第60話 繋がる日常
ホフマン親方を蝕む「腎不全」。
それは、私がこれまで扱ってきた急性期の疾患や、明確な原因への対処とは全く異なる、長い時間をかけた付き合いが必要となる病だ。
完治ではなく、進行を抑制し、生活の質を維持する——そのための治療計画を、私は慎重に練り上げていた。
まずは、治療の要となる「腎機能維持・保護薬」の準備だ。先日「知識習得」したばかりの合成法は、やはり特殊な材料をいくつか必要とした。
市場の薬草屋を巡って探すことも考えたが、品質の保証はないし、何より時間が惜しい。私は迷わず命脈の書の機能——「素材入手」——を利用することにした。
本を開き、必要な素材の項目を選択する。表示された「取得コスト」は、やはり市場価格よりは割高に設定されているようだが、それでも大金貨一枚(価値十万)にも満たない程度だ。
確実性と時間を考えれば安いものだ。私は必要な量を指定し、価値(お金)を消費して、それらを直接入手した。
目の前の空間や作業台の上に、目的の素材が確かな実体を持って現れる。何度経験しても、本のこの力には驚嘆させられる。
手に入れた素材を器具を使って慎重に調合を開始した。
これもまた、精密さを要求される作業だ。本の知識に基づき、温度と時間を管理し、材料を正確な順序で反応させていく。
数時間後、目的の薬——わずかに粘り気のある、無臭の液体薬——の最初のロットが完成した。
薬を携え、私はホフマン親方の屋敷を訪れた。彼は、妻の介助を受けながら、ベッドの上で穏やかに本を読んでいた。私の訪問に気づくと、ゆっくりと顔を上げる。
「イロハ殿、お待ちしておりました」
「薬の準備ができました。今日から、治療を開始します」
まず初回分の薬を彼に服用してもらい、そして、付き添う妻に対して、今後の治療計画と、日々のケアについて詳細な説明を行った。
「この薬は、一日一回、必ず決まった時間に服用してください。食事にも注意が必要です。塩分や、特定のタンパク質を控えること。水分の摂取量も、私が指示する範囲を守ってください。そして、定期的に私が往診し、血液検査などで効果を確認し、必要であれば薬の量を調整します。これは、長い付き合いになる治療です。焦らず、根気強く、一緒に頑張りましょう」
私の丁寧な説明に、妻は真剣な表情で何度も頷きメモを取っていた。ギルド長本人も、覚悟を決めた目で、静かに聞いていた。
ホフマン親方宅を後にして、私はその足でミーナの店へと向かった。薬の補充と、彼女の様子を見るためだ。
店は、昼下がりにも関わらず、数人の客で賑わっていた。
カウンター越しにミーナが客の老婆と笑顔で話している。その手には、見慣れた薬草の包みがあった。私が教えた感冒薬だろうか。
客が途切れたタイミングで、店の奥へ通してもらう。
「師匠! 来てくれたんだね!」
「ええ。補充の薬と……それから、これを」
先日からお店に置き始めた「消炎鎮痛パップ剤」の追加分はいくつかミーナに渡した。
「わぁ! 新しい湿布? ありがとう、師匠! 喜びの声が多く届いているよ!」
ミーナは、目を輝かせてそれを受け取った。彼女から、いつものように銀貨数枚の対価を受け取る。
「店の調子はどうですか?」
「うん、すごく順調だよ! 特に師匠に教えてもらった湿布(キズハと鎮痛パップ)は、本当に評判が良くて! 施療院でもらった薬より効くって、遠くから来る人もいるくらい!」
「そうですか。ですが、使い方には十分注意するように。効きすぎる薬は、時に……」
「分かってるよ、師匠。ちゃんと、症状をよく見てから渡してるから!」
ミーナは、自信を持って頷いた。彼女なりに、責任感を持って取り組んでいるようだ。その成長は、素直に嬉しい。
ミーナの店を出ると、空は高く、穏やかな風が吹いていた。
慢性腎不全の長期管理、ミーナを通じた基本的な医療の提供、そして私自身の次なる目標のための価値稼ぎ……やるべきことは山積みだ。だが、一つ一つの課題と向き合い、着実に進んでいくしかない。




