第6話 次なる一手
翌日から、私の生活は少しだけ変わった。
教えてもらった共同井戸へ行き、水筒を満たすことから一日が始まる。清潔な水が確保できるだけで精神的な負担が大きく減る。そして、昨日手に入れた石臼と石杵。これが、今の私の唯一の「医療器具」だ。
午前中は、南門近くの茂みへ足を運んでキズハを摘む。薬効があると言われるその葉を、自分の手で選別し採取する。
知識として知っているだけでなく、こうして直接触れることで理解が深めるのも大切なことだ。
部屋に戻ると、摘んできたキズハを石臼で丁寧にすり潰し小さな緑色の湿布をいくつか準備する。この一連の作業が、今の私の「仕事」の始まりだ。
準備が整うと、私は再び家々の間を縫うように歩き始めた。昨日と同じように、個人宅の雑用を探すふりをしながら、実際には別の目的があった。
「軽い切り傷、擦り傷、手当てします。薬草代と手間賃で、銅貨一枚でいかがですか?」
恐る恐る、しかし昨日よりは少しだけはっきりと、そう声をかけて回る。キズハという薬草の名前と効能、そして石臼という道具を得たことで、昨日までとは違う、わずかな自信のようなものが生まれていた。
すぐに信用されるわけではない。胡散臭そうな顔をされたり、取り合ってもらえなかったりする方が圧倒的に多い。それでも、中には戸口で子供が転んで作ったばかりの擦り傷や、畑仕事で手を切ったという男性などが、「銅貨一枚なら……」と、半信半疑で手当てを頼んでくれることがあった。
そういう時は、まず持参した清潔な水(井戸水だ)で傷を入念に洗い流すことから始める。土や汚れが残っていては、どんな薬も効果が薄れるし、悪化の原因にもなる。
その丁寧な作業に相手が少し驚いたような顔をするのが分かった。次に、準備しておいたキズハ湿布を傷口に当て、清潔な布で固定する。
「これでよし、と。傷口はなるべく清潔にしてくださいね。それと、この湿布は明日もう一度様子を見て、もし滲出液が多いようなら新しいものと交換した方がいいでしょう。もし難しければ、また声をかけてください」
処置を終えると必ず簡単な注意点を添えるようにした。相手の目を見て、できるだけ分かりやすく、穏やかに。そうすることで、少しでも安心してもらえればと思ったし、それが信頼に繋がるはずだと考えたからだ。
実際、「ありがとう、助かったよ」「丁寧なんだね」と、銅貨と一緒に温かい言葉をかけてもらえることもあった。
そんな日々を数日続けた。稼ぎは一日につき銅貨にして数枚程度。決して多くはない。けれど、確実に手元にお金は貯まっていく。そして何より、自分の知識と技術で、人の役に立てているという小さな実感が、何物にも代えがたい支えになっていた。
少しだけ生活に余裕が出てくると、私はルント市の人々が他にどんな健康上の問題を抱えているのか意識して耳を傾けるようになった。
市場や井戸端で交わされる世間話。そこから聞こえてくるのは、長引く咳、なかなか下がらない熱、身体のだるさ——いわゆる「風邪」の症状に関するものが多かった。
季節の変わり目という時期的なものもあるのだろう。人々は自家製の薬草茶を飲んだり、気休め程度の軟膏を塗ったり、あるいは施療院で祈祷を受けたりしているようだが、根本的な解決には至っていないケースが多いようだった。「ただの風邪」と油断してこじらせ、仕事を何日も休む羽目になった、という話も珍しくない。
風邪……。もし効果的な薬があれば多くの人が助かるはずだ。そしてそれは、キズハ湿布よりも、より大きな需要が見込めるかもしれない。
その夜、久しぶりに拠点の部屋で命脈の書を開いた。ろうそくの僅かな明かりを頼りにページを慎重に繰る。『内科疾患』『感染症』……関連しそうな項目を探していく。そして、目的のものを見つけた。
【一般的な感冒症状の緩和薬】
┣ 知識習得: 50,000 [効能:解熱、鎮咳、鎮痛(軽度)。必要材料:??草の根、??樹の皮、他。詳細な調合知識を獲得。以後、「使用」コストが500に低下]
┣ 使用: 5,000 [効果:症状緩和薬を一時生成]
┗ 生成解放: 500,000 [効果:必要時にコスト0で生成可能(医療使用限定)。※知識習得済の場合、コスト450,000]
知識習得に、五万ミラン……! 銅貨にして五百枚分。途方もないが、キズハの「生成解放」よりは遥かに現実的な数字に見える。「使用」ですら五千ミラン……銀貨五枚分。これもまだ高いが目標としては明確だ。
必要材料に書かれている「??草の根」などが、このルントで手に入るものなのかは分からない。だが、調べる価値はある。
街で耳にした話を思い出す。広場東の大きな建物、聖ルカ施療団。無料だが、その治療の効果は限定的らしい、という人々の声。
一方で、「ネイル」という名の若い治療師が、親身になって人々を助けているという評判も。確立された組織と、個人の理想……。今の自分とはまだ縁遠い世界だが、いつか関わることになるのかもしれない。
まずは、目の前のことからだ。目標は「感冒薬」の「知識習得」、五万ミラン。そのために、明日もキズハ湿布を作り、声をかけ、銅貨を稼ぐ。そして、薬の材料になりそうなものがないか、市場の薬草屋なども覗いてみよう。
キズハのように、経験や調査から知識を得られる可能性だってゼロではないのだから。
本を閉じ、ろうそくの火を吹き消す。暗闇の中で、今日の稼ぎである数枚の銅貨を握りしめた。道は遠いけれど、次の一歩は確かに見えた。