第三話 二人の夢は白い冬
一年前のナツ、植物育成学が始まって一週間経った頃。
今日は土曜日。学校は休みだ。植物たちは温室で厳重に管理されている。
「あら、アリスさんも今日はおでかけですの?」
寮母がわざとらしく言った。
「街に行くんです。変じゃないですか?」
短めのスカートの後ろを気にしながら、アリスは回ってみせる。
「可愛いです!」
「ありが――」
「そのお帽子、子役さんみたいで」
アリスはいつものツインテールに、黒いベレー帽を乗せていた。
「え……」
「楽しんで! 門限までには帰ってきてくださいねー」
「行ってまいります……」
彼女はいつも一言多い。出かけるのが楽しみで、忘れていた。
駅の待合室には既にたくさんの生徒がいた。
ほとんどが私服に身を包み、男女数名で輪になって立ち話をしている。
アリスは石の長椅子にちょこんと座って、それを見ていた。
不意に、空気がピリついた。かと思うと、ざわつき始める。
「やっぱりブラッドも街に行くんだ」
「雑誌から飛び出て来たみたい……!」
「私服姿が見られるなんて、幸せ!」
「惚れてしまいそうだぜ」
「同じ人間かよぉ!」
ブラッドはハル仕様の羊毛帽を目深にかぶり、サングラスをかけていた。特徴的な赤髪と灰色の瞳を隠し、お忍び中のスターのような出で立ちながら、ばっちり目立っていた。
「ダル……」
サングラスをズラしてにらみつけると、取り巻きと野次馬は散った。
ブラッドはところどころダメージ加工された濃灰色の長袖に、スカートの付いた奇抜な形のズボンを合わせていた。
長い脚を覆うために、上等な布が何枚も使われているのか、彼が着るから布が高級そうに見えるのか。恐らくどちらも正解だ。
黒の運動靴には、老舗洋品店の名前が彫られた金属板が銀色に光っている。
「おはよう、ブラッド」
「……うす」
ブラッドは鼻を触った。いくつもはめられた指輪が光り、さりげない仕草も画になる。
アリスの隣に座ると、まるで大人とこどもだ。
取り巻きの一人がたずねる。
「なー、ブラッドー、どこに行くかくらい教えてくれよ。植物学関係の話は聞かない。離れて歩くからさ!」
ブラッドは腕を組み直しただけで取り合わなかった。
「わかったよ、もう行くよ。いいよなー。俺らは男三人でグループデートだよ」
今日、出かけることになったのは、他でもない植物育成学のため。大半の生徒がそうである。
植物と向き合う前に、まずは相手のことを知る必要がある。授業外でも、生徒同士が積極的に交流することが推奨されていた。他者との対話の中で、自己を見いだすこともあるのだと、教科書にも載っている。
とは言え男女で組む場合、いきなり二人きりで出かけるブラッド・アリスは特殊な事例に当てはまる。
列車が来ると、皆、ブラッドに配慮し、別の車両に乗った。
ブラッドは日が当たらない場所を慎重に選んだ。アリスは斜向かいに座る。
「街についたらどの辺まわろうか。一応、喫茶店はいくつか調べてきたんだけど――」
「それ何?」
ブラッドはサングラスを頭の上に移動させた。長い指でアリスのかばんについた飾りを指差す。丸く整えられた彼の爪は、黒く塗られていた。
「いつも着けてるよな?」
アリスは学校で持ち歩いている文房具入れにも、同じものを着けていた。
「これ? お守りみたいなものだから」
アリスは留め具を外して、それを手に取った。手のひらにすっぽり収まる大きさながら、存在感がある。
特殊な調合の液体で固めたハート型の枠に、模造石や硝子石が封入され、薄い透明の板で蓋がされている。表面は塗料などでツヤツヤに仕上げられていた。
「こうやって振ると……」
ブラッドの耳の横で振ると、中の粒が動いて、シャカシャカと鳴る。はじめはぞわっとするが、それが次第に癖になる。
「この音、好きなの」
ブラッドはサングラスをかけ直した。
「流行ってんの?」
「最初に流行ったのはもっと昔。だけど、今も私みたいに作ってる人はいるよ。珍しいけどね。注文を受けて作ってる人もいるみたい。これは家で作ったの」
「作った?」
「基本の材料は一式、手芸用品店で買えるし、何回か失敗したけど、慣れれば誰でも作れるよ。私はハートが好きだからこの枠にして、紫と黒とキラキラしたのが好きだから、装飾と封入はそれに近いものを探したの。ブラッドのも作れるよ」
「俺?」
「ブラッドに憧れてる人はたくさんいるでしょう? そういう人がブラッドを思って作るんだよ。例えば、赤枠で月とか星? 初心者は丸がいいんだけどね。でも、好きな人のためなら作っちゃうんだよ。何回失敗しても上達したいって思うの。そういう時間も楽しい。枠が出来たら、鋲で飾ったり、キラキラさせたり、中に黒いサイコロ入れたり」
