第15話 炎の領域へ
第二魔王の領域を離れてから、森の色は少しずつ変わっていった。
黒々としていた木々はまばらになり、代わりに地面の色が赤くなる。
土の奥で火が燻っているみたいに、ところどころから薄い煙が上がっていた。
熱い。
風まで熱を帯びている。
ノクティス大陸の空気は元々重いが、ここへ来るとそれとは別に、喉の奥を焼くような乾いた熱気が混ざる。
「暑い……」
ティナが額の汗を拭った。
「さっきまで寒い森だったのに、今度はこれ?」
「文句言っても涼しくならないよ」
クジャはそう言うものの、さすがに首元をぱたぱたと扇いでいる。
眼帯の下にまで汗が滲んでいるのか、少しだけ不機嫌そうだ。
シルヴァは前を歩きながら、風を薄くまとって体温を逃がしていた。
暑さには比較的強い。風を使えば多少はどうにでもなる。
ミルスはローブの裾を摘まみながら、遠くの赤い山並みを見上げている。
「もうすぐよ」
「第五魔王アグニス・バルドの領域」
「灼炎砂漠と、その奥の火山帯」
ティナがげんなりした顔をした。
「名前からして最悪ね」
「大体こういうのは名前通りだよね」
クジャが笑う。
「分かりやすいだけ親切かも」
シルヴァは短く言う。
「親切な魔王がいてたまるか」
「それもそう」
四人はしばらく無言で進んだ。
時折、地面の割れ目から赤い光が覗く。足元で小石が転がるたびに、どこか遠くで低い唸り声のような音が返ってくる。
大地そのものが生きているみたいだ、とティナは思った。
そして、その生きた大地のどこかで、炎の魔王が呼吸している。
「ねえ、ミルス」
歩きながらティナが口を開く。
「第五魔王って、どんなやつなの?」
「獣」
「ざっくりしすぎでしょ」
ミルスは少しだけ考える素振りを見せた。
「理性は薄い。けれど本能が鋭い。縄張り意識が強くて、侵入者を徹底的に排除するタイプ」
「話し合いは?」
「通じない」
「最低」
「魔王に何を期待してるの」
ティナがむっとした顔をすると、クジャがその横で笑いを噛み殺した。
夕方が近づく頃、四人は岩場に囲まれた窪地を見つけた。
完全に安全とは言いがたいが、見通しが利くぶん夜営には向いている。
「今日はここで休む」
ミルスがそう決めると、シルヴァは手早く周囲を確認し、ティナは荷を下ろし、クジャは何故か一番最初に地面へ寝転がった。
「死ぬ……」
「まだ死なないで」
ティナが即座に返す。
「クジャ、手伝いなさい」
「十分手伝ったよ。暑さに耐えるっていう重大な仕事を」
「今から薪集め!」
「ここ岩しかないけど」
「じゃあ火種!」
「暑いのに火がいるの?」
「食事するでしょうが!」
シルヴァはそのやり取りを聞き流しながら、少し離れた高台へ上がった。
風の流れを見る。
夜になれば少しは温度が下がる。だが、周囲のオーラはまだ落ち着かない。赤い山の向こう側で、大きなものが動いている感覚がある。
アグニス・バルド。
第五魔王。
「……」
そこまで考えてから、シルヴァは別のことを思い出した。
ラース。
兄の冷たい目。
核を砕いて取り込んだ時の圧倒的な気配。
仲間ではない。敵でもない。
ただ、自分の目的だけで動く第三勢力。
「厄介だな」
ぽつりと呟く。
その声を聞いたわけでもないだろうに、背後からクジャの声が飛んできた。
「顔してるよ」
振り返ると、クジャが岩の上に座っていた。
いつの間に上がってきたのか、相変わらず足音がない。
「何のだ」
「めんどくさい兄を思い出してる顔」
「分かりやすいか?」
「少しね」
クジャは足をぶらぶらさせながら、赤く染まり始めた地平線を見る。
「でも、嫌いじゃないでしょ」
「……」
「ラース」
シルヴァは即答しなかった。
風が二人の間を抜ける。
「好きとか嫌いで言える相手じゃねぇよ」
「家族ってそういうもの?」
「知らん」
「へぇ」
クジャはそれ以上は追及しなかった。
ただ、少しだけ柔らかい声で言う。
「僕にはよく分からないけど、でも」
「いざって時に、君はあの人を見捨てない気がする」
「勝手に決めるな」
「当たってる?」
「知らん」
否定しない。
それだけで、クジャには十分だった。
夕食は簡単な干し肉と保存食のスープだったが、疲れている時はそれでも美味い。
ティナが文句を言いながら鍋をかき混ぜ、ミルスが静かに味を整え、クジャが勝手につまみ食いし、シルヴァが無言で器を並べる。
誰がどう見ても、旅慣れた仲間の夜だった。
「ねえ」
スープを飲みながらティナが言う。
「こういうの、変な感じ」
「またそれか」
シルヴァが言う。
「だって、魔王を倒しに来てるのに、普通に野営してご飯食べてるんだもの」
「食わなきゃ死ぬだろ」
「あなたほんとそれしか言わないわね」
クジャがけらけら笑う。
「でも大事だよね。食事と睡眠」
「あなたが言うと軽いのよ」
「軽くないよ。結構真面目」
ミルスは火を見つめたまま、静かに口を開く。
「こういう時間があるから、戦えるのよ」
三人が彼女を見る。
「昔もそうだった」
ミルスの目に、火の揺らめきが映る。
「勇者パーティの頃も、戦って、食べて、眠って、また戦っていた。いつ世界が壊れてもおかしくなかったのに、不思議と“日常”はあった」
ティナが少し身を乗り出す。
「その頃の話、もっと聞きたい」
「面白い話じゃないわ」
「それでも」
ティナの真っ直ぐな視線に、ミルスはほんの少しだけ笑った。
「……そうね」
彼女は一拍置いてから続ける。
「勇者アランは、馬鹿みたいに真っ直ぐだった」
「ディーンはいつも不機嫌で、でも一番周りを見てた」
「私は頭で考える役。あなたみたいなものね、ティナ」
「えっ、私?」
「似てるわよ。生真面目で、放っておけなくて、損をするところが」
「褒めてる?」
「半分くらい」
クジャが口元を押さえて笑う。
ティナはむっとした顔をしたが、少しだけ嬉しそうでもあった。
ミルスの視線が、今度はシルヴァへ向く。
「そして、風の子はずっと一人で立とうとしていた」
シルヴァはスープを飲みながら言う。
「昔話だろ」
「ええ。昔話」
だが、その空気はどこか今に繋がっていた。
焚き火が小さく鳴る。
熱い土地の夜にあって、その火だけは不思議と穏やかだった。




