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督促状という自由の切符

作者: bob

セシル男爵家の次女として生まれたローズ。

お母様のピンクブロンドにお父様の空色の瞳を受け継ぎ、家族の惜しみない愛を受けて育った。

両親はいつも私を気にかけ、できたことを見つけては褒めてくれた。


なかでも、家庭教師との勉強の時間が大好きだった。

新しい知識を身につけるたび、両親や兄姉が目を細めて喜んでくれる。

それが嬉しくて、私は際限なく学び続けた。


程なく婚約したノース伯爵家の長男ヨシュア。

すでに家督を継ぐことが決まっている、将来を約束された人。


――この人を支えたい。


そう思い、私はこれまで以上に勉学に励み、身なりにも気を配った。

隣に立つのが恥ずかしくない妻になるために。


結婚式は盛大だった。

多くの人々に祝福され、私は幸せの絶頂にいた。


その夜の初夜も――

確かに、幸せだった。


けれど、その幸せは一日しか続かなかった。


翌朝。

外出していたヨシュアが、見知らぬ女性を連れて帰ってきた。


目を引く金髪に、非の打ちどころのない美貌。

身に着けているドレスや宝飾品は、一目で一流とわかるものばかりだった。


二人のあまりに親密な様子に、胸がざわつく。


「ヨシュア様……そちらのご令嬢は……?」


「ああ。彼女はソフィア。俺の愛する人だよ」


――愛する、人?


言葉を失った私に、ヨシュアは平然と続けた。


「これから一緒に住むから」


「ローズさん、よろしくお願いします」


ソフィアは勝ち誇ったような笑みで、私に挨拶をした。


「そ、そんな……!急にそんなことを言われても困ります!愛人を一緒に住まわせるなんて……」


「おい。結婚したからって、自分が正妻だとでも思ったのか?」


冷たい声が突き刺さる。


「お前は、貴族同士と結婚をさせたがった両親を黙らせるための仮の妻だよ」


――え?


理解が追いつかない私を前に、ヨシュアはさらに言い放った。


「この家の正妻はソフィアだ。

 何もしないお前は伯爵家のお荷物でしかない」


 そうだ!お前が伯爵家の業務を全部やれ」


「は……? 待ってください!」


私の声を無視し、ヨシュアはソフィアを伴って去っていった。


それからの日々は、地獄だった。


伯爵家の業務はすべて私に押し付けられた。

幸い、義父が残した引き継ぎ資料のおかげで仕事自体はこなせたが、財政状況は想像以上に悪かった。


追い打ちをかけるように、公爵家が競合事業を立ち上げ、さらに領地は食糧難に陥る。

日を追うごとに、問題は増えていった。


その一方で。


「これも似合うだろ?」


ヨシュアは高価なドレスや宝飾品を湯水のように買い、ソフィアに贈る。

ソフィアもまた散財をやめようとしなかった。


「ヨシュア様……これ以上の支出は控えていただけませんか?」


「うるさい!お前の仕事がなってないからだろう?どうにかするのがお前の仕事だ!

