童貞魔王と第四皇女:その2…次の妃候補はマーマンらしい(前編)
「本日は体調が悪く、寝所へは伺えませんわ…」
「……そうか……人払いだ……」
魔王マクシム・ゴウディンは側使いを一瞥し命令した。
5人いた執事やメイドは無言で頷くと、シルフィア・キールホルツの私室から出ていく。白を基調とした清潔感のある部屋には2人しか残っていない。
「……どうしてだ、もう2日目だぞ…シルフィア…俺はお前の機嫌を損ねるような事をしたのか?」
マクシムから優しく問われたシルフィアは、髪を掻き上げると盛大に溜息を吐いた。可愛らしい笑顔は半眼になり、それまで保たれていた気品が綺麗に消え失せる。
「……あんたねぇ………あの最初の日から何日経ったと思う?」
「21日目だ、忘れるはずがない」
「そう、21日よ?昨日は無かったから、それまで19日間ぶっ通しなのよ…」
「うむ、夢の様な日々だ」
「こっちは死ぬかと思ったわ!覚えたてで楽しいのは判るけど、ちょっとは考えなさいよ!!!」
そうなのだ、無事に初体験を終えたマクシムはシルフィアを毎晩求めた。公務を終えるとシルフィアを食事に同行させ、一緒に湯浴みし、一緒に寝所に入る。それが19日間続いたのだ。
マクシムは魔族であり体力は人間の比ではない。1日4回で満足する事は無く、その時間も5時間を超えるのが普通なのだ。
「す、すまない…てっきり喜んでくれているものだと…」
「いや、嫌いじゃないけど…筋肉痛でベッドから起き上がるのも大変なんだから…」
素直に頭を下げるマクシムに、シルフィアは頬を赤くして視線を逸らす。生まれが娼館だからそういう行為自体に忌避感は無く、そして純粋に気持ちが良いし、マクシムに求められるのも嬉しいのだ。
しかし問題はそこではない。
「……ウワサを聞いてるわよ?近々、マーマジネス海洋共和国のお姫様が来るそうじゃない」
「あぁ、あそこからも申出があった。申出自体はシルフィアの神聖キールホルツ帝国より早かったが私室の準備に時間が必要でな、輿入れは来週となる。話では第二十八王女で11歳らしい」
「それよソレ!」
シルフィアはマクシムの左耳を摘まむと、力の限り捻り上げた。しかし身体強度が違うのか、マクシムは全く痛がらない。
「次の輿入れがあるのに他の妃候補を寝所に誘っちゃ駄目じゃない!普通なら礼儀として1週間は自制するものでしょ?でないと『お前んトコのお姫様には期待してない』って言ってるようなものよ!」
「そ、そういうものなのか?」
「だってそうでしょ、ディナーの直前に間食するようなものよ?料理人が見たら泣くわ!」
「あ、うん、何となく理解できた」
「と言う訳で、マクシム…あんた、今日から禁欲しなさい!」
「いや、ちょっと待て」
マクシムはどうしても禁欲したくないので、頭を抱えて思考を整理する。
「その、あれだ、相手は11歳だ、何も起こらないだろう。禁欲して溜める必要など無いのではないか?」
「だから対外的な印象だって言ってんの!するしないは問題じゃない!」
「では、しても良いのだな」
「な、ちょ、ちょっと…ンッ」
マクシムはシルフィアを抱き締めるとキスをした。それは挨拶のような軽いものではない。マクシムの舌がシルフィアの唇をこじ開け、敏感な硬口蓋を刺激したのだ。同時にシルフィアの鼻腔から首筋に掛けてゾクゾクとした甘い電気が走る。
マクシムが唇を離す頃には、シルフィアの頬は赤く染まっていた。
「…バカ……変な事ばかり上達して……」
「………シルフィア、我慢できないのだが…」
「………………15分、それ以上は駄目だからね……」
「………善処する」
2人は混ざり合うようにキスを再開した。
結局、2人が部屋を出るのに1時間を要した。
廊下に待機していた側使いは表情を崩す事もなく、赤い顔の2人を出迎える。
シルフィアは匂いが漏れないよう、後ろ手で素早く扉を閉めた。
「う、オホン…食事の前に湯浴みをする、準備せよ」
マクシムの言葉にメイドが頭を下げて離れる。
シルフィがメイドを目で追うと、廊下の角に人影を見つけた。
妖艶という言葉が当てはまる美女が、その身を潜めていたのだ。
タイトな黒のドレス、波打つ長い黒髪、左側頭部の巻き角、シルフィアとは対照的な肉質的な肢体。艶やかな羽扇子で顔を隠しながらも、潤んだ瞳でこちらを見ている。
その美女はシルフィアと目が合うと急いで身を引き、その肢体を完全に隠した。
「デモイラ・マクデゾン、西方公爵の第三公女…話した事は無いが、俺の許嫁だ」
マクシムも気付いていたのか、その人物について説明してくれた。
「俺の即位の際、後ろ盾となってくれた公爵の令嬢だ…だから婚約解消もできない…すまない」
「…別に謝る事無いっつーの…ありませんのヨ?」
シルフィアは側使いの視線を感じて、急いで表情と言葉遣いを皇女のソレに戻す。
(デモイラさんか…マクシムと同じ魔族だし、恐らく正妃の有力候補よね…)
世界を制した大ゴウディン魔王国は魔族国家であり、その主権は魔族が握るだろう。人間国の神聖キールホルツ帝国やマーマンのマーマジネス海洋共和国はあくまで敗戦国や友好国でしかない。正妃にはやはり魔族であるデモイラが収まるべきである。でなければまた戦争の火種となるのだ。
