表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
65/66

第65話 調子のいい男

 クラリス・ヴァレリウス嬢の形成外科手術は、私の持てる知識と技術、そして命脈の書(ルート・オブ・ライフ)から生成した器具を駆使し、神経をすり減らすような精密作業の末に無事終了した。

 もちろん、これで全てが終わったわけではない。術後の経過こそが、治療の成否を最終的に決定づけるのだ。


 私はヴァレリウス夫妻に術後の注意点を詳細に説明した。感染予防のための創部の清潔保持、痛み止め薬の服用方法、そして何より、精神的な安静の重要性。

 彼らは娘の無事を涙ながらに喜び、私の指示を忠実に守ることを何度も誓ってくれた。最初の数日間は毎日屋敷へ通い、クラリス嬢のバイタルサイン、創部の状態、そして全身状態を注意深く確認した。

 幸い、術後の経過は極めて順調だった。発熱や感染の兆候はなく、痛みも薬で十分にコントロールできている。彼女自身も、顔を覆うガーゼが痛々しいものの、意識ははっきりとしており、私の問いかけにしっかりと答えてくれた。


 クラリス嬢の容態が安定したのを見届けた後、私の日常は、再び複数の歯車が噛み合うように動き出した。

 ヴァレリウス家への往診は数日おきに切り替え、その合間に、私は他の依頼人との交渉や治療、そして本の研究に時間を費やす。

 「悪徳」の評判は相変わらずだが、「他に手立てがない者」にとって、私は唯一の希望でもある。原因不明の神経痛に苦しむ老富豪、特殊な毒に侵された役人……私は彼らの依頼を受け、本の「使用」スキルや「知識習得」した知識を駆使して治療にあたった。

 もちろん要求する対価は常に法外だ。だが、それによって得られる莫大な価値(ミラン)が、私の最終目標への道を切り拓いていく。価値は順調に蓄積され、着実に増えていった。


 ミーナの店へも変わらずに足を運んでいた。彼女の店は、もはや単なる薬草店ではなく、庶民にとっての「駆け込み寺」のような存在になりつつあった。

 私が生成解放した基本的な薬(キズハ、感冒薬、胃腸薬、鎮痛湿布)と、ミーナが作った薬は、その確かな効果と安価さで、絶大な支持を得ている。


「師匠! この前渡してもらった湿布、本当にすごいよ! 長年、腰が曲がったままだったお爺さんが、これを貼ったら痛みが和らいで、少しだけど背筋が伸びたんだって!」


 ミーナは目を輝かせて報告してくれる。その笑顔を見るたびに、私の心にも、わずかな温もりが灯る。私は彼女から対価(銀貨や銅貨)を受け取り、薬を補充し、そして時折、新たな薬草の知識や衛生管理の重要性を教えた。

 彼女が、私との秘密を守りながらも、懸命に人々を助けようとしている姿は、私の歪んだ計画の、唯一の救いなのかもしれない。


 そうして数週間が経過した。クラリス嬢の術後の経過は驚くほど良好だった。創部の腫れは完全に引き赤みも薄れてきている。そして今日、ついに抜糸の日を迎えた。


 ヴァレリウス家の寝室で、私は拡大鏡を使いながら極細の縫合糸を一本一本慎重に抜いていく。

 糸が取り除かれると、そこには、まだ新しく生々しさは残るものの、以前の引きつれた醜い瘢痕とは比較にならないほど、細く、滑らかな線状の跡が現れていた。Z形成術は、見事に成功したと言えるだろう。


「……終わりましたよ、クラリスさん」


 私が声をかけると、彼女は緊張した面持ちで、ゆっくりと手鏡を受け取った。そして、そこに映る自分の顔を——生まれ変わった傷跡を——食い入るように見つめている。彼女の大きな瞳から、ぽろぽろと涙が溢れ出した。


「……きれい……。うそみたい……」


 それは喜びの涙だった。隣で見守っていたヴァレリウス夫妻も、声を詰まらせている。この瞬間のために、私は……。いや、感傷は不要だ。これは、正当な対価に基づいた、治療の結果に過ぎない。


 だが、この「奇跡」は、静かに、しかし確実に、ルント市の上流階級の間に広まり始めていた。あのヴァレリウス卿の娘の痛々しい顔の傷が、謎の治療師の手によって、ほとんど分からないほど綺麗になったらしい——と。


 その噂が、ある人物の耳に届くまでに、そう時間はかからなかった。


 抜糸からさらに数日後。私が定期健診のためにヴァレリウス邸を訪れた、まさにその時だった。


 応接室へ通される途中、廊下の向こうから青年が従者を伴ってこちらへ歩いてくるのが見えた。

 上質な衣服に身を包み、自信に満ちた表情。彼は、私に気づくと、一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに芝居がかった笑みを浮かべて近づいてきた。


 ——クラリス嬢の、元婚約者。たしか、アルマン子爵とかいう……。


 彼は、私のことなど意にも介さず、私の隣にいた執事に高飛車に言った。


「やあ。クラリス嬢に会いに来たのだが、取り次いでくれるかね? 良い知らせがあると聞いてね」


 その目は、明らかに私を無視し、その奥には計算高い光が揺らめいていた。厄介なことになりそうだ、と私は内心で舌打ちした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
script?guid=on
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