表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
風葬のシルヴァ  作者:
第四章 氷の牙
35/80

第35話 出発の朝

 第三魔王ネメシスを退けた翌朝、アストラは久しぶりに静かだった。


 壊れた回廊の修復に魔導端末たちが飛び回り、外壁にはミルスの結界が薄く張り直されている。昨日まで戦場だった場所とは思えないくらい、都市は淡々と日常へ戻ろうとしていた。


 もっとも、その“日常”が長く続かないことを、ここにいる全員が知っている。


「つまり今日は、束の間の休息ってことね」


 ティナが食堂の椅子へ腰掛けながら言う。


「束の間どころか、半日あるだけでも破格よ」


 ミルスは淡々とパンを切り分けていた。

 昨夜の戦闘の疲れがないはずはないのに、見た目にはいつも通りだ。


 クジャは卓に突っ伏したまま、片手だけ上げる。


「僕にとっては革命的」


「寝なさいよ」


「寝たら朝だった」


「それは寝たって言うのよ」


 ティナが呆れたように返すと、クジャは片目だけで笑った。


 シルヴァは少し離れた窓際で剣の手入れをしていた。

 それを見て、ティナがすぐに眉を寄せる。


「ねえ」


「なんだ」


「休みって言われたでしょ」


「手入れは休みじゃなくてもやる」


「そういうところよ」


「どこだ」


「融通が利かないところ」


「必要ないだろ」


 ティナがため息をつく。

 クジャは机に頬を乗せたまま、楽しそうに言った。


「でも昨日より顔つき柔らかいよ」


「そう?」


 ティナが見ると、確かにシルヴァの表情は少しだけ鋭さが抜けていた。

 第三魔王を倒したからか、新しい技の感覚を掴んだからか、それとも。


「……別に」


 シルヴァは短く答える。

 だが完全に否定はしない。


 ミルスが皿を置きながら言った。


「ネメシスを落とせたのは大きいわ」


「あなた達がやっと、“対魔王戦”の入口に立てたってことだから」


「入口って」


 ティナが半目になる。


「今までのは何だったのよ」


「前哨戦」


「厳しすぎない?」


「甘やかす気はないわ」


 ミルスはそう言って、クジャの前にも皿を置く。


「ほら、食べなさい。今日は出発前に買い出しと調整、それから少しだけ自由時間」


「自由時間?」


 クジャの目が輝く。


「あるの?」


「少しだけ」


「最高」


「どこまでが自由なの?」


 ティナが聞くと、ミルスは即答した。


「都市の中だけ」


「逃げたら?」


「結界で弾く」


「自由とは」


 クジャが真顔で呟き、ティナが笑う。


 朝食を終えたあと、四人はアストラの中央広場へ出た。

 高い石柱の間を風が抜け、壊れた橋の向こうでは浮遊結晶が静かに瞬いている。


 戦いの痕はまだあちこちに残っていた。

 それでも、昨日までより穏やかに見えるのは、ここがミルスの居場所だからかもしれない。


「ねえ、シルヴァ」


 広場の縁を歩きながらティナが言う。


「次はどこに向かうの?」


「氷牙山脈」


 答えたのはミルスだった。


「第六魔王――ラース・ライズの縄張り」


 ティナの表情が少しだけ固くなる。


「……やっぱり、そこに行くのね」


「避けても意味がないわ」


 ミルスの声音は冷静だ。


「ラースは第三勢力。仲間でも敵でもない。でも核を集めている以上、放置できない」


 クジャが眼帯に軽く触れた。


「しかも今、第二のコアを取り込んでる」


「前よりずっと強い」


 その一言で、空気が少しだけ重くなる。


 シルヴァは歩みを止めずに言った。


「だから行く」


「シンプルね」


「分かりやすいだろ」


「分かりやすすぎるのよ」


 ティナが呆れたように返しながらも、その口元は少し緩んでいた。


 自由時間のあいだ、ティナは図書室で地図を確認し、クジャはまた魔導端末たちと遊び、シルヴァは一人で高塔へ上がった。


 風を読むためでもある。

 それ以上に、少しだけ一人で考えたかった。


 氷牙山脈。

 ラース。

 兄。


 仲間じゃない。

 敵でもない。

 だからこそ、一番厄介だ。


「……」


 高塔の縁に立つ。

 アストラの向こう、遠い地平のさらに先。氷の匂いが微かに混じっていた。


 そこへ足音がした。


「やっぱりここ」


 ティナだった。


「お前も一人になりたいタイプじゃないのか」


「なりたい時もあるけど、今日は違う」


 彼女はシルヴァの少し隣へ立つ。


「ラースのこと、考えてた?」


「少しな」


「少しだけ?」


「大体それくらいだ」


「嘘ね」


 ティナは笑った。


「顔に出るもの」


「出てねぇよ」


「出てるわよ」


 風が二人の間を抜ける。


「……ラースって」


 ティナが慎重に言葉を選ぶ。


「本当に、倒さなきゃいけない相手なの?」


 シルヴァはすぐには答えなかった。


「分からねぇ」


 やがて低く言う。


「でも、放っとける相手じゃない」


「うん」


「それに、あいつは自分から止まらない」


「そういう人なのね」


「そういう奴だ」


 その時、遠くで何かがきらりと光った。


 氷の反射光みたいな、一瞬の白。


 シルヴァの目が細まる。

 ティナもすぐに気づいた。


「……今の」


「ああ」


 クジャの声が、なぜか背後からではなく、すぐ頭の上から降ってきた。


「見てるよ」


 二人が振り向くと、クジャは高塔の手すりの上に座っていた。

 いつの間に登ってきたのか本当に分からない。


「危ないって何回言えば分かるの」


 ティナが言う。


「高いところ好きなんだよね」


「猫みたい」


「褒めてる?」


「半分」


 クジャは笑ってから、眼帯を軽く押さえた。


「でも本当に見てる」


「ラース」


 その名に、三人の空気が引き締まる。


「もうこっちが動くの、分かってるんだね」


 クジャが続ける。


「待ってるよ、たぶん」


 シルヴァは遠くの白い光を見つめたまま、短く言った。


「ならちょうどいい」


 その声には、迷いよりも先に覚悟があった。


 出発の朝は、静かに終わる。

 次の旅路は、氷の山脈へ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