第19話 禁眼の片鱗
熱風が砂を巻き上げる。
第五魔王アグニス・バルドは、膝をついてなお生きていた。
喉元を裂かれ、核を半ば露出させながらも、その巨体はまだ終わっていない。背中の亀裂から溶岩のような赤光が脈打ち、今にも最後の暴走を始めそうな気配があった。
だが、クジャが感じていた“嫌なもの”は、それとは別だった。
「近い……」
眼帯の下が熱を持つ。
焼けるように痛い。
「クジャ?」
ティナが振り返る。
クジャは片手で眼帯を押さえたまま、砂漠の奥を睨んでいた。
見えている。まだ姿はない。だが、黒く細い線のような気配が、まっすぐこちらへ伸びてきている。
闇。
しかも、獣のように荒々しいアグニスの気配とは違う。冷たく、細く、鋭い。
シルヴァが剣を構え直しながら問う。
「何がいる」
「……分からない。でも」
クジャの声が少し掠れる。
「魔王級」
その一言に、ミルスの表情が変わった。
「まさか、もう……」
彼女が最後まで言い切るより早く、アグニスが咆哮する。
膝をついた巨獣の周囲で炎が爆ぜ、砂そのものが溶け始める。
「まだ終わってない!」
ティナが叫ぶ。
「終わらせる!」
シルヴァが再び踏み込もうとした瞬間、アグニスの核が黒く光った。
暴走。
ミルスが舌打ちする。
「核が剥き出しのまま暴走するなんて――最悪ね」
アグニスの身体から噴き上がる炎が、さっきまでとは比べ物にならない密度になる。
砂漠の空気が悲鳴を上げたようだった。
ティナは一歩下がる。
「どうするの!?」
「核を砕くしかない」
ミルスの答えは早かった。
「でも近づいたら焼かれる!」
「だから――」
ミルスが言葉を切った時、クジャの右目の痛みが限界を越えた。
「っ……!」
膝が折れかける。
シルヴァがとっさに支える。
「おい」
「……ちょっと、ごめん」
クジャは苦く笑った。
「我慢してたけど、もう無理かも」
眼帯の下で、魔王の欠片が明確に脈動していた。
敵の核。気配の流れ。見えすぎる。脳が焼ける。
「クジャ、使う気?」
ティナの顔が強張る。
「片鱗だけ」
「そんな軽く言わないで!」
「でも必要でしょ」
クジャはそう言って、ゆっくり眼帯に手をかけた。
ミルスが鋭く言う。
「開けすぎるな」
「分かってる」
言いながら、クジャは眼帯をほんの少しだけずらした。
その瞬間。
空気が変わった。
赤く、黒い、異質なオーラが一閃だけ漏れ出す。
ティナが息を呑み、シルヴァの目が細くなる。
「……見えた」
クジャの右目は、普通の瞳ではなかった。
赤い輝きの奥に、魔法陣みたいな細い紋様が幾重にも走っている。
クジャはアグニスを見ていた。
「核、ちょっと右にずれてる」
「何?」
「シルヴァ、今の位置じゃ浅い」
「……そうか」
シルヴァは躊躇わない。
クジャの言葉をそのまま信じ、剣の切っ先を僅かに下げる。
「もう一つある」
クジャの声が低くなる。
「来てるやつ。こっちを見てる」
「誰だ」
「……第三」
ミルスが目を見開いた。
「第三魔王?」
「たぶん」
だが今は、そちらに割く余裕がない。
アグニスが最後のブレスを吐こうと頭を持ち上げる。
熱が一点に集まり、空気が歪む。
「シルヴァ!」
ティナが叫ぶ。
シルヴァは風を足へ集め、一直線に走る。
「風脚」
アグニスの視界がクジャの異質な眼に一瞬だけ乱れた。
その隙を、ティナの光が縫う。
「聖光縛!」
光の鎖が首筋へ絡み、巨獣の顎を半拍だけ止める。
ミルスの重力が重なる。
「落ちなさい」
頭部が僅かに沈む。
そこへ、シルヴァの剣が届いた。
「風葬――!」
蒼い一線。
今度は迷わない。
クジャが見た“本当の位置”へ、そのまま断ち切る。
アグニスの核が砕けた。
爆ぜる熱。
巨獣の咆哮が途中で途切れ、その巨体が前のめりに崩れ落ちる。
ドォォォォォン――ッ!
砂漠が揺れた。
静寂。
クジャはすぐに眼帯を戻したが、呼吸が荒い。
ティナが駆け寄る。
「大丈夫!?」
「ちょっと頭痛いだけ」
「全然大丈夫そうに見えない!」
クジャは苦笑した。
「でも倒せた」
アグニスの死骸の上に、赤黒い光が浮かび上がる。
第五魔王のコア。
ミルスがそれを慎重に見つめる。
「これで、二つ」
「いや」
シルヴァが低く言った。
「さっきクジャが言ってたやつが先だ」
風が変わっている。
熱とは別の、冷たい闇の匂いが近づいていた。
砂丘の向こう、蜃気楼に歪んだ地平線の上。
黒い影が一つ、静かに立っている。
ティナが剣を構える。
「……誰」
クジャが眼帯の上から目元を押さえ、かすかに笑った。
「やっぱり来た」
影は、砂漠の熱をまるで気にしないように歩いてくる。
細い身体。長い黒衣。中性的な顔立ち。冷たい眼。
男は、アグニスの死骸よりも先に、クジャを見た。
「その眼」
静かな声。
「まだ残っていたか」
ミルスが低く呟く。
「第三魔王……ネメシス•ヴァイル」
男――第三魔王ネメシスは、薄く笑った。
「久しいな、第四」
砂漠の熱が、一気に冷えた気がした。




