第22話 魔王の修行
翌朝――いや、アストラの内部時間で言えば“翌朝”だが、外ではまだ大して時間が経っていないはずだった。
シルヴァたちは塔の最下層へ呼び出された。
そこは訓練場だった。
広い。とにかく広い。石の床には幾重もの魔導陣が刻まれており、天井には浮遊結晶が並んでいる。中央には人形のような訓練体が何十体も静止していた。
ティナが嫌な予感を隠さずに言う。
「……まさか、あれ全部?」
「全部」
ミルスは即答した。
「まず確認するわ。あなた達がどれだけ足りないか」
「言い方」
「優しい方よ」
クジャが小さく笑う。
「じゃあ優しくない方は?」
「死ぬ」
「分かりやすい」
ミルスが杖を軽く打つと、訓練体の目が一斉に光った。
「第一段階。対多数戦闘」
「第二段階。連携」
「第三段階。魔王級核への対処訓練」
ティナが顔を引きつらせる。
「最初から濃くない?」
「当たり前でしょ。暇じゃないのよ」
次の瞬間、訓練体が全部動いた。
「来る!」
ティナが剣を抜く。
シルヴァは風を足にまとわせ、最前列へ飛び込んだ。
「風断!」
一体、二体、三体。
鋼鉄製らしい訓練体の関節を正確に断ち切る。
だが止まらない。
後列がすぐ前へ出る。無駄のない動き。しかもミルスの魔導補助が入っているのか、反応が妙に速い。
「本気で殺しに来てない!?」
ティナが悲鳴まじりに叫ぶ。
「来てないわよ」
ミルスは壁際で腕を組んでいる。
「本気なら今頃半分死んでる」
「それフォローになってない!」
クジャがカードを飛ばしながら笑う。
「ティナ、右!」
「分かってる!」
ティナの光が訓練体の腕を薙ぎ払う。
そこへシルヴァが踏み込み、残った胴を断つ。
「連携は悪くない」
ミルスの評価は冷静だった。
「でもクジャが一人で捌きすぎ。ティナは守りに寄りすぎ。シルヴァは前に出すぎ」
「全部駄目ってこと!?」
「伸びしろがあるって意味よ」
クジャが肩をすくめた。
「前向きだなぁ」
訓練体は次々と崩れる。
だが、一時間、二時間と続けるうちに、シルヴァたちの呼吸は確実に重くなっていった。
ミルスは一切甘やかさない。
水分補給と短い休憩以外、休ませる気がない。
昼を回った頃、ティナがついに床へ膝をついた。
「む……り……」
「駄目」
ミルスが即答する。
「膝をついた状態から立て直す訓練も必要よ」
「鬼……」
「魔王よ」
「そうだった!」
クジャが吹き出しかけたが、その直後に訓練体の拳が飛んできて危うく顔面を潰されかけた。
「うわっ、危な!」
「笑ってる暇あるなら動け」
シルヴァが言う。
「相変わらず余裕ないね」
「余裕があったらこんなとこで訓練してねぇ」
それでも、そのやり取りが三人の呼吸を少しだけ軽くする。
日が暮れる頃――内部時間で言えばだが――ようやく第一日の訓練が終わった。
ティナはその場で仰向けに倒れ、クジャは床に大の字になり、シルヴァだけが何とか立ったままだった。
ミルスは三人を見下ろし、静かに言う。
「悪くない」
「……今ので?」
ティナが半泣きで聞く。
「ええ。特にシルヴァ」
シルヴァが顔を上げる。
「何だ」
「あなた、風の流れを“読む”だけじゃなく、“作り始めてる”」
その指摘に、シルヴァは少しだけ目を細めた。
自覚はあった。踏み込みの時、ただ風に乗るのではなく、自分の動きに合わせて風そのものを軌道にしている感覚。
「でもまだ粗い」
ミルスは容赦なく続ける。
「神の力に届くには全然足りない」
「神の力って、やっぱり“神風”のこと?」
ティナが尋ねる。
「ええ」
ミルスは頷いた。
「シルヴァの奥に眠っている、本来の風」
「魔王を断つための風よ」
クジャが床に寝転がったまま言う。
「主人公すぎる」
「うるさい」
それでも、その言葉はシルヴァの胸に残った。
神風。
まだ名前だけだ。だが、確かに何かが内側で目を覚ましかけている。
訓練のあと、三人は食堂代わりの部屋へ移され、簡素な夕食を取った。
パン、スープ、肉。味は悪くない。むしろ疲れた身体には染みた。
ティナは匙を持ったまま半分眠っている。
「寝るならベッド行け」
「……食べる」
「どっちよ」
クジャはけらけら笑っていたが、その笑い方も少しだけ弱い。右目の負担が完全には抜けていないのだろう。
シルヴァはそれを横目で見て、ぽつりと言った。
「無理はするな」
クジャが目を丸くする。
「急に優しい」
「気のせいだ」
「ティナ、今の聞いた?」
「……聞いた……」
ティナは眠そうな目のまま笑う。
「優しいじゃない」
「うるせぇ」
その夜、シルヴァは一人で訓練場へ戻った。
眠れなかったからだ。
誰もいないはずの広い空間で、彼は剣を抜いた。
風を足に。腕に。刃に。
「……神風、か」
まだ掴めない。
だが、ミルスの言う通りなら、ここで手を伸ばさなければ届かない。
剣を振るう。
一閃。
風が走る。まだ荒い。
もう一度。
もう一度。
やがて、背後から声がした。
「真面目ね」
振り返ると、ミルスが立っていた。
「眠れないの?」
「お前こそ」
「私はこういう時間が好きなの」
ミルスは訓練場の端へ歩き、柱にもたれた。
「昔のあなたも、皆が寝たあとに一人で剣を振っていた」
シルヴァは眉をひそめる。
「昔話ばっかりだな」
「今のあなたに繋がってるもの」
「……」
「シルヴァ」
ミルスの声が、ほんの少しだけ柔らかくなる。
「あなたは“生まれた理由”なんてどうでもいいと思ってるかもしれない」
「でもね、それでも選ぶのはあなた自身よ」
シルヴァは剣を下ろした。
「何が言いたい」
「神に作られたから魔王を倒すんじゃない」
「あなたが決めるの」
沈黙が落ちる。
遠くで魔力炉の音が低く鳴っている。
「……説教か」
「少しね」
「魔王のくせに」
「魔王だからよ」
ミルスはそう言って微笑んだ。
「さあ、寝なさい。明日はもっときついわよ」
それを聞いて、シルヴァは本気で嫌そうな顔をした。
ミルスは珍しく声を上げて笑った。




