第11話 海を越える夜
王都レグナを出たのは、日が沈んでからだった。
正門ではなく、西側の水路沿いにある荷運び用の裏門。
王都の表通りは兵の巡回が増えていたし、闘技場騒ぎの直後に堂々と出ていけば、いくらでも足がつく。ミルスはそこまで考えたうえで、最初から裏の道を選んでいた。
「ほんとに慣れてるのね」
ティナが小声で言う。
「昔、何度も逃げたもの」
ミルスは淡々と答えた。
その言い方の軽さと、内容の重さが噛み合っていない。
クジャがその横を歩きながら、くすりと笑う。
「元勇者パーティって、もっとキラキラしてると思ってた」
「してた時期もあるわ」
「時期限定なんだ」
「現実なんてそんなものよ」
王都の外れへ出る頃には、街の灯りも遠くなっていた。
その先に広がるのは、夜の港だ。
港湾都市イオス。
王都の外港にあたるその街は、普段なら夜でも賑わっているはずだった。だが今日に限っては妙に静かだ。商船の帆は下ろされ、桟橋に繋がれた船も少ない。まるで、王都の異変がここまで伝わっているみたいだった。
「人が少ない」
シルヴァが言う。
「魔王軍の噂が回ったのね」
ティナが周囲を見ながら答える。
「一般人は本能で察するものよ。関わると危ないって」
「その割に王都の闘技場は満員だったけどね」
クジャの一言に、ティナは少しだけ苦い顔になる。
ミルスは港の一角、古びた小型帆船の前で足を止めた。
「これに乗るわ」
シルヴァは眉をひそめる。
「小さくないか」
「大きい船は目立つ」
「それは分かるが」
「安心して。沈まない程度には強化してある」
「“程度”って何よ」
ティナの突っ込みに、ミルスは答えず船へ乗り込んだ。
結局、四人はそれ以上文句を言っても仕方ないと諦め、荷を積み込んだ。
夜の海は黒い。風も冷たい。船が岸を離れると、王都の灯りがゆっくり遠ざかっていく。
ティナは甲板の縁に立ち、闇に沈むレグナを見つめていた。
「……戻って来られるかしら」
その言葉は、誰に向けたものでもなかった。
シルヴァは帆柱にもたれたまま、短く返す。
「戻る気があるなら戻るだろ」
「それ、励ましてるつもり?」
「事実だ」
ティナは呆れたように息を吐く。
「あなたって、本当に情緒がないわね」
「必要か?」
「少しは」
そのやり取りを聞きながら、クジャは船首に座ってカードを並べていた。
夜風で飛びそうなほど軽いそれを、器用な指先で操んでいる。
「クジャ」
ティナが声をかける。
「何してるの?」
「占い」
「そんな趣味あったの」
「今できた」
クジャは一枚をひっくり返し、ふむ、と頷いた。
「最悪だ」
「何が出たのよ」
「すごく嫌なやつ」
「雑すぎない?」
「でもたぶん当たるよ」
その笑みの奥に、ほんの少しだけ本気が混じっていた。
ミルスは船尾に座り、何かの魔導具を調整している。波と風の流れを読んでいるのだろう。船が揺れるたび、淡い光が彼女の指先を走った。
しばらく沈黙が続いたあと、ティナがぽつりと呟く。
「……ねえ、ミルス」
「なに?」
「王都で言ってたこと、本当なの?」
「何について?」
「全部よ」
ミルスは少しだけ手を止めた。
「あなたが勇者パーティにいたこと。シルヴァが神に作られた存在だってこと。六魔王のこと」
「本当よ」
「そんな顔して言われても」
「じゃあどんな顔なら信じるの?」
「もっとこう……重い顔とか」
クジャが吹き出した。
「それはそれで怖いよ」
ミルスは困ったように微笑んでから、海の向こうへ視線を向けた。
「昔、勇者パーティは五人いた」
「勇者アラン。雷剣のディーン。聖騎士の系譜に連なる戦士。私。そして――」
そこで彼女は、一瞬だけ言葉を切る。
「風を継ぐ少年」
シルヴァは何も言わない。
だが、その横顔は僅かに強張っていた。
「あなたはその時より幼かったけれど、確かにいた。神殿の記録にも残らない、“神の隠し札”としてね」
ティナがゆっくり瞬きをする。
「そんな話……神殿でも聞いたことない」
「表に出せる話じゃないから」
ミルスの声は静かだった。
「神は魔王を恐れた。だから対抗存在を用意した。でも、それが“人”である必要があった」
「……どういう意味だ」
初めて、シルヴァが低く問う。
ミルスは彼を見る。
「神の力そのものでは、ゼノアは止められない。あれは神と同格だから」
「だから、“人の意志で神の力を扱える器”が必要だった」
風が吹く。
船の帆が大きく鳴る。
「それが、あなた」
ティナがシルヴァを見る。
クジャも、今だけは冗談を挟まなかった。
シルヴァは数秒黙ってから、甲板へ視線を落とした。
「……くだらねぇ」
「そうかもね」
「生まれた理由なんて、後づけでしかない」
その言葉に、ミルスは少しだけ目を細めた。
「本当に、昔のまま」
夜更け。
交代で眠ることになったが、結局誰も深くは眠れなかった。
ティナは狭い船室で何度も寝返りを打ち、クジャは寝たと思ったら突然目を覚まして甲板へ出ていく。シルヴァは最初から眠る気がなく、ずっと風を読んでいた。
ミルスだけが静かに目を閉じていたが、それが本当に眠りなのか、シルヴァには分からなかった。
明け方。
海の向こうに、黒い大地が見えた。
「……あれが」
ティナが呟く。
「ノクティス大陸」
朝日が昇るはずの時刻なのに、その空は暗い。
雲が低く、海も重い。潮の匂いの中に、土でも鉄でもない、もっと古くて嫌な臭いが混じっている。
クジャが眼帯の上から目元を押さえた。
「うわ」
「何だ」
「闇が濃い」
シルヴァは剣の柄に手を置く。
「上陸した瞬間、何かあるな」
「ええ」
ミルスが静かに頷いた。
「だから言ったでしょう。ここからが本番だって」
船は黒い大地へと近づいていく。
風葬のシルヴァたちは、ついに闇の大陸へ足を踏み入れる。