それに、当主やその妻の行いに使用人以下のお前が口を出すな」


「ソフィア様……伯爵家の財政はそこまで豊かではありません。

少しでいいので、お買い物を控えていただけませんか?」


「何を言っているの?伯爵夫人の私がみすぼらしい姿をしていたら、ヨシュアが恥をかくでしょう?」


――無駄だった。


私は自分の生活費を極限まで切り詰め、使用人の一部には紹介状を書いて辞めてもらった。

それでも財政難は改善しなかったが、その資金を元手に行った隣国との貿易で食糧難は解決できた。


けれど、その結果。


退職を一方的なクビと勘違いした使用人たちの視線は、冷たいものへと変わった。


「旦那様は本当はソフィア様と結婚したかったのに……」


「ローズ様が爵位を使って居座っているんですって」


「ソフィア様が可哀想……」


そんな噂が、屋敷中に広がっていった。


二年。


心はすっかり擦り切れていた。

両親に助けを求めることすら、恥ずかしくてできなかった。


夜会には、ヨシュアは必ずソフィアを“伯爵夫人”として伴う。

他の貴族たちに、私がどう語られているのか――

想像するのも、怖かった。


私はただ、静かに耐えることしかできなかった。






そんな折、一通の手紙が届いた。


「……え? 督促状……?」


それは、ウェスト公爵家からの正式な督促状だった。

書かれている金額を見て、息を呑む。


――返せるはずがない。


ヨシュア様に報告しなければならない。

そう分かっていても、足取りは重かった。


庭では、ヨシュアとソフィアが優雅にお茶を楽しんでいた。

この場に近づくたび、罵倒されるのは分かっている。

それでも、避けるわけにはいかなかった。


「ヨシュア様。このお手紙についてなのですが……」


「おい」


言葉を遮るように、ヨシュアが睨みつける。


「居候のくせに、当主と夫人の邪魔をするな」


そう言って、私の手から乱暴に手紙を奪い取った。


「ああ、これか。この間紹介してもらった事業の費用を、公爵様に肩代わりしてもらったんだ」


「……事業? 私は何も聞いておりませんが…」


「居候に、当主の仕事が分かるわけないだろう?」


鼻で笑うヨシュア。

――結婚してから、その“当主の仕事”をすべて私が担ってきたことを、彼は知っているはずなのに。


ヨシュアは手紙を私に投げ捨てた。


「しっかり処理しておけよ」


そう言って背を向ける。

そのやり取りを見て、ソフィアはただ楽しそうに笑っていた。


執務室へ戻り、改めて手紙を読む。


『期日までに返済が確認できない場合、差し押さえも辞さない』


視界が暗くなった。


領地の義父母には、食糧難の際に連絡を取っていた。

だが、ソフィアが邸に居座っていると知った途端、怒りをぶつけられた。


――嫁がしっかりしていないからだ。


そう言い残し、今後一切の支援を断たれた。

それでも、念のため状況を知らせる手紙を書いた。


それが、最後の足掻きだった。






地獄のような日々は、唐突に終わりを告げた。


ウェスト公爵が、伯爵邸を訪れたのだ。


応接室には、品良く腰掛ける公爵。

対面にはヨシュアと、伯爵夫人然として寄り添うソフィア。

私はその後ろに立っていた。


ウェスト公爵家当主にして王国一の資産家。

若くして爵位を引継ぎ、名を馳せるアラン。

涼やかな顔にルビーのような瞳。

未婚であるアランは、ご令嬢たちの憧れの存在だ。


ソフィアは、うっとりとアランを見つめていた。


「時間が惜しい。早速本題に入らせてもらう」


そう言って、アランは一枚の書類を差し出した。


「滞っている返済の代わりに、伯爵夫人を貰い受けたい」


その言葉に、ソフィアは歓喜した。


「まぁ……!私を好いてくださっているのですか?」


「お、おい! ソフィア!」


使用人にペンを用意させ、嬉々としてサインしようとするソフィアを、ヨシュアが慌てて止める。


「何を言っているんだ?」


そんな2人を見てアランは、不思議そうに首を傾げた。


「伯爵夫人は、後ろにいるローズさんだろう?」


その一言で、空気が凍りついた。


「ち、違いますわ! 私が伯爵夫人です!」


必死に弁解するソフィアを、公爵は冷ややかに見下ろす。


「夜会で、愛人を夫人として紹介していたと聞いていたが……

結婚式の新婦は、後ろのピンクブロンドの彼女だったはずだ。


正妻を蔑ろにし、愛人を正妻扱いするとは……いくらなんでも、恥知らずだな」


「「!!」」


二人は顔を赤くし、俯いた。


「ローズさん。この離縁状にサインしてくれ」


アランは、私にペンを差し出した。


「ロ、ローズ……!お前は俺を愛してるだろう?」


突然、ヨシュアが縋るように言う。


「家格じゃなく俺を見てくれてただろう?」


「ええ」


私は、静かに答えた。


「ノース伯爵家のヨシュア様ではなく、ヨシュア様個人を愛していました」


「だ、だったら出て行かないよな!?

