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第61話 傷跡と希望

 織物ギルドの元締めであるホフマン親方の治療は、長期的な管理へと移行し、安定した状態が続いていた。

 私の元には、依然として高額な対価を支払える富裕層からの「最後の希望」を求める依頼が舞い込み続けており、私の資産は順調に増え続けていた。


 とある筋から噂が入ってきた。聖ルカ施療団から離脱した改革派たちは、ルント市郊外に小さな診療所を開設するための準備を着々と進めているらしい。

 今はまだ地道な資金集めと仲間集めの段階のようだが、彼らの存在が、旧態依然とした施療団本体にどのような影響を与えていくのか注意深く見守る必要はあった。


 ミーナの店も相変わらず繁盛していた。私が提供した消炎鎮痛パップ剤は、長年の腰痛や膝痛に苦しむ人々から絶大な支持を得ているようだ。

 彼女から定期的に受け取る対価は、私の総資産から見れば微々たるものだが、彼女の成長と、私の計画が機能している証として、小さくない意味を持っていた。


 そんなある日、宝石商ダリウス氏から、紹介したい人物がいると連絡が入った。

 彼の屋敷で私を待っていたのは、ヴァレリウス卿と名乗る、恰幅の良い、しかし憔悴した表情の貴族だった。


「イロハ殿、どうか娘を……娘を助けてはいただけないだろうか」


 彼は深々と頭を下げた。聞けば、彼の娘——クラリスさん(18歳)——が、数ヶ月前、乗馬中の落馬事故で顔に大きな傷を負ってしまったのだという。

 命に別状はなかったものの、利き顔に痛々しく大きな傷跡が残ってしまったらしい。


「娘は……元来、明るく、誰からも好かれる優しい子だったのです。ですが、この傷を負って以来、塞ぎ込み、人前に出ることも嫌がるようになってしまって……。決まっていた縁談も、相手方から一方的に破棄されてしまった……」


 ヴァレリウス卿の声が、悔しさに震える。


「あらゆる薬師に診せ高価な軟膏も試しました。ですが、傷跡は消えるどころか、引きつれが酷くなるばかり……。そんな時、ダリウス殿から、あなたの噂を伺ったのです。『不可能を可能にする治療師がいる』と……。どうか、お願いできないだろうか」


 私は彼の依頼を受け、別室で待つというクラリス嬢に会わせてもらった。

 案内された部屋に入ると、窓辺に一人、俯いて座る女性の姿があった。顔にかかる髪の隙間から覗く横顔は確かに整っている。だが、彼女はこちらに気づいても顔を上げようとせず、その細い肩は小さく震えているようだった。


「クラリスさん、治療師のイロハです。お傷、見せていただけますか?」


 穏やかに声をかけると、彼女は一瞬ためらった後、おそるおそる顔を上げた。そして、私は息を呑んだ。

 彼女の左頬には、眉尻から唇の脇にかけて痛々しい赤みを帯びた、引きつれた線が走っていたのだ。

 事故の際の傷が、おそらくは適切な処置を受けられなかったために、ケロイド状に盛り上がり周囲の皮膚を歪ませている。これは……確かに、年頃の女性にとっては、あまりにも残酷な傷跡だ。


「……こんな顔、もう、誰にも見られたくない……」


 彼女は、涙声でそう呟くと、再び顔を伏せてしまった。


 彼女の心情を慮りつつも冷静に傷の状態を観察する。傷の深さ、範囲、皮膚の引きつれの度合い……。これは、単なる薬や軟膏で治るものではない。皮膚を切開し、瘢痕(はんこん)組織を切除し、正常な皮膚を丁寧に縫合、あるいは移植する必要がある——形成外科の領域だ。


 本を確認する。やはり、『形成外科・再建外科』のカテゴリーに、該当する項目があった。


瘢痕はんこん修正・再建術(基礎)】

  ┣ 知識習得: 1,500,000[効能:外傷や熱傷による瘢痕組織の修正、皮膚移植(基礎)、微細縫合技術などを含む形成外科の基礎知識。熟練を要す]

  ┣ 使用: (手術手技のため「使用」はなし、関連器具の「使用」は別途必要)

  ┗ 生成解放: (非常時)


 知識習得コスト二百万……! 大白金貨二枚分。そして、これを実行するには、当然、外科手術の器具と麻酔の「使用」も必要になる。


 再びヴァレリウス卿の元へ戻り、診断結果と治療方針を告げた。


「お嬢様の傷、拝見しました。通常の薬では治癒は困難です。ですが、特殊な外科技術を用いれば、傷跡をほとんど分からないレベルまで修復できる可能性はあります」

「ほ、本当かね!?」

「はい。ただし、極めて繊細で高度な技術であり、相応のリスクも伴います。そして……その準備と実行のためには、まず着手金として、大白金貨一枚と大金貨五枚(百五十万ミラン)を。そして、もし治療が成功し、お嬢様が満足される結果となった場合に、成功報酬として、大白金貨一枚(百万ミラン)を頂戴いたします。合計で、二百五十万となります」


 知識習得コスト百五十万に、手術の「使用」コスト(器具・麻酔・血液等で約三十万強)と私の利益を上乗せした額。これが、私の提示できる条件だ。


 ヴァレリウス卿は、その金額に一瞬言葉を失ったが、すぐに娘の苦しむ姿を思い出したのだろう、強い決意を目に宿して言った。


「……わかった。その条件を飲もう。娘の……クラリスの笑顔が戻るのなら、私は何でもする。すぐに、着手金を用意しよう」


 契約は成立した。私は、彼の差し出す莫大なミランを受け取ると、すぐさま本の知識を解放する準備に取り掛かった。

 形成外科——それは、単に命を救うだけでなく、人の尊厳や未来をも左右する分野だ。これまでの治療とは、また違う重圧を感じながら、私は新たな知識の扉を開こうとしていた。


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