第12話 黒い大地
ノクティス大陸の土は、黒かった。
ただ色が黒いだけではない。
踏んだ瞬間に分かる。死んだ土ではないのに、生きているとも言いがたい。何か大きなものの残滓が、ずっと染み込んだまま固まっているような、そんな感触だ。
「気持ち悪いわね……」
ティナが上陸して最初に零した感想が、それだった。
クジャはしゃがんで土を指先で擦る。
「普通の土地じゃないね」
「神と魔王の戦いで、一番深く傷ついた場所だから」
ミルスの説明は簡潔だった。
だが、それだけで十分だった。
上陸地点は人のいない入り江だった。
港と呼べるような設備もない。朽ちた桟橋の残骸が少しあるだけで、昔はここにも街があったのだろうと分かる程度だ。
四人は最低限の荷だけを背負い、船を岩陰へ隠した。
「戻る時、船がなくなってたらどうするの?」
ティナが聞く。
「その時は奪う」
シルヴァが即答した。
「あなた、最近その答え多くない?」
「便利だからな」
クジャが笑う。
「嫌いじゃない」
入り江を抜けると、すぐに黒い森が始まった。
枝も葉もどこか煤けたような色をしている。風が吹いているのに、葉擦れの音がほとんどしない。不自然な静けさだった。
シルヴァは先頭を歩き、ティナがその少し後ろ、クジャがさらに後方を取る。ミルスは最後尾から全体を見ていた。
数刻ほど進んだ頃、シルヴァが足を止める。
「……来る」
その一言で全員が武器を取った。
次の瞬間。
左右の木々の影から、黒い獣が飛び出した。
狼。だが、王都近辺で見た魔獣より一回り大きい。
背に生えた骨は槍のように鋭く、目が赤く濁っている。
「ボーンウルフ……!」
ティナが剣を抜く。
だが数が多い。五体、八体、十体。
「歓迎にしては雑だな」
シルヴァが吐き捨てる。
「風脚」
足元の風が弾ける。
最初の一体の懐に潜り込み、首元へ一閃。赤い血が飛ぶ。
ティナも動く。
「聖光斬!」
白い軌跡が走り、二体まとめて吹き飛ばす。
クジャはその横で、カードを三枚同時に放った。
「邪魔」
カードが木の枝を回り込み、背後から迫った個体の喉へ突き立つ。
だが――数が減らない。
「増えてない?」
ティナが叫ぶ。
「最初から隠れてただけ」
ミルスが杖を振る。
「圧縮重力」
空気がぐしゃりと歪み、前方にいた三体の狼が地面へ叩きつけられた。骨が軋み、そのまま動かなくなる。
「便利ね、その魔法」
「あなたの光ほど万能じゃないわ」
そう言いながらも、ミルスの視線はもっと奥を見ていた。
「……こいつら、誘導されてる」
「誘導?」
クジャが眼帯に触れ、森の深部へ顔を向ける。
「ああ、ほんとだ」
「奥に“いる”」
シルヴァは最後の一体を斬り伏せ、血を払う。
「第三か?」
「まだ分からない」
ミルスは低く答えた。
「でも、魔王級の気配が一つ」
その直後、森の奥から獣とも人ともつかない咆哮が響いた。
黒い木々がざわめき、地面が微かに揺れる。
ティナが息を呑む。
「これ……さっきの雑魚とは違う」
「当たり前じゃん」
クジャは笑っているが、指先に挟んだカードが僅かに震えていた。
「たぶん来るよ。でっかいの」
言い終わるより早く、森の奥で樹々がなぎ倒された。
黒い木の幹が何本も宙を舞う。
その向こうから現れたのは、巨人だった。
いや、“巨人のように大きい何か”だ。
全長は十メートル以上。
岩のような皮膚に、土塊を固めたみたいな腕。頭部は人型に近いのに、目だけが真っ赤に燃えている。
「……何よ、あれ」
ティナが呆然と呟く。
ミルスは杖を強く握った。
「第二魔王の眷属」
「……ってことは」
「本体も近い」
巨人が腕を振り上げる。
その動きだけで風圧が起きた。
「散れ!」
シルヴァの声と同時に、四人は左右へ跳ぶ。
次の瞬間、地面が抉れ、黒い土が爆ぜた。
クジャが木の枝へ飛び乗りながら言う。
「上陸一時間でこれは濃いね!」
「嬉しそうに言うな!」
ティナが光を剣へ集める。
「どうするの!?」
シルヴァは巨人を睨みつけたまま答える。
「壊す」
「雑!」
だが、他にないのも事実だった。
巨人が再び拳を振り下ろす。
今度はシルヴァが真正面から突っ込んだ。
「風断」
風の刃が腕を斬る。
だが浅い。皮膚が硬すぎる。
シルヴァが舌打ちする。
「硬ぇな」
「頭を狙って!」
ティナの光が走る。
目元を貫こうとした白い斬撃を、巨人は腕で庇った。だが、その隙にミルスの魔法陣が完成する。
「落ちなさい」
空から巨大な岩塊が降る。
次の瞬間、圧縮された質量が巨人の肩へ直撃した。
巨体がぐらりと揺れる。
「今!」
クジャが叫ぶ。
その声に、シルヴァの身体が先に動いていた。
「風脚」
一気に加速。
巨人の胸元まで駆け上がり、首筋へ刃を叩き込む。
「風葬」
風が一本の線になる。
首が半ばまで裂け、巨人は地鳴りのような声を上げて膝をついた。
最後はティナの一撃だった。
「聖光断!」
光が首を貫く。
巨体が崩れ、黒い土煙を上げて倒れた。
しばしの静寂。
ティナが息を切らしながら言う。
「……これ、眷属よね?」
「ええ」
ミルスの表情は険しいままだった。
「つまり、本体はこれよりずっと厄介」
シルヴァが剣を払い、巨人の残骸を見下ろす。
「面白くなってきた」
「ノクティス来てからそれしか言ってないわよ、あなた」
ティナが呆れたように言ったその時だった。
森の奥から、重い足音が響く。
ズシン。
ズシン。
地面が揺れ、空気が軋む。
今までの巨人とは比べ物にならない圧が迫ってくる。
クジャの笑みが、初めてほんの少しだけ消えた。
「……来た」
ミルスが静かに言う。
「第二魔王」
黒い森の奥、倒れた樹々の向こうから、巨大な影がゆっくり姿を現した。