(…ま、道化でも裏方でも、私は何でもするけどね~)
「…いや、何でもするって思ったけどさ……これは違うだろ!」
シルフィアは対面に座るマクシムを怒鳴りつけた。
今は馬車の中、最寄りの港町への道中、マーマン種のお姫様が輿入れした別邸へと向かっている。
マーマン種は両生種族であり、陸上での生活には向いていない。よってお姫様の私室である別邸は海際に建てられたのだ。
「なんでマーマンのお姫様との初夜に、私が同行してんのよ!?」
「いや…もし問題が起きたら助けてもらおうと思って…」
「いつもの勢いでバッと圧し掛かって、クイクイってすりゃいいじゃないの?」
「…その飾らない話し方は嫌いではないが…もう少し言葉を選べないか?」
「…うん、品が無かったわ…優しく抱きしめて、愛を確かめ合えばいいじゃない?」
「俺が愛しているのはシルフィアだけだ」
マクシムの言葉が終わる前にシルフィアが手刀を叩き込むが、手の方が痛かった。
「…ッ、男は初めての女に想い入れるって言うけど、ここまでとはねぇ…」
シルフィアは痛めた右手を振りながら、左肘を車窓に置いて頬杖を突く。
シルフィアの呆れたような視線を受けながら、マクシムは不思議そうに小首を傾げた。
「ふむ…では女性は、初めて過ごした男性の事を…何とも思ってないのか?」
「ヒゥッ!」
マクシムの不意の問いに、シルフィアの頬がどんどんと赤くなった。
シルフィアは視線を逸らすと、自分でも信じられないような小さな声で答えを絞り出す。
「…嫌ってはない…わよ………当り前じゃない………」
「では相思相愛なのだな?」
「恥ずかしい事を言うなぁッ!」
シルフィアの手刀が何度も叩き込まれるが、マクシムはその右手首を難なく優しく捕まえる。そしてさらに優しく抱き寄せると顔を近付けた。
「シルフィア……」
「キスは駄目、歯止めが利かなくなるから」
シルフィアは左手でマクシムの顔を押し返す。そして半眼で叱りつけた。
「あんた魔王でしょ?魔王国の王様でしょ?だったら自分の責務を全うしなさい!」
「いや、だが、しかし」
「他国のお姫様が寵愛を授かりに来てるのよ!その背中に『平和』ってデッカイ荷物を背負ってね!」
「!」
シルフィアの言葉にマクシムの顔が引き締まる。
シルフィアはマクシムの腕から逃れると、両手でマクシムの襟を掴んだ。
「誰も戦争なんてしたくないの!自分の身一つで何万人も救われるから、顔も知らないアンタの所に嫁ぎに来てんの!好きでもない男に股を開いて、産みたくもない子供を産むんだよ!」
「………しかし…何故…そんな……」
「あんた、自分の子供を殺せる?」
「殺せる訳が無いだろうがッ!」
マクシムは一瞬で激高するが、シルフィアも負けじとマクシムを睨み返す。
「だからアンタの子を産むんだろうが!それが政略結婚だろうが!解れやッ!!」
マクシムの表情から血の気が失せる。
シルフィアは襟から手を放すと座席に座り直し、ポリポリと頭を掻いた。
「…御免、言い過ぎた。けど、そういう事も忘れないで。だからお姫様が輿入れしたらちゃんと」
「お前も…シルフィアも…そう考えているのか?」
マクシムが、魔王が、この世の支配者が、泣きそうな目でシルフィアを見る。
それまで瞳に宿していた自信が、体躯に相応しい威厳が消え失せ、ただの一人の男になっていた。
(あぁ…これはダメだ……捨てられそうになっている男の目だ…独り立ちできてないダメな男の目だ)
シルフィアは薄く微笑むと、小さく鼻で笑う。
威勢も気品もない、ただの一人の女になっていた。
「あたし、あんたの事が好きだよ。初めての男とかじゃなくて、普通に好きだよ。スケベな所も、考えが足りない所も、人を信じられない所も、全部好きだよ。あんたが魔王じゃなくても、貧乏人でも、種無しだったって一緒に居たい。こう見えても独占欲は強いんだ。結婚したら浮気は許さないし、他の女に見惚れただけでも殴ってやるんだから…」
「………シルフィア………」
シルフィアが両手を広げると、マクシムは跪いてその胸に頭を預ける。
震える手で抱きしめてくるマクシムの頭を、シルフィアは優しく撫でてやる。
「…けどね、あんたは魔王だ。政略結婚を受け入れる側だ。女を抱いて子供を産ますのも仕事なんだ。好き嫌い言わずに仕事をするのが男ってもんだろ?だから、あんたはちゃんと仕事をするんだよ」
「……………あぁ………判った………」
マクシムの手から震えが消え、シルフィアを優しく抱き寄せる。そしてその手は徐々に臀部へと降りていく。
「……ちょっと?」
「…シルフィア、愛を確かめたいのだが」
「もう!だから………仕方ない……」
シルフィアはマクシムの頭を導くと、その額にキスをした。それは触れたかどうか分からないぐらいの、本当に優しいキスだった。
「……今はコレで我慢なさい…その代わり、ちゃんと仕事したら徹底的に付き合ってあげるから…」
「…シルフィア…」
「独占欲は強いって言ったでしょ?お姫様より回数少なかったら泣くからね?」
「あぁ、約束する」
二人は額を合わせて笑った。
気付けば車窓から海が見えていた。