ブラッドは顔を背けた。
「なんで知ってんの?」
「やっぱり? 今日の服装も、爪も、黒サイへの賛辞だと思った」
黒いサイコロ――とある高級紳士服の代表的図案。店舗が少ない上、ごく限られた数でしか販売されない。しかし、熱狂的な愛好家は少なからず存在し、略して「黒サイ」と呼ばれていた。
「勘違いじゃなくて良かった。ブラッドは服が好きなんだなーって思ってたの。言えて嬉しい」
「近い」
前のめりで話していたと気付き、アリスは元の位置に座り直した。
「わざとじゃないから。私、他の人のお守りを作れるかもって想像だけで、勝手に舞い上がっちゃったね」
「もうちょっと見せて」
「はい、どうぞ」
アリスはお守りを手渡した。ブラッドは興味津々でそれを窓の方にかざす。
「やっぱり返して」
ブラッドは、ひょいと掲げて、アリスの手をかわした。彼女はまるで遊ばれている猫のようだ。
立ち上がろうとしたアリスはよろけて、不覚にもブラッドの隣に座る。同時に、ボスッと音が鳴るくらい、お尻を打ち付けた。
「痛い……」
「座っとけ。危ねぇ」
「だって返してくれないんだもん」
「まだ見てんだろうが」
「じゃあ、そんなに見つめないでよ。恥ずかしい……独学だから雑なところあるもん……」
ブラッドは構わず、お守りを見つめていた。
「他にも何か作ってんの?」
「寮ではお裁縫とか……」
ブラッドは街に到着するギリギリまで、ずっと手に持っていた。
「手触りいいよね。柔らかくてぷにぷにしたのも、作れるらしいよ。お花見で食べたおだんごみたいな形にしたら可愛いかも」
「これから行く場所、決まったな」
落とさないように、そっとアリスに返すと、微かにブラッドの指先が触れた。
(いま、笑った?)
街に到着すると、二人は主要通りから外れた問屋街へ。
手芸用品店に入り、基本の材料一式を買ってから、ブラッドらしい封入部品を探して歩き回った。
こだわりの強い二人だったが、文句も言わずに情熱の赴くままに。サングラスの奥で、ブラッドの目も輝いている気がした。
喫茶店に入って遅い昼食にした。アリスは雪山パンケーキ。ブラッドは赤いソースのかかったハンバーグセットを頼んだ。育ちのいい二人は、気まずい様子もなく無言で食べ進める。
「街で出される料理って安いのに量が多いのね。一人で食べる用では、なかったのかも」
「腹いっぱいなら、無理すんな」
ティーカップを傾けながら、ブラッドが言った。不良みたいな見た目をしていても、それは彼の自己表現であり美学。所作は洗練されている。魔法陣の描画、詠唱体勢の形式、魔道具への扱いにも表れていた。植物に触れる時もそうだ。
「そろそろ植物に名前をつけないとね」
どんな花が咲くかわからない。だが、単に「植物」「実験体」と呼ぶのは嫌だ。まだ小さな芽だけれど、アリスは愛着を持っていた。
「俺も考えたんだけど、テーマと関係があったほうがいいよな? だから、先にテーマを考えた」
「何?」
「夢」
ブラッドはアリスが食べ残したパンケーキを指差した。
「俺の夢」
顔を上げると、目が合う。サングラスはしていなかった。
「雪?」
パンケーキは粉砂糖で真っ白に化粧されている。
「昔のフユ服が着たいんだ。だから、雪が降んねぇかなって昔から思ってる」
「重ね着し放題だね」
ブラッドの好きなものを求めて歩き回った後では、たやすく理解できた。
「素敵な夢」
アリスは目を閉じて、想像してみる。絵本の中や絵画、映画、立体映像で見た雪。全身を包む、冷凍庫みたいな寒さ。
膝の上の両手をぎゅっと握った。
「真っ白……毛織物……羊みたいにもこもこ……ふふ、わくわくするね」
「もこもこした花か。被らなさそうでいいんじゃねぇの? で、そっちの夢は?」
「私の……」
もう一度、ブラッドの瞳を見ると、胸が痛んだ。まだ肌がざわめいている気がした。
「見つかってない。今はブラッドの夢を叶えるのが、私の夢かな」
ブラッドの目に気遣うような色を感じ取って、アリスはほほ笑んだ。
「夢が二つあったらブレるし、ちょうどいいか」
ブラッドはまた紅茶を飲んだ。アリスも最後の一口を飲む。
「話してくれてありがとう。今日、出かけられて良かった」
他の生徒に構想がバレないよう、誰にも言わない約束をして、二人は店を出た。
「フランはどう?」
「ああ。いいな」
フユと、白を思わせる言葉を合わせた「フラン」。それが二人が育てた花――夢の名だった。




