第63話 街の動静
形成外科——瘢痕修復の知識は、私の頭脳に新たな回路を形成したかのようだった。
クラリス嬢の顔に残る傷跡を、いかにして最小限にし、自然な形へと再建するか。
そのための術式、切開線、縫合方法……。私は数日間、部屋に籠り命脈の書から得た知識と、彼女の診察結果を元に可能な限り精密な手術計画を練り上げていた。
必要な追加器具(微細縫合糸や拡大鏡)の「使用」コストも計算済み。あとは実行あるのみ。
準備が整ったと判断した私は、ヴァレリウス卿の屋敷へ連絡を入れ、改めて面会の機会を得た。
応接室で待つ彼の表情には、以前のような憔悴感は薄れ、娘の回復への期待が色濃く浮かんでいる。
「イロハ殿、準備ができたと伺ったが……」
「はい、ヴァレリウス卿。お嬢様の手術についてですが、日程を三日後とさせていただきたく存じます。よろしいでしょうか?」
「三日後……。ああ、もちろんだとも!」
「つきましては、いくつかお願いがございます。まず、前回用意していただいた、屋敷内で最も清潔で明るい部屋を手術のために確保してください。前日からは、部屋全体の徹底的な清掃と人の出入りを厳しく制限していただきたい。それから、お嬢様には、手術前日から絶食をお願いします。水分も、私の指示があるまでは控えてください」
術前管理の要点を、専門用語を避けながら明確に伝える。麻酔のリスクを最小限にし、術後の感染を防ぐためには、これらの準備が不可欠なのだ。
「わ、分かった。全て君の指示通りにしよう。……それで、娘は……本当に……」
「リスクがゼロとは申し上げられません。ですが、私の知識と技術、そして準備できる最善の環境をもって臨みます。あとは……信じて、お待ちください」
私の落ち着いた口調に、ヴァレリウス卿は不安を滲ませながらも力強く頷いた。
手術まであと三日。やるべき準備は整えた。あとは、私自身の心身の状態を万全にすることだ。
いつものように情報屋の元を訪れると、今回は、施療団内部——保守派と、離脱した改革派——の具体的な動きについて教えてくれた。
「ああ、嬢ちゃん。施療団なんだがな……保守派の連中は、まあ、いつも通りさ。感染症騒ぎで少しは懲りたかと思ったが、喉元過ぎればなんとやら、だ。相変わらず『祈りが第一』『異端の治療は許さん』ってな調子で、自分たちの権威を守るのに必死だよ。ただ……」
彼は少し声を潜める。
「ネイル様と一緒に団を抜けた、若い連中の動きが、ちと面白い」
「改革派……彼らはどうしているのですか?」
「どうやら本気で、新しい『施療院』みてぇなもんを作ろうとしてるらしい。名前も決めたとか……たしか、『黎明診療所』だったかな? まだ仲間内で地道に仕事をして資金を貯めてる段階らしいがね。なんでも、ネイル様が『東の国』から持ち帰るっていう、新しい医療技術とやらを待ってるんだとさ」
黎明診療所……。彼らは、本気で施療団と袂を分かち、新たな道を歩み始めたようだ。
「ミーナさんの店への接触は?」
「ああ、薬草店の娘さんかい? いや、あれ以来、特に施療団が何かしたって話は聞かねぇな。今は、お互い自分のことで手一杯ってことだろうよ」
ミーナに直接的な動きがないことに、私はわずかに安堵した。だが、油断はできない。
情報屋からの話で、大まかな状況は掴めた。施療団本体は内向きになり、改革派はまだ準備段階。今のところ、私やミーナへの直接的な干渉はなさそうだ。ならば、今は目の前の手術に集中すべきだ。
手術前日。私は自分の部屋で、改めて手術の手順を頭の中でシミュレーションした。
メスの角度、切開の深さ、組織の扱い、縫合のリズム……。命脈の書から得た知識は完璧だ。だが、実際にこの手で、人の顔にメスを入れる。その重圧は、これまでのどの治療とも比較にならない。
失敗は許されない。技術的な意味でも、そして、ヴァレリウス卿との契約——成功報酬、大白金貨一枚——という意味でも。




