第20話 第三の影
第三魔王ネメシス・ヴァイル。
その名は、第二や第五のような暴威とは別種の気味悪さを持っていた。
大きくもない。
派手でもない。
それなのに、目の前に立たれるだけで、肌の内側へ冷たい針を差し込まれるような不快感がある。
ティナが小さく息を吐く。
「……嫌な感じ」
「だよね」
クジャも珍しく同意した。
ネメシスは砂の上を音もなく歩き、アグニスの亡骸と、その上に浮かぶコアを見た。
「第五が落ちたか」
「手間が省けた」
さらりとした言い方だった。
ミルスが前へ出る。
「あなたに渡す気はないわ」
「渡す?」
ネメシスが目を細める。
「勘違いするな、第四」
「奪うだけだ」
その瞬間、砂の表面から無数の影が伸びた。
「っ!」
ティナが飛び退く。
クジャの足元にも黒い手のようなものが絡みつこうとするが、カード一枚で断ち切る。
シルヴァは剣を抜いた。
「風断!」
影ごと切り裂く。
だが、斬った端から再生する。
「何よこれ!」
ティナが叫ぶ。
「影の侵食よ!」
ミルスが杖を振り、周囲に重力障壁を張る。
「触れ続けると身体を持っていかれる!」
「最悪じゃん!」
クジャが笑顔のまま毒づいた。
ネメシスはその様子を見ながら、一歩も動かない。
「第二も第五も力で押すタイプだ」
「だからお前たちは慣れている」
「だが、俺は違う」
砂の下、影の下、彼の気配そのものが広がっていく。
ティナがぞくりと肩を震わせた。
「見られてる……」
「見ている」
ネメシスの声が、すぐ傍から聞こえた。
「きゃっ――!」
ティナの真横に、いつの間にかネメシスが立っていた。
瞬間移動ではない。影そのものを通って位置をずらしたのだ。
ティナが反射的に剣を振るう。
光の斬撃が走る。
だが、ネメシスの身体は霧のように散った。
「残像!?」
「違う」
クジャが眼帯の上から睨む。
「本体が影に逃げた」
その言葉と同時に、シルヴァが後ろへ跳ぶ。
地面から黒い槍が突き上がる。
さっきまでいた場所が、闇に飲み込まれた。
「うぜぇな」
「分かるのか」
ミルスが問うと、シルヴァは短く答えた。
「風が読めねぇ場所だけ、逆に分かる」
「そう」
ミルスの口元が少しだけ上がる。
「ならやれるわね」
彼女の魔法陣が広がる。
「ティナ、光で影を焼き払いなさい!」
「分かった!」
「クジャ、ネメシスの本体を追える?」
「今ならちょっとだけ」
「ちょっとでいい!」
シルヴァは既に前へ出ていた。
「ごちゃごちゃうるせぇ」
ネメシスの影が地面を走る。
見えない。だが、クジャの右目は“そこ”を見ていた。
「左前、三歩!」
シルヴァが迷わず踏み込む。
「風脚」
影の中へ刃を叩き込む。
黒い霧が裂け、その中からネメシスの本体が僅かに姿を現した。
「ほう」
ネメシスが初めて明確な興味を示した。
「その眼」
「やはり回収する価値がある」
「お断り」
クジャはカードを十枚同時に放つ。
軌道の違う刃が四方から迫り、ネメシスは一歩退く。
そこへティナの光が走る。
「聖光斬!」
砂の上に広がった影が一気に焼ける。
悲鳴のような音が響いた。
ネメシスの表情が、初めてわずかに歪む。
「……光」
「やっぱ効いてる!」
ティナが叫ぶ。
「当然よ!」
ミルスの魔法が重なる。
「圧縮重力」
ネメシスの足元の砂が沈む。
影へ逃げるための“面”を、強制的に崩す。
その一瞬が決定的だった。
シルヴァが真正面から間合いへ入る。
「風葬」
ネメシスが腕を上げる。
影の刃が何枚も重なる。
だが、それをティナの光が弾き、クジャのカードが逸らし、ミルスの重力が鈍らせた。
シルヴァの一閃が、第三魔王の肩口を深く裂く。
黒い血が、砂の上に散る。
ネメシスが後ろへ跳んだ。
「……なるほど」
傷口を押さえながら、男は静かに笑う。
「今日は引く」
「逃がすか!」
ティナが踏み出そうとする。
だがミルスが手を伸ばして止めた。
「深追いしない!」
「でも!」
「ここは奴の領域じゃない。だからこの程度で済んでる」
ネメシスは後退しながら、クジャだけを見ていた。
「眼帯の娘」
「次は、もっと深い場所で会おう」
黒い影が砂漠へ溶ける。
気づけば、その姿は消えていた。
ティナが歯噛みする。
「逃げられた……」
「仕方ない」
シルヴァが剣を収める。
「手応えはあった」
「そうね」
ミルスはまだ警戒を解かないまま、第五魔王のコアへ手を伸ばした。
「今度こそ回収する」
ティナが小さく息を吐く。
「これで二つ」
「ラースに奪われた第二を除けばね」
ミルスの答えは冷静だった。
クジャは少し顔色が悪いまま、それでもいつもの調子を作る。
「じゃあ次は修行?」
「どうしてそうなるのよ」
「だってこのままだと第三にまた逃げられるし、ラースはもっと強くなるし」
「正しいわね」
ミルスはあっさり頷いた。
ティナが顔をしかめる。
「本当に?」
「本当に」
ミルスはコアをローブへ収め、三人を見た。
「今のままじゃ、ネメシス相手に決定打が足りない」
「ラースにはもっと足りない」
シルヴァが低く言う。
「どこでやる」
「私の領域よ」
ミルスは灼炎砂漠の先、遠くに霞む黒い塔のような遺跡を見た。
「古代魔導都市アストラ」
「そこが、第四魔王の本当の城」
風が熱を運んでいく。
戦いは終わっていない。むしろ、ここからが中盤の本番だった。




