇ」
「泣いていた」
「うるせぇ」
短い会話だった。
それでも、今までのラースより少しだけ“昔”に近い。
「どうして核を集めてる」
シルヴァが聞く。
ラースはすぐには答えなかった。
「魔王を殺すためだ」
「そのまま王になるつもりか」
「必要ならなる」
シルヴァは目を細める。
「世界をどうする」
「知るか」
「……」
「弱いものは淘汰され、強いものが残る。それで十分だ」
その言葉は冷たい。
だがシルヴァには分かった。これは“諦め”が形を変えたものでもある。
「お前、昔はそんなこと言わなかった」
ラースの瞳が、わずかに揺れた。
「昔は、まだ色々残っていた」
「今は?」
「削れた」
雪が静かに降る。
「魔王の核は、人を変える」
ラースは淡々と言う。
「だが全部を奪うわけじゃない」
「だから俺はまだ、こうして話している」
シルヴァは剣の柄に手を置いたまま、兄を見ていた。
「戻る気はねぇのか」
「どこに」
「人間側に」
「遅い」
ラースは即答した。
「もう戻れないし、戻る意味もない」
「お前達と同じ場所に立つには、俺は核を持ちすぎた」
「……」
「だが」
ラースは初めて、まっすぐ弟を見た。
「お前はまだ選べる」
シルヴァの眉が寄る。
「何をだ」
「何のために剣を振るうか」
その言葉は、ミルスがアストラで言ったことに少し似ていた。
シルヴァは吐き捨てるように言う。
「説教か」
「忠告だ」
「兄貴面すんな」
「兄だからな」
言葉が詰まる。
ずるい、とシルヴァは思った。
こんな時だけ、昔の顔をする。
「明日、中腹へ来い」
ラースが背を向ける。
「そこで話の続きだ」
「話だけで済むのか」
「済むならいいな」
曖昧な返答だった。
ラースはそのまま吹雪の向こうへ歩いていく。
止めようとは思わなかった。今はまだ、追っても意味がない。
ただ、その背中を見送りながら、シルヴァは一つだけ分かった。
ラースもまた、迷っている。
切り捨てたはずのものを、まだどこかで捨てきれていない。
だからこそ、自分をわざわざここまで呼んだのだ。
湖の上に雪が積もっていく。
静かな夜だった。
村へ戻ると、ティナとクジャが起きて待っていた。
「遅い」
ティナが言う。
「いたの?」
クジャが続ける。
「ああ」
「何話したの」
シルヴァは少しだけ考えた。
「……昔話だ」
ティナが目を瞬かせる。
「それだけ?」
「それだけじゃない」
クジャがシルヴァの顔をじっと見て、ふっと笑った。
「でも、少しは軽くなった顔してる」
「そうか?」
「うん」
ミルスは窓辺で腕を組んでいた。
「明日は中腹ね」
「ええ」
シルヴァが答える。
「行く」
氷牙山脈編は、いよいよ中盤へ入る。
次は兄弟の対話では済まない。
剣が必要になる。




