第9章 静寂の波紋、告げられた危機
戴冠から三日後。
クラリッサは新生徒会長としての執務に追われていた。
執務室の机には未読の書簡が山積みとなり、議題ごとの分厚い報告書が紙の塔のようにそびえていた。
書類に目を通し、署名し、必要に応じて意見書を添える。
会議に出席すれば、要望と期待と拍手が飛んでくる。
「……想像以上に面倒ね」
椅子に背を預け、クラリッサは疲れたように天井を見つめた。
その視線は一瞬ぼんやりとしていたが、すぐに鋭さを取り戻す。
しかし、表情にはほんのわずかだが“達成感”も混じっていた。
この数日で、自分が“役割”だけでなく“存在”として認識され始めていることを、肌で感じていたのだ。
執務の合間には、セリナをはじめとする平民生徒との面会が多く設けられた。
彼女たちは新しい会長への期待と理想を熱く語り、未来への希望を託すように手を握ってきた。
クラリッサはそれを冷静に――しかし誤解を招く形で――受け止める。
(ああもう……どうして私の皮肉が全部、希望として受け取られるのかしら。私の言葉がそんなに魅力的だとでも?)
皮肉にも、その“偽悪の態度”こそが、強さや信念と映るらしい。
事実、彼女の冷淡な一言が「本音を語る指導者」として引用され、学内の掲示板に張り出されていたのだ。
そんなある日、執務中にクラリッサのもとへ届けられた一通の封筒。
それは、生徒会が定期的に受け取る監査資料の一部だった。
見慣れた表紙、しかし読み進めるうちに、彼女の眉間に皺が寄っていく。
「昨年度の魔法器具購入予算と、実際の納品数が……合わない?」
明らかに帳簿の数字と報告書の内容が噛み合っていない。
物資の搬入記録にも不審な空白がある。
その場にいたユリウス前会長は、紅茶のカップを手に、口元に微笑を浮かべる。
「気づいたか。君なら、そこに目を向けると思っていた」
「どういうこと?」
「これは、リュステリア王国教育庁からの調査対象にもなっている問題だ。貴族家からの献金と納品業者の契約、その間に何かが潜んでいる可能性がある」
クラリッサは資料を再び見つめ、ページを繰った。
「納品された魔法器具が記録より少ない……でも予算は全額執行されている。
そして契約書には、特定の貴族家の印が重なってる……なるほどね」
彼女は目を細めた。
(……つまり、汚職の臭いがするってことね)
生徒会長になった“だけ”のつもりが、いつのまにか学園を揺るがす真実へと足を踏み入れていた。
誰かが、この問題を隠そうとしている。
しかもそれは、相当に手慣れた隠蔽の形跡がある。
領収印の上書き、契約書の日付の矛盾、名義の曖昧な業者。
これら全てが偶然である可能性は、限りなく低い。
そしてクラリッサが、その“誤解された正義”で扉を開けようとしているのだ。
彼女は気づいていなかった。
この帳簿の不正が、ある“過去の事件”と線を結び、そして自身がその渦中にいた幼き日を呼び起こす鍵であることを。
仮面の裏に息づく少女の記憶が、再び目を覚まそうとしていた。
続く。