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第64話 貌《かたち》

 手術当日。ヴァレリウス卿が準備してくれた一室は、私の指示通り、徹底的に清掃され、最低限の家具以外は運び出されていた。

 窓から差し込む光を補うように、いくつかのランプが持ち込まれているが、それでも心許ない。私はこの日のために、そして今後のためにも、いくつかの準備を整えていた。


 部屋の中央には、清潔なシーツが敷かれた長椅子が置かれ、それが簡易な手術台となる。その隣のテーブルには、熱湯消毒した布の上に、これから必要となるであろう道具を並べていく。


 準備が整った部屋で、私は手術着代わりの清潔な前掛けを身に着け、髪をきつく結い上げる。そして、隣室で待機していたクラリス嬢を呼び入れた。


「クラリスさん、心の準備はよろしいですか?」


 私の問いかけに、彼女は緊張で顔をこわばらせながらも一度だけ強く頷いた。その瞳には、恐怖よりも現状を変えたいという強い意志が宿っているように見えた。


「大丈夫。必ず、綺麗にしてみせます」


 根拠のない自信かもしれない。だが、今は彼女を安心させることが最優先だ。私は穏やかに微笑みかけ、彼女に手術台に横になるよう促した。


 ヴァレリウス卿夫妻には部屋の外で待機してもらう。これから行うのは、彼らに見せるべきものではない。扉が閉められ、部屋には私と、麻酔で意識を失う前のクラリスさんだけが残された。


 私は彼女の傍らに立ち、命脈の書(ルート・オブ・ライフ)に意識を繋げる。必要なのは、麻酔、照明、そして精密な手術のための道具。

 「——麻酔薬(吸入式・簡易)、使用!」(コスト八万)

 「——手術用無影灯、使用!」(コスト三万)

 「——滅菌済 基本手術器具セット、使用!」(コスト十万)

 「——微細手術用縫合糸・針セット(顔面用)、使用!」(コスト二万)

 「——術野拡大鏡(装着型)、使用!」(コスト一万)

 (※念のため、「緊急血液生成」も待機状態にしておく)


 まずは麻酔マスクと薬品瓶を「使用」する。麻酔マスクをクラリスさんの口元に当てると、ゆっくりと深呼吸を促し、彼女の意識が完全に落ちたことを確認。脈拍、呼吸、安定を確認。

 クラリスが意識を失ったら必要な器具を「使用」。すると道具が次々と空間に実体化していく。天井付近に浮かぶ柔らかな光球。そして、テーブルの上の布に、銀色に輝くメス、様々な形状の鉗子や鑷子、そして極細の針と糸のセット、最後に、私の目の前にふわりと現れた、軽量な拡大鏡。


 拡大鏡を装着すると、患部である左頬を丁寧に消毒する。そして、拡大鏡越しに引きつれた瘢痕を注意深く観察し、計画通り、Z形成術のための切開線を特殊なインクで正確にマーキングしていく。


——いよいよだ。


 息を詰め、基本セットから生成された極めて鋭利なメスを手に取った。

 マーキングに沿って皮膚に刃を入れる。極めて薄い顔面の皮膚。力を入れすぎれば深くまで切り込み浅すぎれば皮弁が壊死する。

 全神経を指先に集中させ、学んだ知識通りに正確な深さで切開を進めていく。


 次に、瘢痕(はんこん)組織そのものを周囲の正常な組織を傷つけないよう慎重に切除していく。硬く、引きつれた組織を取り除くと、その下に隠れていた、わずかに歪んだ筋肉の層が見えた。


 そして、Z形成術の核心部分。マーキングに沿ってZ字状に追加の切開を加え、三角形の皮弁を二つ形成する。極めて薄い皮下組織を剥離し、皮弁を丁寧に持ち上げ、血流を保ったまま、位置を入れ替えるように移動させた。

 これで、瘢痕の走行が変わり、引きつれによる緊張が解除されるはずだ。


 細かい出血は、その都度、微細な鉗子で止血していく。時には、本の知識にあった、ごく微弱な電流で血管を焼灼する機能を使いながら。

 そして、縫合。これもまた、極めて繊細さが要求される作業だ。「微細手術用縫合糸・針セット」から、髪の毛よりも細い糸と専用の針を取り出す。拡大鏡で術野を拡大し、真皮層、そして表皮と、一層ずつ、組織のズレが生じないように、細かく、丁寧に縫い合わせていく。Z形成術で入れ替えた皮弁がぴったりと収まるように。この縫合の精度が、最終的な傷跡の美しさを決定づける。


 どれほどの時間が経っただろう。最後の縫合を終え創部全体を再度確認する。引きつれは解消され、Z状に縫合された傷跡は以前の一直線の痛々しいものとは比較にならないほど自然な皮膚のしわに紛れるようにデザインされている。もちろん、完全に消えたわけではない。だが、これなら……。


 私は、術野を丁寧に洗浄し、特殊な軟膏を塗布し、最後に滅菌されたドレッシング材で創部を保護した。

 麻酔を止め、覚醒を待つ。しばらくして、クラリスさんの睫毛(まつ)がかすかに震え、ゆっくりと瞼が開かれた。


「……ん……」

「……終わりましたよ、クラリスさん。手術は、無事成功です」


 私がそう告げると、彼女はまだ朦朧としながらも、わずかに安堵の表情を浮かべたように見えた。バイタルも安定している。


 額の汗を拭い大きく息をついた。全身が経験したことのないほどの疲労感に包まれている。だが、それ以上に、困難な手術をやり遂げたという、確かな達成感があった。

 部屋の外で固唾をのんで待っているであろう家族へ、この結果を報告しなければならない。私は、術後の管理について最終確認をしながら、ゆっくりと立ち上がった。

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