代わりにソフィアが――」


「私だって、お金のない伯爵家なんて嫌ですわ!」


言い争う二人を、私はただ冷めた目で見ていた。


――二年。


居候と罵られ、使い潰された相手に、情など残っていない。


「……失礼します」


そう言って、私はペンを走らせた。


公爵は離縁状を侍従に渡し、私に告げる。


「荷物をまとめてくるといい」


「……荷物はございません」


私がそう答えると、公爵は目を細めた。


「財政難の折、少しでも足しになればと……すべて売ってしまいましたから」


質素な私と、煌びやかな二人。

その対比に、公爵は静かに頷いた。


「公爵様! 私も連れて行ってくださいな!」


ソフィアが縋りつく。


「生憎、品のない女性は好まない。

せめて、ローズさんほどの優秀さがあれば話は別だったが」


ソフィアは真っ赤になり、震えていた。


こうして私はあっけなく伯爵家を後にした。

馬車の中でも、まだ夢を見ているようだった。






ウェスト公爵邸で、すべてを知らされた。


ヨシュアが、禁じられた奴隷売買に手を染めていたこと。

領民を顧みず、領主として失格と判断されていたこと。


「国が直接動けば、証拠や人命が危険に晒される。

だから、財政を圧迫させ、没落させる予定だった」


公爵は、少し困ったように笑った。


「ローズさんが、すべて立て直してしまったから不発だったけどね」


そして、真っ直ぐに私を見る。


「陛下も、今回の件で君の手腕を高く評価している。君には、これからいろんな選択肢があるだろう」


「このまま公爵家で休んでもいいんだよ。

 ……私は、それを望んでいるけど」


アランは安心させるような笑顔で続ける。

伯爵家では、一度もかけられなかった言葉。


「今年は広範囲で食糧難が起きた。君のおかげで、多くの人が助かった」


「……よく頑張ったね」


胸が、いっぱいになった。


「あ……」


気づけば、涙が溢れていた。


「ずっと……ずっと、あの伯爵家で私……

助けてくださって、本当にありがとうございます……」


公爵は何も言わず、ただ優しく、私の背中を撫でてくれた。


――こうして、私の苦難は終わりを告げた。





◆◆◆


※アラン視点


アランはローズを救うと決めていた。


小公爵として社交界に顔を出すようになった頃、家庭教師がやけに誇らしげに語った。


「セシル男爵家に、とんでもない女傑がいますぞ」


今まで教えた子息令嬢を含め、知識量、判断力、経済感覚――どれを取っても同年代で比べられる人はいないと。


やがて社交界でも噂を耳にするようになった。


「素晴らしい知性だ」

「彼女が語る事業の話は完成されている」

「是非、我が家の嫁に」


どんな女性なのか、自然と気になるようになった。


パーティーでそれとなく探していると、すぐに見つかった。

ピンクブロンドの髪に、サファイアのような澄んだ瞳。


庇護欲をそそるほど可憐な見た目とは裏腹に、彼女を讃える者たちは誰一人として外見の話をしない。

知性、話術、洞察力。

――なるほど、これは。


好意を抱くなという方が無理だった。


父に頭を下げた。

公爵位を継いだら、正式に求婚したい、と。


だがその矢先、国王からノース伯爵家の怪しい動きの相談を受けた。

そして、彼女がそのノース伯爵家に嫁いだことを知った。


頭が真っ白になった。


ノース伯爵家が罪状により没落すれば、彼女の立場はどうなる?

幸せでいられるのか?


何度も自問自答した。

だが、いくらウェスト公爵でも王命は覆せない。


さかし調査を進めるうちに、迷いは消えた。


ーー伯爵夫人は、虐げられている。


調査報告書を持つ手に、自然と力が入る。


久しぶりにパーティーで見かけたノース伯爵は下品な女を“伯爵夫人”と紹介していた。


――俺は、何をしている。


すぐに動かなかった自分を、心底呪った。

だからなのか、余計にノース伯爵が許せなかった。


「ノース伯爵、新規事業に興味はないか?」


「ウェスト公爵様!興味はあるのですが…」


視線を彷徨わせるノース伯爵は、実にわかりやすい。

隣に侍らせている女は嫌悪感を抱くような笑顔でこちらをジロジロと見ている。


あれほどの女性を妻に迎えておきながら、こんな女がいいとは……

愚かにもほどがある。


「資金のことが心配なら貸すこともできるぞ?」


ノース伯爵の目が輝いた。


食いつくとわかっていた。

書類は、すでに用意してある。


愚かな男と下品な女から彼女を助ける第一歩だ。






ローズをノース伯爵家から助け出した夜ーー


泣き疲れて眠る彼女の頬に、そっと触れる。

眠りは深い。


目の下には消えないクマ。

艶を失った髪。

栄養不足が一目でわかるほど細い身体。


胸の奥が、痛んだ。


「……もう大丈夫だ」


他の選択肢を選ぶ気が起きなくなるほど、

これからは俺が、彼女を幸せにする。


あの二人に、見せてやりたい。

パーティーで、誰よりも輝く彼女の姿を。


お前たちが顎で使っていい存在ではないと、

思い知らせてやる。


だがそれ以上に――


公爵邸で、何も気にせず、

ただ幸せに生きてほしい。


彼女の髪に、そっと口づけを落とす。


自分でさえ知らなかったローズへの独占欲に苦笑した。


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